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みみとめとあたま

  

 ――ダン!


 槍の柄が床をつく。

 入り口を守る左右二人の兵士の内、一人が先触れを高らかに告げた。



「ジャン・バルトロマージ卿! 女王陛下に謁見!!」 



 ここは妖精の国、レジーナ王国。

 私は、奇妙なレジーナの外交官ジャンに連れられ、妖精海峡を越えてここまで来た。

 妖精海峡というメルヘンな名にふさわしくない色合いの海は暗く、冷たく、荒れていた。

 航行中、イスパニア籍の船と戦闘もあった。


「さすが獣、きゃつらめ『盾』の輸送をかぎつけおったわけですな」


 ジャンの言葉に、ぞっとした。イスパニアという国は、異世界人を邪悪と断じる国だという。

 ファーデルラントも酷かったが、イスパニアにつかまれば、どんな扱いを受けるか分からない。

 だが、レジーナ船籍はイスパニア船籍を翻弄し、大砲をかまし、見事打ち払った。

 彼らは酷く手馴れているようだった。

 むしろ、普段はイスパニア船を襲うことの方が多いようだ。

 なんという無法地帯だろう。

 彼らは景気付けに祝杯を挙げ、余興に肉を取り出すと、海に投げ込んだ。 


 驚くべきことに、肉塊を暗い海に放り投げると、海中にいる『人魚』たちが、我先にと争って食らいつき、ご馳走を手に入れられなかった者は、びちびちとその魚の目で怒り心頭に発して暴れ狂っていた。

 『人魚』は可憐さとは程遠く、その性質は獰猛な肉食だった。

 船員達は恐れるでもなく、『人魚』の痴態をげらげらと指差して笑う。

 どこにユーモアを感じるのか、私には理解不能だった。

 ここは、本当に恐ろしい異世界なのだ。

 その恐ろしい世界の屋台骨を構成する大国、レジーナ王国。 

 かの為政者にこれから会う。

 極度の緊張で全身に汗をかき、私はすでに臆して震えが止まらなかった。 

 気合を入れろ。

 そして頭を低く垂れろ。

 相手を見ずにかみついた結果を、私は――忘れない。

 身体には脅えがこびりつき、恨み憤る気持ちはきっとあるけれど、それを遥かに超えて自分の安全に優先順位を置いてしまっている。

 あんな仕打ちを受けて、義憤に突き動かされ続けられるような人間は、一体どれだけの強さを持っているのだろう。

 私には、もう、無理だった。私は、自分の身が可愛い。結局、そんな人種でしかない。

 涙はもう出尽くした。

 怒りも憎悪も、硬く封印した。もしかすると、そんなものはただ自分は安全だと、無邪気に信じていられるから持ち得た感情なのかもしれない。

 今の私にできるのは、小さくなって、災禍をやり過ごすことだけ。

 そして――目を凝らし、耳を済ませて、ない知恵絞って頭をフル回転させ続けるしかない。

 情報が全てだ。魔法の力なんかよりも、何が味方で、何が敵なのか、見極めなければ、知らないところで、私の命など軽々しく扱われて、殺されてしまう。もっと酷い目に合わされる。

 だって、私は無敵じゃない。何がしかの異能があったとして、結局ただの人間でしかない。

 力を持った誰かの恣意で簡単に左右されてしまう。

 この世界では、知らないことが罪なのだ。力ないことが悪なのだ。

 何が起きているのか、知らねばならない。そして考えなければならない。

 そうしなければ、私はこの世界を前に、風口の蝋燭としかなりえない。

 その事実を、ようよう痛いほどに私は噛み締めて、震える足で謁見の間、レジーナの為政者の前に進み出た。





 黒衣に脂ぎった小山のような身を包んだ肉樽、

 陰鬱なけはいを背負った、青白い神経質な顔の文官、

 精力がやや減退期にさしかかっている、濃い顔立ちの色黒男、

 髭にやたら気を使っているらしい優男風の詩人めいた面立ちの男、

 小柄だが油断ならぬ鷹のような眼差しをした、海軍提督姿の洒落者……

 謁見の間には個性豊かな廷臣に軍人その他が並び、新たに入ってきたジャンや私に彼らの視線が集中した。

 大扉の左右に直立不動で配置する衛兵たちは、再び槍を交差させる。

 視線の先、玉座は空だった。

 まだ、主の姿はない。

 一瞬すぐさまの対面でないことに安堵しかけた瞬間――


 不意にホールの雑音の消えた。


 安堵にため息をこぼしかけた私を現実に引き戻したのは、それによってもたらされた圧倒的静寂だった。


「ジャン、戻ったようだね」


 けして大きな声ではないが、朗々と広間に響く。全ての者を傾注させずにはおれない不思議な力を持った声だった。

 人々は腹に手をあて、面を伏せる。

 からの玉座には、いつの間にか女が一人腰掛けていた。

 その顔は白塗りだ。

 鷲鼻でとがった顎。

 薄い唇は引き結ばれ、強固な意志と気難しさに彩られている。

 赤い頬紅を差し、剃り込まれた額は奇妙に広過ぎる。

 ハート型に結い上げられたそれは色褪せた赤毛だ。

 耳は鋭い笹の葉型。

 ぎょっとするほどに強烈な印象の女性だった。

 あまりにも印象が強いために、かえって年齢不詳になっている。

 美醜で言えば、不美人である。

 よくよく見れば、すでに彼女の顔には逃れようもない老いが表れていた。  

 たが、その存在感は沈み込むような重力すら伴って、圧倒的であった。

 強烈な個性。印象的で、視線をひきつけてはなさない。


 妖精種の女王、グロリアーナ。


 耳の尖った人種の多いレジーナ王国の頂点に立つ女性である。 

 私は、再び強い引力を放つ声に圧倒される思考を中断された。


「ファーデルラントの巫女姫やイスパニアの駄犬と一戦やりおうたそうじゃな。そなたは巫女姫の高い鼻をへし折ったと聞くぞ」


 女王は、扇を手のひらに打ち、「巫女姫はともあれ、イスパニアのけだものを尻目に、見事『盾』をきゃつらの鼻先から掻っ攫うとは、さすがじゃのう」とにやりと笑って促した。


「さあ、そなたの話を聞かせておくれ」


 老いてなお力強く印象的な女王の言葉に、ジャンがやはりにやり、と笑い、大袈裟に身振り手振りで話を始めたのを、私はただ横で聞くのがせいいっぱいだった。


「我が女王陛下にはご機嫌麗しく……ですが、やってもいない武勇伝を聞かせよとはまた困難なことを申されますな。

 確かに妖精海峡でイスパニア船籍が一隻沈んだらしいですが、我が国の船籍は関与しておりませぬゆえ。

 どこぞの民間の船がやりおうたのかもしれませんが」

「は、そうであったな。

 少なくとも再三に渡るイスパニア側の抗議に対して、イスパニア王リカルドには、妖精海峡にレジーナ船籍の賊はおらぬと回答しておる。

 イスパニア王め、賊の通商破壊は頭痛の種であろうなあ。とはいえ、我らもまた無法者の被害者であるゆえなぁ!」

 

 状況に追いつくのに必死だが、やはり妖精海峡でやりあった交戦は、日常茶飯事のことのようだ。

 国家対国家の戦争に発展する前に、イスパニア船籍襲撃は、レジーナ船籍ではないどこかの民間籍の船がやっているので、国は関係ないという態度なのか。

 だが、妖精海峡でのイスパニア船籍への『民間船』による攻撃とやらを、国家であるレジーナが背後で糸を引いているのは、この二人の白々しい態度で明白ではないか。


「それはさておき。『盾』の確保の他に、ご報告がございます」


 がらりと雰囲気を変えたジャンに、女王も頷く。場の空気が引き締まった。


「ご承知のとおり、イスパニア属領のファーデルラントの反乱が、イスパニア王めの頭を悩ませているのは周知の事実ですが、この独立に我が国が密かに支援をしていたことは、もちろん彼の王も気づいておりましょう」


 はっきり断言しやがった、と私はむしろ呆れた。


「確かにな。

 私個人としてはファーデルラントがどうなろうと知ったことではないが、あれは妖精海峡にあって我が国と西ルサーカ大陸との貿易の要衝じゃ。

 イスパニアの好きにさせるわけにはいかぬ」

「そして何より、ファーデルラントにかかずらっている限り、イスパニア王は非公式の軍事行動ともいえるレジーナ王国海賊の跳梁ちょうりょうにも態度を保留にせざるを得ない。

 正面きって戦争を仕掛けるのはしばらく避けるであろう……そういう読みでしたな」


 おいおい、アウト、である。

 レジーナは、背後で民間の船が他国へ海賊行為を働くのを推奨していた、むしろ支援していたというのだ。

 非公式を免罪符にした軍事行動ではないか。 

 整理しよう。

 つまり、イスパニア王はレジーナの海賊行為に腹を立てているし、裏で糸を引いているのがレジーナなのは分かっている。

 しかし、ファーデルラント反乱など他の問題で手がいっぱいなので、すぐに報復はできない、という状態なのだろう。

 そしてこのファーデルラント問題が長引くよう、レジーナ王国は背後で暗躍していたのである。

 ユリア姫が愛想笑いで遠慮したのは、この辺の事情だろう。

 そのような背景があり、北ファーデルラントは「ファーデルラント王国」として独立を果たしたということらしい。


「ジャンよ、動きがあったか」


 女王の金色の目が強く光る。


「ファーデルラントの精神的指導者である、エミリオ王太子が暗殺されました」

「「何……!?」」


 廷臣たちの間に衝撃が走る。

 驚いたのは、私もだ。


 エミリオ。


 ユリア姫の兄であり、共に来た同級生の桐島聖涙きりしまあくあを「気に入った」とお持ち帰りし、私や大輔への暴行を指示したあの王子。


 死んだ?

 暗殺された?

 

 え?


 どういうこと?

 

 知らない。


 そう、ジャンは、この男は、真実など全て当然ながら私に話していたわけではない。

 出航前にはすでに分かっていたことを、ただ私に告げなかった。

 不実だと罵るような権利を主張することはできない。

 ただ、彼は言わなかっただけ。

 私は知らなかっただけ。

 そんな一つ一つの「知らない事実」が私を情報弱者にし、時に命を奪う。

 だから、目を凝らし、耳を澄ませ、考えなければならない。



 嵐の前の静けさは終わり、暴風雨が訪れようとしていた。





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