せっしょく
『死が老人だけに訪れると思うのは間違いだ。死は最初からそこにいる』
――ヘルマン・ファイエル
ステンドグラスの『マギの、礼拝』が、三者を見下ろす。
マギは占星術の学者、博士、または王とも訳される。その数は正確には聖書に記述されていないが、伝統的に『東方の三博士』または『三王』とされる。
これは聖書(マタイ福音書)に『マギの礼拝』すなわち『三博士の礼拝』で伝えられる。
福音書に記述はないが、博士は伝統的に三人とされ、六世紀以降はメルキオール、バルタザール、カスパールという名まで与えられている。
また、メルキオールは一番年老いて老人の姿の賢者でアジアを象徴し、バルタザールは中位の年齢で壮年の姿の賢者としてヨーロッパを象徴し、カスパールは一番若く青年の姿の賢者でアフリカを象徴するとされる。
東側正面に、垂直状に高く天を突きながら曲線的に流れ連なる窓飾り(トレサリー)。
その尖頭アーチ状をした装飾的石の組子は、見るものの視線を上へ上へと誘い込み、嵌め込まれた色硝子に、昼間の激しい陽光と違って月の静かな冷光をぼんやり滲ませている。
その為、真っ暗な堂内は、ステンドグラス越しのひんやりとした月明かりを石畳に投げかけられていた。
そして、幼子イエス(らしきもの)に礼拝する三人の博士たちの姿が暗い堂内に浮かび上がる。
ステンドグラスの光のにじみ(光滲)。
ぼやけたハレーションではなく、赤、青、白、黄、他――様々な色硝子たちは、色のひずみを透明な色を透過してくる光の視覚的効果により光滲の現象が織り成す神聖で厳粛な『場』を作り出す。
冷光を通して、ある色は弱まり、ある色は強まり、拡大しながら床石にバラの華を咲かせる。
赤硝子では光のにじみが弱まり、青硝子では強まり、黄色は中立的であり、黄色から赤を通して青へというスペクトクルの配列に従って変化した時には、濃いオレンジ色から淡いレモン・イエローに色がずれながら黄色を強めて行く。
ステンドグラスというものは、そもそも教会堂を明るくするためのものだ。
広い面積を占めるステンドグラスの色硝子が、見る者にはっと清冽で峻厳な衝撃をもたらすためには、それぞれの色硝子が均一の明るさを保持しなければならない。
これは透明な硝子を透過してくる隣接の明るい光源に邪魔されていないという状況に依存する。
つまり、『暗い箱』である礼拝堂こそステンドグラスにとっては最高の環境になるわけだ。
美しい光景だ。
暗い箱の中に、広がる光の華。
そして、そぐわぬ地獄の光景の対比。
「ひ~ひひひひひ、盛り上がってまいりましったああ!! BGMッゥ すたあーあっと!!」
狂乱状態の黒兜があたかも指揮をふるうかのように、飛び跳ね回転する。
すると、たちまちどこからともなく地獄から湧き上がるような低く垂れ込めたモノローグ的序奏が始まる。
やがてヴァイオリンが激しい動きの第一主題を変質・破壊しながら奏しだす。
それは、フランツ・リストの『ファウスト交響曲』、第三楽章メフィスト。
ほとんど狂気の沙汰であった。
悪魔であるメフィストフェレスには彼自身の主題がなく、全てを破壊する性格を象徴するような第一楽章のファウスト主題や第二楽章グレートヒェン主題を変質変容させて行く。
「カカカカカカカカッ! 乗ってきたぜええええぇえええええ!! 『アレグロォゥッ・ヴィヴァーチェッ・イロニコゥッッ(急速で、皮肉に満ちて)』!!!!!!」
第三楽章は大きく分けて二部分からなり、前半は黒兜がと明確に指示した通り、皮肉に満ちた不条理性によって悪魔の力を暗示する。
第一主題の破壊を行いながら、激しく絡み合い、急転直下し、ドラマティックに高まり合うメフィストフェレスはファウストの影の姿でもある。
ただし、第二楽章グレートヒェンの主題だけは変質を受けずに回想的に流れ、その後気を取り直したかのようにメフィストフェレスは悪魔のワルツを踊りまくる。
そう、まるでこの場面のように。
「さあっ 踊ってみせてくれぇえええ! 選択してねっ ぎゃっはははははは!」
舞台は整った。
あとは、お前の選択だけだ。
そう突きつけられた気がした。
「――な、何で。こんなの、選べって、そんな」
無残な旗折れは、経験しなければわからないものだ。
これ以上はない、と思ってもまだまだその底は伺いしれない。
人間の想像力など、所詮自分に都合のよい範囲でしか働かない。
「だい、すけ。やめて。もうやめてよ。元のあんたに戻ってよおおぉおおおお」
ぼたぼたと涙が零れ落ちる。
殺せって?
どうやって殺せって?
その力があったとして、どうして大輔を殺せるんだよおっ
「さつきちゃん」
大輔は、その声音は、いつものとおりだ。その姿は異様なものであったとしても。
全身を漆黒の鎧で覆い、兜も剣も黒く塗り潰し、紋章を刻むべき盾は無名。
黒騎士とは、すなわち、罪を犯した者か、あるいは、正体を隠す意志あり、というもの。
まるで大輔にそぐわない。そぐうはずもない。
「ねえ、さつきちゃん。君は神様を信じる?」
何、何なの。
いるわけない。
いや、『いる』。
神は。
その残酷な神は。
「僕は信じているよ。世界のクリエイターとしての神をね。
神という名の創造主、世界のデザイナー、宇宙のメーカー。
第一の日に、『初めに、神は天地を創造された』と聖書にばっちり書いてあるじゃないか」
ねっ、と無邪気に笑うその顔に、私は――もはや狂気以外の何ものも感じなかった。
「神は宇宙の外にいて、僕たちを仔細漏らさず観察しているだろうね」
大輔はぺらぺらと喋りだした。
そう、生前の彼とは似ても似つかぬ言葉を吐き出し続けた。
大輔はこんなこと、絶対言わない。
でも、私もせめて会話が糸口になればとぎこちなく返す。
「――最後の審判で救うべき人を選別するために?」
「さあ? クリエイターとしての情報収集じゃないのかなあ。そういえば、面白い学者がいたよな。『ラプラスの魔』を提唱していただろう?」
「――宇宙の絶対観察者というやつ?」
最近読んだ本にその手のネタの話があったと、適当に話を合わす。
「そうそう。あはは、あれ面白いよねえ。
宇宙の膨大で刻一刻と変化する情報を瞬時に収集して、そこから誤差のない計算によって、未来を完全に予測する存在。
じゃあ、『ラプラスの魔』は僕の感じる神さまだねえ」
古典物理学では全ての物体の位置や運動は、十分な精度の情報さえあれば、その次の位置や運動を測定・予測出来るとされている。
例えばボールを投げた時に、物体の現在位置と速度が分かれば、次の瞬間における物体の位置と速度も計算によって完全に予測可能だというのである。ならば、この最初の状態を元に、次々に計算を繰り返して行けば、完全に未来を予測することさえ計算上可能になってしまう。
しかし、この計算方法ではどうしても誤差が出て来る。刻々と変化する環境に合わせ、同時に変質して行く膨大極まりない情報を、人間が一切の誤差なしに計算出来るはずもない。
ならば、もしこの誤差をなしに計算することが出来る存在がいたとしたらどうだろう? 仮に膨大な知識と人智を超えた天才的計算力をもった超生命体がいたとしたら――? その想像上の超生命体――悪魔こそが、学者ラプラスが提唱したいわゆる『ラプラスの魔』なのである。
この悪魔は宇宙の全ての情報を一瞬にして把握することが出来、微小一単位の変化にすら対応して、全ての未来を一切誤差のない計算により完全予測することが出来るとされる。
この全能なる悪魔を仮に神と同義におくならば、悪魔=神自身はこの宇宙に存在しないとされる。彼は、宇宙の外に存在するというのだ。もし悪魔=神が宇宙の中にいれば、自分自身もその計算に入れなければならず、神自身は自分自身を計算しつくすことは出来ない。
ラプラスの魔とやらがもし本当に存在するならば、この世界と元の世界に巻き起こされた不可思議で恐ろしいドラマの終焉をも、その全てを見通すまなこにより完全予測しているだろう。
「ほら、一時こういうのはやったでしょう。
世界というのは万物全て可能性って考え。可能性が収斂して、固定の未来になるって。
だから、可能性がある限り、世界は無限に存在する。
その一つ一つの世界に、僕たちはまた可能性として無限に、同時的に存在するんだ」
どこかで聞いた話だ。この間読んだ本は、まさにそのネタ本だった。
素人考えの陳腐で稚拙な三流本だと流し読みしてしまったが、大輔は読み込んでいた。
「聞いたことはないかい? 阿片を決めた男と、山奥で踊り狂っているどこかの原住民が、薬の力で法悦高まって、ぶっ倒れた。
倒れている内に、精神が肉体から抜け出し、互いに相手の姿となって、生まれてから死ぬまでを夢見た。
ふと目が覚めて、互いに言ったものさ。『俺は、今まで別の男の人生を生きていた。たった今、死んだところだ』ってね」
怖い。大輔、怖いよ。
もう止めて。
お願い。
「ぎゃははははッ、ごっしゅじん、それ。怖い話ですねえッ」
嗚咽で声が出ない私に代わって、黒兜が合いの手を入れる。
「違う違う、これは怖い話じゃなくて、可能性の話だ。
人は同時に複数の生を生きている。A世界の俺、B世界の僕、C世界の私、更に無限の世界に存在する自分。
それが薬物や宗教の力で、ふとした拍子にそれぞれの世界の『境界』を越えてしまうのさ」
ねっ、さつきちゃん! と輝かしい笑顔の大輔に、私はもう全身の悪寒が止まらなかった。
大輔の顔をしている。
でも、これは。
大輔じゃない。
「さつきちゃん、しっかりしてよ。まだ導入だよ、ラスボス前の意味不明な問答は様式美だよっ 僕、がんばったんだよ! どうかな? どうだった? 及第点? ねえ、がんばって、これから殺しあわなくちゃ!」
明るい。
大輔は底抜けに明るい。
どこか、大事な螺子が一本飛んで、人であるためのものが欠けてしまった。
そんな風にしか思えない、あまりにも異常な明るさだった。
陽気に狂ったメフィストのワルツが、不安をかきたて、恐怖を煽り、思考を乱す。
先ほどから、頭の隅で聞こえていた『選択してください』の声が、だんだん大きく、大鐘を鳴らすかのような大音響となっていく。
――貴女は、『魔王』と戦いますか?
YES NO
YES NO
YES NO
YES NO
止めて。
選べって、どうやって選ぶんだよ!?
イエスを選べと? 無理だ!
ノーを選べと!?
桐島さんを見ろ!
彼女を助けなければいけない!
でも、言葉を尽くしても、この大輔にはきっともう通じないよ……どうしたらいいの。
どうすればいいの?
選べないよ。
選べるわけが……
その時、かすかに、ノイズが聞こえた。
そう、本当に小さなノイズ。
――ジ、ジジ。ジ。外部、接触有り。ゲート、急速老化するユリア姫(発狂中)。秘匿された情報開示されます。
――『王族の演技』『王族の助力(彼らは元プレイヤー)』。
――『思いがけぬ裏切り(愛する者)』。
――『折れた心(選択せざる者)』。
――『アンチ・プレイヤーである盾(それは身の証)』
――『槍――災いの一撃(未然)』
――『聖杯(攪拌中)』
――『収穫前(我々は原料じゃない)』
――『見えざる敵(秘匿)』
――『敵の敵は味方(誓い)』
――『奪還の意思(過去から未来へ)』
――『鋼の心(選択した者)』
――『外(?)』
――隠しルート選択できます。外部から接触。外からの助けを呼びますか?
何?
え?
このシステマチックな音声は、いつもと様子が違った。
あの人をおちょくるような嘲りがない。
そう、本当に機械的で、何の色もない。
――異分子。内部接触有り。バーロウ家が接触中。侵入開始、エラー。エラー。エラー。内部呼応要求中。エラー。エラー。
――選択してください。ユリア姫急速老化中。ゲートが閉じます。
私は、本能で。
そう、本能的に、『盾』を展開した。
ばりん、と何かが壊れた音がした。
『不実な友をもつくらいなら、むしろ敵を作るがよい』
――シェークスピア
フィクションです。ほとんど嘘っぱちなので、その点ご理解ください。




