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しすてむ

 意味が分からない。

 わけが分からない。

 理不尽である。


 それは、私の生涯を通しての怒りの根底であったかもしれない。

 親のエゴでつけられたとしか思えないふざけた名前。

 周囲への攻撃的カウンター。

 その果ての、地獄――


 私は攻撃性をあらわにし、しかしぬるま湯の人権を守られる環境下においては言論の自由に保護された。

 でも、この『世界』は違った。


 正しい者も、間違った者もない。

 強い者、それが圧倒的に正しいのだ。

 

 これを間違いであるとすれば、更なる力『武』をもって覆さなければならない。

 私には世界を変える力などなかった。


 だから、本来言論の剣の恩恵にあずかっていた私は、たちまち保守的な『盾』を欲し、隠れた。

 

 頭を低く垂れ、正しい『力』に屈したのである。


 それを退化とは呼ばない。

 

 ゆえに、私は攻撃性を表面化しない。

 私は世界に守られてなどいない。

 この世界が地獄であるならば、剣(権利)などなんの役にもたたない。

 振りかざせば、同じだけの、それ以上の剣が返ってくる。

 

 紅茶をアレグザンドラ・バーロウにぶっかける。


 夢想してみる。

 そう、何にもならない。

 私は弱い。

 私は無知。

 知っているつもりで、何もわかっていなかった。

 その結果が、今だ。

 

 私は嘆息し、仮想の剣を抜くこともなくおさめた。


「教えて。いいえ、教えてください。私には、何も分からない。もし貴女が知るというのなら、どうか教えてください」


 全てを――少しでも、よき結果をもたらすように、その思考の欠片となるものを、与えてほしい。

 選択せよ、というならば、説明を。


 アレグザンドラは、笑った。

 

「そう、いきなり選択せよ、とは意地が悪かったな。君は二回目だ。しかし、記憶は引き継がれていない。まず、我々は共通の理解をもつべきだろう。前提となる共有の理解を」


 私は頷き、無知を曝け出して願う。


「あの世界は、結局なんだったの? それすらも私は分からない」


 あれほどの惨禍、果たして何の意味があったのか? 意味などないのか。

 この問い自体無意味である。

 なぜなら、誰も『お前自身の存在に意味はあるのか?』という問いに完璧な答えを有する者などいないからだ。

 存在の意味など、誰も知りえない。

 差し向かいに座ったアレグザンドラは、ゆっくりと足を組み替えた。


「そうだな。例えば、この議論については、まずこの紅茶が役に立つだろう」


 目の前に湯気をくゆらせる紅茶が用意されている。

 それを指差し、アレグザンドラは私に問いかけた。


「この紅茶は、今後どうなる?」

「ほうっておけば、冷めていくわ。この内部のエネルギーは、やがてカップや室内温度のエネルギーに拡散していく。これが自発的に勝手にまた再沸騰するということはない。熱は常に高きから低きに流れる。熱力学なの?」

「そのとおり。

 この観測する対象を『システム』と名づけよう。『系』以外のものは、『外界』とする。

『系』と『外界』を隔てている境界が物質や熱を通すか通さないかによって、『系』は『開放系』と『閉鎖系』に区別することができる。

 例えば、この紅茶は典型的『開放系』だな。物体も熱も通す。

 この開放系たる紅茶は、エネルギー拡散を起こし、やがて室温と同程度にぬるくなるだろう。

 閉鎖系で考えられるのは、断熱材を境界とするものだな。例えば魔法瓶などが考えられる。これは熱も物体も通さない『孤立系』だ。

 さて、ハイスクール卒業程度の講義で恐縮だが、共通理解のためにイメージとしての『系』を提示しよう」


 空中に円筒の箱が浮かび上がる。

 やがて箱は透過していき、辺を残して中にピンポン玉のような球体を詰め込んでいることが分かる。

 ピンポン玉は、円筒内部をゆっくりとでたらめに動いている。

 

「この円筒を、『系A』とする。

 中にある球体は、系Aの内部にある理想気体の原子分子モデルだ。

 さて、この系Aは、内部エネルギーを持っている。

 内部エネルギーは、この原子が持つ運動エネルギーと原子や分子間に働く位置エネルギーの和のことだとしよう。

 運動エネルギーが高いほど、この原子モデルは活発に動く。

 ここでクエスチョンだ。

 この系Aの内部エネルギーUの増加分ΔU、これはどのような方法で増加させることができるだろうか?

 系へエネルギーを移動させる方法はいろいろ考えられるが、どうだろう?」


 高校程度の知識であるが、私は教養程度にしかかじっておらず、ゆっくりと思い出しながら回答した。


 ΔU=Q(熱の吸収)+W(された(した)仕事)


 すなわち、内部エネルギーの増加分は、熱と仕事によってもたらされる。


 非常に俗な例えだが、貯金で考えるとよいだろう。

 今いくら貯金をもっているか、そして最終的な貯金の総額を考える必要はない。

 どれだけ貯金が増えたか、という出入りの話をしている。

 こづかい(熱)を1万もらい、アルバイト(仕事)で4万稼いだのなら、


 5=1+4


 これが、貯金の増加分5である。最初いくらもっていたかは関係ない。5万円増えた。これが変化分だ。

 あるいは、遊びすぎて浪費が激しく、7万使ってしまったのなら、


 -2=5-7


 このような時もあるだろう。


「エクセレント。そう、熱と仕事によって内部エネルギーへの搬入は可能だ。

 しかし、最終的にこれは熱によるものか、仕事によるものか、区別しない。

 では、まず、熱により、系Aの一部を透熱壁とし、内部エネルギーに変化を起こそう」


 円筒の下部に、炎が押し当てられる。

 すると、下部にある原子モデルは次第にランダムな動きを速めてゆき、その原子がぶつかったほかの原子も動きを加速させていく。


「物を熱すると、原子の振動が激しくなる。そして、熱は、ランダムにエネルギーを移動させる」


 ピンポン玉サイズの原子の動きは、ランダムに内部変化を起こしているのを見れば、一目瞭然だ。

 アレグザンドラは、「次に」と人差し指を振った。


「では、今度は円筒の可動壁を動かして、仕事によりエネルギー変化を起こす」


 円筒の下部が『可動壁ピストン』状となり、ぐっと上に押し上げられる。

 すると、円筒下部の原子モデルは一斉に同じ方向――上部へと動き出した。


「全原子が同じ方向に移動する。

 下部の原子は他の原子にぶつかって、振動を激しくしていく。

 だが、しばらくすると円筒内部の原子は、ぶつかり合ううちに、結局ランダムに動き出す。

 熱によろうが、仕事によろうが、ランダム運動へと収束していくわけだ。

 系へ注入された熱も仕事も内部エネルギーという状態量に変化していく。

 一度系に入ったエネルギーは、熱によってもたらされたものか、仕事によってもたらされたものかを区別しない。

 そして偏りは是正され、平衡状態となる」


 激しく動き回る原子は、次第にランダムに、やがて同程度の速さへと落ち着いていく。

 次に、ともうひとつ円筒が空中に浮かぶ。


「これは『系B』とする。先の『系A』と『系B』を棒で連結させよう。これは今物体も熱も通さない棒だ。棒の面積はCとでもするかな。

 『系A』には、高温の気体が入っている。『系B』は低温の気体が入っている」


 原子は、熱が高いほど振動する。運動エネルギーが高いということであり、つまり系Aの原子は活発であるが、系Bの原子は緩慢に動いている。


「ふむ、分かりにくいので、高熱の系Aの原子は赤にカラーリング。低温の系Bは青にカラーリングした。さて、二つの系をしきる棒に穴を通すと、どうなるかな?」


 言うまでもない。


「熱は自然には、高温から低温へと移動するわ」


 アレグザンドラがぱちんと指をならすと、系Aと系Bは各内部の原子が移動可能状態に連結した。

 すると、系Aの赤い原子が系Bへ動いていく。

 時間とともに、系Aと系Bの温度は差を埋めていく。

 両者は混じり合い、平均速度の高い系Aの分子と系Bの分子が衝突を繰り返すうちに、両者の平均速度へと落ち着いていったのだ。


「これが熱平衡状態だ。熱エネルギー(内部エネルギー)の発生を伴う変化は、不可逆変化だ。

 完全に元に戻すことはできない」


 さて、次に、とアレグザンドラは再び指を振る。


「連結部分を、可動壁ピストンとした。

 系Aから見て、△U内部エネルギーが△U>0であれば、系Aの内部エネルギーは増加し、温度が上がる。気体は熱膨張し、ピストンは系Bに向かって動くだろう。これは系Aが系Bに仕事をしたといえる。

 逆に、系Bから圧力を受けて、△U<0であれば、系Aの内部エネルギーは減少し、温度は下がる。ピストンは系Bから系Aに向けて押し込まれる。気体は圧縮され、系Aは系Bから仕事をされたといえる」


 だんだんと、私はぼんやりした形をつかみはじめていた。


 システム

 内部エネルギー。

 系へのエネルギーの注入経路。

 熱。

 仕事。

 原子の運動エネルギー。

 振動。

 熱平衡状態。

 不可逆変化。

 可動壁ピストン


 気づくと、勝手に私はつぶやいていた。


「――熱機関」


  

 

 小説の要素として、俗な解釈とでたらめな味付けをしていますので、学問上の熱力学ではありません。

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