表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/28

まおう

この話はフィクションです。

現実の人物、事件、宗教、歴史、国とは一切関係ありません。

また、侮辱する意図もありません。

 空は紺碧のはずであった。

 だが、今は何かの黒の染みのようなものが広がり、やがてそれはうなり声を上げる蜂の大群となった。

 その一匹一匹は、あまりにも巨大。

 成人男性ほどの大きさがある。

 それが何千、何万、と空を埋め尽くす光景は、とうていこの世のものとは思えない。

 悪夢であった。


 そして、気がつけばあちこちから悲鳴が聞こえている。

 

「『沸き』の時――もはやファーデルラントに留まらない」


 圧倒される私を余所に、桐島聖涙は、冷静すぎるほどに落ち着いた声で指摘する。


「争いは愚か。でも、気づくのが遅すぎた」


 人と人が争っている場合ではないと。

 その言葉は、己自身に向かうものであったのだろう、自嘲の響きを帯びていた。

 そう、人はいつも、事態が切迫しなければ、重い腰を上げることはできない。

 つまり、方向転換ができないのだ。

 

「四度目。佐々木さん御願いがある」


 窓の外を見据えていた桐島聖涙は、私を振り返って、


「私の力は、広範囲で無差別の傾向がある。貴女は、貴女の判断で、『盾』の力で防御して」


 そう頼んだ。

 私は、頷くしかできなかった。

 もはや、私にも事態が飲み込めて来ていた。


 魔王。


 来るのだ。

 ここに。


 おそらく、大禍津日に発生するという、特大の【天然】が。


 私は、助力する、と言えなかった。

 代わりに、八王子夜音のことを戦力として推薦することもできなかった。 

 あの、あれ、に。

 立ち向かえと、どうして言える?

 

 外は暴風が吹き荒れる。

 緑葉は枯れ、室内に舞い込んだ。


「――行く」


 だん! と弾くような音がした。

 その次の瞬間には、桐島聖涙は暴風の中に小柄な身体を飛び出していた。

 

 四度目だと、彼女は言っていた。

 三回死んだ、と彼女は言っていた。

 

「――死ぬ気だ、桐島さんは」


 口にしてみて、私は今更片手で口元を覆った。

 駄目だ。

 それは絶対に駄目だ。


「――八王子君」


 呼ばなきゃ。

 そして、私も行かなければ。

 私たちは、齟齬があった。

 私は彼らを馬鹿にしていた。

 そして、馬鹿にしていた自分自身に報復されたのだ。

 不条理、不合理、そして理不尽。

 そんなものは、どこにでも転がっている。

 だからといって、今そのことに目をつぶっていいことにはならない。

 そうだよ。

 だって、彼らはたった二人の、私の同胞なのだ。

 見捨てるなら、私はくそったれだ!

 くそにはくそのやり方がある。


「ジャン」


 私はこれが最期になるかもしれぬと男の白く血の気の失せた顔を見下ろし、懺悔する気持ちで、その首筋の横に顔を押し付けた。

 シーツの冷たい感触に、恐怖よ吸い込まれろと強く強く埋め、色々なものにさよならする。

 それから思いっきり顔面を上げた。


「――行ってくるね。死なないで」


 私の王宮滞在時のこの部屋には、元々『勇者』用として、色々な仕掛けが施されている。

 本来は、不穏分子である『勇者』を封じ込めるための部屋だ。

 だが、今は【外】から閉ざされたという意味で、一番安全のはず。


 そして、ここから出たら、どんな世界が待っているか分からない。

 

 私は桐島聖涙の後を追う前に、八王子夜音を探すことにした。

 すぐに見つかるだろうという予想に反して、彼の姿はどこにもない。

 別のところで戦っているのか。

 兵士達が『沸き』によって異形の姿となってしまった仲間を切り伏せている。

 

「八王子君!」


 いない。

 どこにいるのか。

 上空では、桐島聖涙が飛び回り、蜂を爆発させている。

 彼女の周囲に一瞬何か輪状のものが見えた瞬間、周囲に爆発音がする。


 見えざる爆破攻撃。

 威力は絶大だが、回数は無限じゃない。

 いつか彼女も力尽きてしまうだろう。


 やがて私は礼拝堂にまでたどり着いた。

 礼拝堂は、色硝子(がらす)を嵌め込んだ開口部を持つ、巨大な暗箱である。

 堂内に向かって踏み出した。


 建物は西から東へ、太陽の昇る方向を示す軸にそって配置され、上空から見下ろすと二本の腕木が交差した十字形の構造をしていることが分かるだろう。


 八王子夜音によれば、初期キリスト教のバシリカ式から発展した伝統的十字形プランの建物だという。

 十字の頭部は常に東を向く。北側は暗く冷たい場所と見なされ、南側は光と暖かさによって恵まれ、西端は歴史の場所とされる。


 この西の入り口から、何千人もの国民が堂内に入って来て、退屈で厳かな礼拝堂付き牧師のお説教に耳を傾けて来たのだ。

 しんしんと冷たい石壁は、過去と現在の歴史の狭間に反響する音を拾い、ひとびとの呟きを石の隙間に染み込ませ、朗々と堂内に響き渡ったであろう説法に耳を済ませ続けて来たのだろう。


 西正面入り口から内部に足を踏み入れると、その上方には大きなバラ窓が配され、主題に『最後の審判』が表されている。

 この世界は、どこまでも類似した『歴史』を持つようだ。


 交差した二本の腕木は、西から東までが身廊、塔をのせた交差部、内陣となっており、北から南までが北袖廊、交差部、南袖廊となっている。一歩堂内に入るや、


 私はぞっとして二の腕をつかんだ。


 ――来る。

 

 ここに、来る、と。

 私はわかってしまった。


 にゃあ、と猫の声がする。 

 違う。

 赤ん坊だ。何かが生まれようとしている。その前兆。

 

 そして、『そいつ』はやって来た――恐ろしいもの。


 礼拝堂の入り口から入って来たものは、全ての悪意だった。


 それには人間が怖がるもの全部が小さな躰の中に、おぞましいほど隙間なくぎっしりと入っている。


 根源的に恐れられる対象。怖いもの。怖いものというのは、人間の恐れるものそのもののことだ。


 人々は圧倒的力のあるものに特別な名前を与える。与えた名前そのものが悪意となり、新たな恐怖を煽り、国中に伝播して行く。あるいは国境を越えて、風習や宗教という触媒を通してどこまでも無限に波紋を巻き起こしながらある一定の形で広がって行くのだ。


 例えば伝染病の代表格であるペストは自然現象だったのに、昔の人々はそれを悪意によるものとした。


 自然から派生したのに、誰かの悪意から派生したと思った。


 そこに悪意を汲み取ってしまったことから、悪意の発信源を探した。


 それが特定の民族に向けられ、また魔女狩り、疫病をもたらすという伝説的黒い犬を生んだ。

 悪意は一定の地域を越えると形を変えていく。イスラム教に触れれば、イスラム教の形に修正され、東洋の宗教に触れればそれに見合った神や魔人や妖怪の形に人為的に歪められるのだ。


 そして西洋では自然現象に悪意を感じ取ってしまったことから、それらが宗教観において怖いもの、恐ろしいものに昇華されたのだ。


 疫病。


 神との断絶。


 密告する他人。


 病を連想させるもの。


 斑点。


 東洋の絵。


 人間の内臓を破裂させるくらいみっちりつまった回虫。


 蛆。


 人間にありえない動きをするもの。


 巨大な暴力性を秘めたもの。


 内側に圧倒的に黒いものを抱えている。


 触れたら魂自体が穢れる。


 ウィルスのように魂の情報が壊される。


 恐ろしい、穢れたものだ。


 神の能力を嘲りながら、神の能力を正確に逆トレースする、神のパロディ。


 魔王。


 東洋では神々は溢れ返り、一神が正義で後が悪ということもなく、正義である神が同時に暗黒面を抱えていたり、ある人にとって正しい神が別の人にとって悪となったり、明確な境界が見分けられない。


 しかし、例えばキリスト教ではミサと逆対応する黒ミサのように、キリストとアンチキリストは一枚のカードの裏表だ。


 神の裏は、圧倒的暴力性と圧倒的無慈悲と圧倒的奇形を備えた『神の悪戯』がにやにやと狂気を携え、闇の中に佇んでいる。


『悪魔』だ。そして、この世界においては『沸き』であり、『魔王』だ。


 それはその与えられた名前によって人間の残虐性に火を点け、数十万人の人々を殺し、これからも殺戮するであろう人間の作り上げた神の奇形児だった。


 『悪魔』に憑りつかれた者は、他人を火炙りにするし、やがて自分も火炙りにされる。あるいは妻や夫を撲殺し、息子や娘を犯し、自分自分を捩じ切る非人間的なものに成り果てる。


 想像もつかない非人道的で人間の知恵の及ばない自然現象でもある『何か』に人間が与えた名前こそ、『悪魔』に他ならないのだった。


 何もかも悪魔のせいにすれば、人は逃れようもない恐怖から悪魔に救われる――時に閉鎖社会では自分自身が悪魔にまつり上げられながらも……そして、その折り重なる何かから、『魔王』は生まれる。

 すべての淀みの中から、すべての穢れを引き受けるかのように、『魔王』は生まれる――


「うげえっ」


 四肢をはった私は冷たい床石に膝をつき、間断なく襲ってくる嘔吐感に残り少ない胃の中のもの全てをぶちまけた。目が充血して、身体中の水分が奪われ、カラカラに干上がってしまう。


 圧倒的プレッシャー。


 これが神と人の違いだ。違う、神の次元にあるものとの相違。


 涙すらも次々に蒸発して行く中、私は確かに見た。


 あれは――人とは違う存在だ。


 ――ほ、か、の、連中、は!


 他人の身を案じている場合ではないと思いながら、この濃密な毒にも似た空気の中で、外にいるだろう他の者が無事でいられるとは到底思えなかった。もう何も、分からない!


 そうして私は確かに見た。 


 腐乱した手が緩慢な仕草で目深に被ったフードを脱ぐ。


 懐かしい腐敗した臭気。フードの下には虚ろな眼窩が覗く。のっぺりとした皮膚が視界いっぱいに広がる。がっぽり開いた、暝い、深い、真っ暗で、黄泉へと続く穴が。


 何もかも視界の全てを覆って。


 例えようもない幸福感に苛まれる。


 ああ、あれは。知っている。誰もが知っているだろう。いや、知ることになるだろう。


 私は悟った。あれは象徴そのものなのだ。


 フードを脱いだ手にぷつぷつと炎が粟立った。オレンジと赤の色に燃え盛る炎の滴がぽたぽたと床に滴り落ちては焼け焦げ、同時に床石は不浄な汚染の媒介になった。凄まじい勢いで『それ』が立つ床石を中心に黒い腐食が始まって行く。私のひりつく目から涙が滑り落ちて来る。


 溶解しながら皮膚がずるりと滑り落ちる。腐敗が進んで行く。いつか人が目にするもの。自分自身そうなるもの。凄まじいスピードで老化し、数千種の病におかされながらしまいには腐って行く。


 ――神よ。


 恐るべき悪意の化身を前に、私は短い生涯でかつてなかったほど神の存在を間近に感じていた。

 ミッション系の学校に通って、数え切れない説法を耳にしてきたが、どんな聖職者の言葉よりも、ずっと明確にはっきりと私は確信していた。


 人間の想像を遥かに越えた、超存在が世の中には、いいや、この世界の外には確かに存在するのだ。


 ――あれは。


 もう汗もよだれも涙も出て来ないだろう。


 ――あれは、『死』だ。


 ジーザス、あれは、『死』なのだ。


 異存在との次元を超えた接触により、感激と恐怖とがない混ぜになって、宗教者の法悦の絶頂にも似た陶酔感が私を襲う。


 生、老、病、死。


 全てを体現しながら『死』に行くもの。


 ――敵わない。


 人間が、『死』に勝てるはずもない。

 

「敵うよ」

 

 誰かが弛緩した私を引っ張り起こして囁いた。私からはもう思考力が失われていた。茫洋とした目で誰かを見上げる。


 ――桐島聖涙。


 厳しい顔つきで、彼女は私の傍らに膝をつき、『魔王』を見据えている。


「勝つ。五回目は、繰り返さない!」


 彼女は飛び出した。


 その叫びに、ざわりと『魔王』の周囲の闇が呼応した。

 穹窿(きゅうりゅう)からぼとぼとと闇が滴り落ちて来る。

 滴り落ちた闇色は慕わしげに『魔王』の体にまとわりつき、腐敗しゆく肌を覆い隠した。

 あっという間に漆黒が巻きついて、腕を、胴体を、脚を形作り、受肉して行く。

 何もかもが闇色を吸って黒くなった。

 黒い兜、鎧、篭手。

 騎士の出で立ち。

 その開いた顔面部は、何か黒い靄で覆われ、見通すことができない。

 圧倒されて声を出すことが出来なかった。

 ほとんどそれは一瞬のできごとであった。


 『魔王』の腕が宙にめり込み、虚空からずるりと長槍を引きずり出した。手首をしならせ風切って漆黒の槍を下げる。


 その姿は、まるで悪魔と死神を掛け合わせた怪物(フリークス)だった。


 青い鬼火をまとわりつかせた漆黒の槍は、どろりと水性インクを思わせる形状で闇に溶け消えた。

 息を呑む間もなく、残った黒い柄の先が桐島聖涙の眼前に現れる。

 直線に飛び出し、今にも打ちかからんとしていた桐島聖涙は避けそこね、仰け反ったまま、反対方向へ吹き飛ばされる。固まった私の方へと。


「桐島さん!」


 私が叫ぶのと同時に、『魔王』は鮮やかに天井めがけて高くトンボを切り、西口正面へ小気味良く降り立った。

 そのまま腰と胸が横に向き、水平に棒を構えた。次の瞬間には前を向いて身体にぴったりつけたまま手にした柄をくるくると目にも鮮やかに高速回転させる。目の高さにあてがった水平から天を突く垂直へ、大地を打ち据える直前まで薙ぎ払い、空気を打って払って水平へと戻る。

 まるで「どうだい、すごいだろう?」と言わんばかりに。


「くそが!」


 桐島聖涙は口汚く吐き捨てる。

 そう、『魔王』は、人間のように遊んでいるのだった。

 

 桐島聖涙は私を背後に、左腕を軸にして素早く立ち上がり、勢い良く走り出す。

 上体を左に回しながら左足を大きく振り上げ、宙高く踏み切った。振り上げた腕が跳躍を補助し、引き上げた腰のまま右足が蹴り上がる。

 空中に回転しながら『魔王』を迎え打った。バシン! という高らかな音が響き渡り、着地する前に『魔王』の柄に足元を薙ぎ払われる。

 だが、次の瞬間、魔王の周囲で小爆発が起こる。連鎖的に何発も何発も何発も。

 

「爆ぜろ!!!!」


 桐島聖涙の周囲に何か半透明の拳大ものが輪状に展開し、『魔王』へと次々にぶつけられていく。

 わかった。

 多分、マーカーだ。

 桐島聖涙は何らかの手段で、目標物にマーカーをつけ、そこに向けて爆弾のようなものを放っている。

 そして、吸着したものを、自分の好きなタイミングで爆発させているのではないか。

 先ほどの蹴りの接触でマーカーを付着させたのだろう。


 ――勝てるか?


  だが、不意に『魔王』はあっさり槍の柄を投げ出した。

  そして、黒兜の前にすうっと手をかざして下ろした。


「――っ!?」


  顔面を覆っていた黒い靄が取り払われ、現れた顔は――エミリオ王太子。

  桐島聖涙の衝撃はいかほどのものであったか。


  私は目が点になって動きが止まる。その僅かな空白が命取りだった。


  ほんの一瞬の出来事だった。槍は蛇そっくりに変容し、猛スピードで伸びる蔦を思わせるしなやかな動きで、



 ――防御姿勢を取り遅れた桐島聖涙の腹のど真ん中を貫いた。






――貫通だ。




 桐島聖涙は、まるでピンでとめられた蝶のように、壁に貼り付けとなった。

 血ではないインクのような闇色の液体がぼとぼとと滴り落ちては空気中に霧散する。


 あまりの高速攻撃に、何が起こったのか分からないという表情をする桐島聖涙に、


 『魔王』は次々と槍を放ち、本当に四肢を壁に縫い止められてしまった。


「あぐうっ」


 聞くに堪えられぬ悲鳴に、私は呆然とし、そしてまだ立ち上がることすらできない。


 エミリオ王太子の顔をした『魔王』は右腕を時計回りにぐるりと回転させた。すると、槍も同時に回転する。


「うわあああああああああああああぁぁああああああああああ!」


 虚空に絶叫を放った桐島聖涙かもしれなかったし、あるいは私かもしれなかった。

 桐島聖涙は油汗を流して痙攣し、激しくえづいた。耐え切れず床を血で濡らす。


 やめてよ、もうやめてよ。


 私は涙と鼻水で顔面をぐちゃぐちゃにしていた。

 こんなの酷すぎる。


 そして、反応の鈍くなった桐島聖涙に、『魔王』はこてん、と子供のように首をかしげ――多分、私を認識した。


「ひぃっ」


 いや。

 あの日の痛みが私を恐怖で縛り付ける。

 また痛いのはもう嫌だ。

 助けて。

 助けて。

 勇気なんて嘘っぱちだ。

 ここ数ヶ月の平穏な暮らしが、私を鈍らせていた。

 それはジャンが私を守ってくれたからだったのだ。

 もはや庇護者はいない。

 恐怖の穂先の痛みを鈍らせていた。

 やっぱり駄目。

 耐えられない。

  

 逃げ、

 逃げようとして、それは叶わなかった。

 視界いっぱいに、黒い兜が押し迫ったからだ。もし『魔王』が呼吸をしているのならば、吐息が触れるほどに接近していた。


 穿たれた真っ黒な空洞の眼窩に、エミリオ王太子の顔でにやりと嗤笑の形にいやらしく三日月型に吊りあがった口許。そこから闇色が溢れ出してこちらを侵食して来る気がした。槍が楽しげにくるりと回転する。


 混じりけなしの、純粋な恐怖に私はがくがくと脚が震えた。眩暈と吐き気とが一緒くたになって、瞠目しきった目玉が今にも転がり落ちそうだった。

 助けなど、期待出来ない。死ぬのだ。ここで、大した抵抗も出来ずに、簡単に、死ぬ。殺される。敵わない。助けてくれ。嫌だ。嫌だ。嫌だ! 目頭が熱くなり、生理的な涙が盛り上がる。

 一切の雑音が消えて、モノクロームの中に放り出され、世界からは色と音が失われた。


 なす術もなく凍りついた私の前で、『魔王』の指先が張り付いた黒兜に触れ、それを外してみせた。


 黒髪が額にぱらぱらとかかり、現れた顔に、私は。


「……ッ!!」


 絶句して、押し付けられた槍の存在も忘れ、ずるずるとその場に座り込んだ。


 呆けたままひりつく咽から、ようやくその名前を絞り出す。


「……だ……大輔……」


 黒兜を左手に持ち、大輔の顔をした悪魔はにやりと生前そのままに笑ってみせた。


「さつきちゃん、ひさしぶり」


 嫌だ。


 絶叫したい衝動に駆られる。


 止めろ。


 違う。


 大輔は。


 死んだ。


 吐き気。


 パシン! と大気が弾けた。


 私は絶叫していた。


 許せなかった。


 あんまりだった。


 もうすでに眠る人を、こんな風に貶めて。


 取り残された自分たちがどんなだったか。


 それを知らないで、『魔王』は大輔の顔を盗み取った。


 大輔の顔で、私を殺す気なのだ。


 酷過ぎる。


 畜生。


 畜生。


「なにいっているの? 僕、本物だよ?」


 取り外した仮面に向かって大輔の顔をした『魔王』は首を捻ってみせた。


「だって、僕、エミリオ君の顔は盗み取っただけだったけれど、仁王大輔本人だもの」


「左様で、左様で、ぎゃはははははははははは!」


 左手に持つ兜が急に喋りだした。

 ぎょっとした私に、したりしたりと頷き、冷気に哄笑を爆発させる。


 冷たい床に手をついたまま、私は鈍器で殴打されたみたいにガンガンと痛みを訴える頭で、今にも熱い液体が零れ落ちそうな涙腺を必死に抑制して、


「な……何を、言っているの……大輔は死んだんだぞ!」


 めいっぱい叩きつけた。カカカカカカカ! と兜が哄笑した。


「ひ~ひひひひ! こいつ、無知にもほどがあるぜ!」


 わからない、

 何を言っているの。

 ねえ、何を言っているの!?


「権限が委譲されたんだよ、おじょうちゃああああああんん!! 【養殖】は成功せりぃいい! 条件を満たしたのはお前だけじゃなああああああい!!! におうだいしゅけくん! おめでとう! たんじょうおめでとうぅぅ!!! 優先権ナンバーワンのお前が権利をけったからああ! だいしゅけくんが! おめっでとう! ハッピーバースデー!!!!!!」


 ……条件。

 なんだっけ?

 魔王になれる条件。

 は?

 そう、だよ。

 だって大輔も、大輔も殺されて、河に……ああああああ!!!!

 

 私と、おんなじに!?

 あのあと、私と同じにぃいいい!?

 嘘。

 嘘だよ。

 あの子が耐えられるわけがない、耐えられるわけがない!!


 だから。

 ああ、大輔。


「親殺し、子殺し、友人殺し、悪意! 更なる悪意!! 悲劇!!! 仕組まれしものおぉぉおおおお!! さいっこーのえんたーていめんとぉおおおおおおお!! 造物主は望んでいるゥッ 更なる悲劇をおおおっ」


 黒兜はげらげらと笑い続けた。





 ――選択してください。貴女は、『魔王』と戦いますか?


   YES

   NO




 


 精神的な残酷描写がきついとのご指摘がありましたので、紹介にダークファンタジーを追記させていただきました。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ