Ⅴ.永遠を願って
ある時突然、杖から魔力が消えました。
いつの間にやらそこにあるのはただの木の枝に変わり果てていて、もう魔法の力は跡形もなく無くなってしまっています。
私は焦りました。
これではもう魔法が使えない、まだ亀裂全体の一割すら覆えていないだろうに!
しかし、すぐに問題がないことを悟るのでした。
ふと足元から、花びらが一枚舞い上がったのです。
視線を下げてみると、いつの間にか辺りには一面の花畑が広がっていました。
蔓から咲いた小さな花々が連なって、このように見事な花畑になったようです。
試しに一歩、その存在を確かめるように踏みしめてみると、小さな花々は、その花びらいっぱいに私という存在を受け止めてくれ、力強く押し返してくる気さえします。
私にはない、儚くも凛々しい生命の鼓動を感じ、私の視界は流れるはずのないものでじわりと滲みました。
魔法でできた、偽物の命ですが、こんなに美しく輝いています。
魔女様は以前この魔法について、「効果は大した事ない」だなんておっしゃいましたけれど、そんなはずがございません。
何年も何百年も生命を分断してきた亀裂を塞ぐ魔法。そんなものを目の当たりにして一体誰が『大した事ない』だなんて言えるのでしょうか。
確かに魔女様からすれば、一度で亀裂を覆いきれない『大した事ない』魔法なのでしょうけれど。
少なくとも私のような力の弱い人形は、そのようなことは到底思えないのでした。
「わーっ! 橋?! 橋だ! お花の橋がかかってるーっ!」
突然、背後から飛び込んできた元気の良い声に、私の意識は戻されました。
振り向いて声の主を探すと、わずか5歳程の幼い男の子が、ガラス玉のように透き通った瞳を大きく開けて、驚愕の眼差しをこちらに向けていました。
彼はどこからともなく現れた得体のしれない花の橋に躊躇なく飛び込み、私にまっすぐ駆け寄ってきます。
「お兄さん! お兄さんがこの橋かけたの?!」
そして無邪気に私に問いかけました。
私は人と話をするのはかなり久しぶりのことでしたので、一瞬言葉が詰まってしまいました。
「い……いえ、私だけではなく、私の、……御主人様も、です」
「ごしゅじんさま? へーえそうなんだ、そうなんだ、すごいねえーっ。あのね、ほんとはぼくが大きくなったら、ここにでっかい橋をかけてあげるよって、お母さんと約束してたんだけど、お兄さんたちに先こされちゃったみたいだなあ」
「そうだったのですか。それは申し訳ないことをしました……。……そうだ、代わりと言ってはなんですが、この本を持って行ってはくださいませんか」
私は片膝をついて目線を合わせ、男の子に両手で魔女様の本を差し出しました。
男の子はきょとんとしています。
「えほん?」
「いいえ、これは私の御主人様が書いた、魔法の本です」
「まほう! おばあちゃんから聞いたことあるよ! あれっ、じゃあもしかしてこの橋って、まほうでできてるの?!」
男の子は足元を見て、興奮したように飛び跳ねました。
「よくわかりましたね。この本にはね、この橋をかける魔法が書かれているのです。なのでこの先、もし君が魔女に出会うことがあったら、この本を渡してくださいませんか。そして、もっとたくさんの橋をかけてくれるようお願いして欲しいのです」
男の子は両手でゆっくりと本を受け取り、本の表紙に描かれた白く瞬く星を、小さな指で確かめるようになぞりました。
「わかった、ぼくがわたしてあげる!」
男の子は本を両手でしっかりと抱え、走り去っていきました。
その小さな背中が見えなくなった頃、私は花畑から一際大きく花開く純白の花を一輪だけ手折り、杖だったものを握り締め、花畑を後にしました。
こうして、『東の魔女』セレー・フラウが、最期の時間を費やして創り上げた三ページに渡る長い魔法は、無事に完成したのでした。
男の子に託した本は、いずれ誰か他の魔女の手に渡り、そこから別の魔女へ、また別の魔女へと沢山の魔法の使い手に、橋をかける魔法を伝えるきっかけとなってくれるでしょう。
そうして皆が亀裂に橋をかけていけば、いつかあの広大な亀裂も、美しい花畑で塞がるはずです。
多くの人が祈りました。
多くの人が望みました。
何百年にも渡る人々の願いは、魔女様の魔法で叶えられようとしています。
私は少なからずそのお手伝いができたことを、心から光栄に思うのです。
さて、ここからのお話は、後日譚となってしまうのですが、また十日かけて家に戻った私は、得も知れぬ脱力感に襲われ身動きが取れなくなってしまいました。
日々あの方のやわらかい鈴の音のような笑い声が恋しくなって仕方がありません。
一日でも早く魔女様に会いたい、そんな思いばかりが、私の中で激しく脈打っています。
しかし、死に急ぐようなことは、したくない。
自分の行動は、今度こそ、自分で選ばなくてはいけません。
せっかく魔女様がくれた命なのですから。
魔法仕掛けでも、命なのですから。
私はおもむろに立ち上がり、窓に近づきました。
窓辺には、魔女様の杖と、一輪の純白の花が水の入ったグラスに飾られています。
花畑から持ち帰ったものですので水が無くとも別に枯れはしないのですが、何となく、見てくれだけでもそれらしくしたいと思ったのです。
私はぎこちなくそれに手を合わせ、語りかけます。
「魔女様」
枯れない花、永遠の命で彩られたこれは、お墓の代わりです。
「私、庭でラズベリーを育ててみることにします」
近頃ラズベリーティーのあの温かく甘酸っぱい香りが鼻をくすぐっている気がして、無性に飲みたくなるのです。
衝動に駆られて、私は数百年ぶりに街へ繰り出し、いつから持っていたのかもわからないわずかな硬貨を握り、ラズベリーの苗だとか園芸の本だとかを、よくわからないままに買い込んでしまいました。
そもそも市販のラズベリーティーを買えば良いだけの話なのですが、せっかくの機会なので魔女様へのお土産話を作りたいと思い、苗から育てることにしました。
うまくいくかは……まだわかりませんが。
あと五年。
五年で、恐らく私の魔力は、今度こそ、雫の一滴すらも残らず無くなってしまうことでしょう。
橋の作成にかなりの魔力を使用してしまいましたので。
五年で、果たして何杯のラズベリーティーが出来上がることでしょう。魔女様のお好きなラズベリーティー。
間違いなく、それは最高のお土産話となるに違いありません。魔女様はきっと、私のお話をそれは楽しそうに笑いながら聞いてくださるのでしょう。
苗を植える場所を決めようと思い庭に出てみると、東の方から一枚、また一枚と風に乗って舞ってくる淡い色の花びらが、向こうの様子を知らせてくれました。
この調子なら、私が動けなくなる前に、一目見ることができるかもしれません。
『永遠の花畑』
街に出た際に耳に入ってきました。
どうやら人々はあれにそう名付けたそうです。
永遠……素敵な言葉です。
どれだけ素体の朽ちない人形でも、どれだけ力の強い魔女でも、全ての生きとし生けるものには到底手に入らないものですが、魔法の花畑はその名の通り、きっとこの先永遠となってこの世界に残るのでしょう。
この世界に、魔法が生き続ける限り。
この世界に、命が芽吹き続ける限り。
『それでもわたしは、
あなたに出会えて 本当に良かった』




