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あなたをわたしは



 あなたは、何回目? と彼女は問うた。


 私には意味が分からなかった。

 それは、追求すべき事柄だったのかもしれない。

 しかし、私はそれどころじゃなかった。

 

「桐島さん、御願い。こ、この人、助けて、御願い。魔法とか、なんでもいいから、治してください」


 私にできることはほとんどない。

 彼女なら、ひょっとしたら、ジャンを助けてくれるかもしれない。

 だから、ジャンに半ば取りすがるまま、頭を下げた。

 桐島聖涙は、無言で私を見下ろし、そしてジャンを一瞥し、


「無理。彼はモブ。治せない」


 一蹴した。

 モブ、という言葉が頭の隅に引っかかるが、今はそれを追及している場面ではない。

 私は唇を噛んで。

 ぐっと涙をこらえると、顔面を跳ね上げた。


「無理言ってごめんなさい。悪いけれど、この人――ジャンを見ててくれる? 助けを呼んでくるから」


 立ち上がりかけた私の肩を、万力のような力でぎりぎりと桐島聖涙がつかみ、引き下ろした。

 痛みもそうだが、出鼻をくじかれて、私は抗議の意味で彼女を振り返ったが、


「駄目」


 桐島聖涙の目はとても静かで、そして真剣だった。


「助けたいの?」


 再度問われる。この問いは、私にとってとても簡単だった。


「助けたい」

 

 短いその答えが全てだった。

 

「今」


 桐島聖涙は口を開いた。


「この世界は、彼にとってよくない方向に修正の力がかかっている。彼が己の本分を越えて、貴女に忠告したから。役割を外れたから」


 恬淡とした口調ながら、その言葉はとても真摯でまるでとても深いところから響いてくるかのようだった。

 そして、彼女は、元の桐島聖涙とは到底思えないほどに、ぶつ切りの話し方で、感情の機微は全く表情に表れなかった。


「『狩人』が来る。と思う。人に預けない方がいい。誰が『狩人』か分からないから」

「『狩人』?」

「役割を逸脱した者を狩る連中。この世界はゲームと連動している。モブ――NPCが予想外の行動をとったら、管理者はバグやウィルスを駆逐するでしょ? 似たような仕組み」


 そんな場合じゃない、と思ったのに、私は『ゲーム』という言葉に呼吸を止めた。


「この人、多分、元は私たちと同じプレイヤー。でも、コンティニューを諦めた。だからこの世界の住人に成り下がった。彼はもうプレイヤーじゃなくて、この世界の登場人物として、『ライフパス』をふられている。投降したプレイヤーは世界と同化して、『自分』を失う。でも、『名前』を守れば、全部は失わない」

 

 彼女は早口で説明する。

 ついていけなくなりそうになるが、一言も聞き漏らしてはいけない情報だと本能的に察した。


「とりあえす移動させる。人目つかないところ」


 私は頷き、自分の部屋に案内した。


  

 

 ジャンを寝台に寝かせたものの、医者を呼ぶこともできない。

 呼吸は浅いが、彼は生きている。

 桐島聖涙は、「無理」と言ったが、プレイヤーとしての彼女が授かった不思議な力で治療してくれた。

 彼女の「無理」は、根本的に死に至る病を治すことはできない、という意味での「無理」であった。

 病もまた、「役割を逸脱した登場人物への世界からの制裁または消去」であると彼女は言う。

 それに対して、プレイヤーは介入できない、と。

 私は青白いジャンの顔から目をはなせなかった。

 彼を失うかもしれぬ、と思った瞬間の恐怖が、いまだ臓腑を震わせる。

 全身から血の気の引く瞬間を、私は痛いほど思い知り、同時に彼に対する言葉にできないぐちゃぐちゃの気持ちを深淵にのぞきこまされることとなった。

 ジャンが知れば、恐らく「脳みそがゆだったのですか」と冷めた目で哂うだろう。

 先ほどの彼は異様であったが、いつもの彼なら、この大変な時に、と片方の眉を上げて、せいぜいこの気持ちの利用価値について試算されるのが関の山だ。

 だが、馬鹿な小娘と内心嘲笑われるならまだしも、失望する価値すらないと、そんな風に思われたら。

 そんな目で見られたら。

 どう考えてもよい方向には転がらぬと思え、私は震える拳を握り締めると、決して口にするまいとそれだけを決めた。

 寝台の傍らに椅子を寄せたまま、桐島聖涙に断って話の続きを請う。


「桐島さん、貴女どうしてそんな詳しく」


 桐島聖涙は、「うまく説明できるかわからないけれど」と前置きした。


「私はもう四回目。イベント発生で、別のプレイヤーの自分と『統合』したから記憶が連結した」


 ごめんなさい。さっぱりわからねーよ、と私は正直に打ち明けた。

 桐島聖涙も無表情ではあるが、困ったように眉根をやや寄せた。


「私も手探り。この世界、多分ゲームの世界と連動している。佐々木さん、『ヨーロピアン・インパクト』というオンラインゲームは知ってる?」

「ごめんなさい、しらな」


 言いかけて、私は唇を間抜けに開けた。

 心臓が一度、大きく脈打つ音が確かに聞こえた。

 私はのろのろと桐島聖涙を見上げた。


「――知ってる」


 そう、知っている。

 だって、確か、


「大輔が、やってた」


 桐島聖涙も緩慢に見えるほどにゆっくりと頷く。


「欧州をモデルにした舞台、歴史も類似している。その歴史改変に主眼を置いたゲーム。

 ただし、ファンタジー世界のミックス要素がある。

 プレイヤーは魔王サイドの眷属陣営とヒューマンサイドの陣営に分かれている。 

 各トップを倒すとインパクトが起こって、歴史が【改変】される。

 国家間戦争の他に、お互いにインパクトを起こすために、大規模戦争が用意されている」


 でも、あんまり関係ない、と桐島聖涙は肩をすくめた。


「ゲームとよく似ている。でもそれだけ。ここがゲームの世界なのかどうかなんてたいしたことじゃない」


 そうだ。

 ベースがあるゲームと似ているということが分かっただけで、そのことが現実に感じる痛みの軽減につながるわけではない。

 殴られれば痛い。

 それをもって、どうしてここはゲームの世界だから、その痛みは嘘だよ、という理屈が通じるだろう。

 あれがたとえ幻の痛みだったとしても、私はもう二度と耐えられない。


「私は最初、浮かれていた。精霊に無条件に愛されて、王子様に気に入られて、ちやほやされて。今とても恥ずかしい。

 何も分かってなかった。

 無条件に与えられた力も好意も自分のものじゃない。

 無条件に恩恵を与えられたら、無条件にしっぺ返しを食らうのも当たり前」


 自嘲する言葉ながら、それも熱を持たぬただの事実といわんばかりに抑揚なく彼女は続ける。


「三回死んだ。コンティニューするか、それとも諦めるか、この世界のシステム的なものに聞かれた。コンティニューを選んだ。だから今四回目」

「待って。桐島さん、最初は、普通に見えたけれど」


 彼女は最初よく怒ったし、やっぱり怒ったし、かなり猪突猛進だった。

 あのエミリオ王太子に食って掛かった彼女と、今目の前の彼女が同一人物だとは到底信じられない。


「イベントが起こったから。コンティニューしたら、記憶はリセットされる。でも、イベントが起こると、以前のプレイヤーの自分と統合される」


 イベント? 統合?


「イベントは人によってまちまち。私のイベントは、エミリオの死亡。彼が死ぬと、以前の私と統合されて記憶が戻ってきた」


 私は絶句した。待ってくれ。もしかすると、いや、多分桐島聖涙の目的は、エミリオ王太子を死なせないことなのではないのか? ならば、その条件は――あまりに酷だ。

 あいつを私は八つ裂きにしても足りぬほど憎んだが、同時に身体全てで恐れた。

 私はもう怒りに任せて拳を振り上げることができない。

 義憤よりも、自分が大切だった。そんな自分を身をもって知ってしまった。

 今は恨みよりも、もっと遠くにある。

 そして、桐島聖涙の物語を私は知らぬのだ。

 

「戻って来る時点は色々。プレイヤーメンバーは、毎回顔ぶれが違う。佐々木さんに会うのは初めて。でも、以前の世界と今の世界が同一のものかは分からない」


 それはそうだ。

 タイムパラドックスについて私も詳しいわけではないが、巻き戻しが起こっているなら、色々な矛盾が生じてくるというのは私のアホな頭でも分かる。

 

「桐島さん、私は初めてだけど、だ、大輔は? 他の人たちは?」

「今回のメンバーは、皆私にとっては初顔。でも、彼らは彼らで何回目なのか私には分からない」


 頭がいっぱいだ。

 考えて。考えろ。

 でも、どう思考したらいいのか分からない。

 気がつくと、私はジャンの手を握り締めていた。


 彼が元プレイヤー? じゃあ異世界人じゃなくて、私と同じ世界から来たってこと?

 諦めると、この世界の登場人物になってしまう。

 じゃあ、もし、私が死亡して。

  

 もう何もかも嫌だと全てを放棄していたら、文字通りこの世界の一員になってしまっていたというのか。

 ぞっとした。


「どうしてあきらめるなんて、」


 言いかけて、私は言葉を途切れさせた。

 あの地獄が。

 何度も何度も何度も何度も繰り返されたら。

 私は、諦めないだなんて言える?

 だって私は願った。

 何でも捧げるから助けて欲しいと願った。

 それが、『自分自身』だとしても、あの瞬間、あの時、もしそれから逃れるための代償に要求する者があったら。

 激痛から一瞬でも逃れるためなら、喜んで捧げただろう。

 

「――酷い」


 ジャンの手を痛いほどに握り締める。

 

「――酷過ぎるよ」


 頬に熱い液体が流れた。

 そうか、だからジャンは助けてくれたのか。

 

 桐島聖涙は淡々と告げた。


「この世界はとても巧妙。酷い世界。自然にできたものとは思えない。でもゲームの中じゃない。皆『生きてる』。だからきっと現実。でも、何かの意思を強く感じる」


 そして私は、と彼女は続けた。


「人の理屈じゃない気味の悪い意思と、とても人らしい悪意と、両方を感じることがある」


 いいざま、とても自然に彼女は剣を抜いた。ぎょっとする私に、


「これから、後者が来る」


 誰の手も借りずに、窓が開け放たれた。

 風が身をよじり、ごう、とふきつける。


 何かが。

 悪意が、黒雲の形をとって空いっぱいに広がり、私の前に現れようとしていた。


 


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