Ⅳ.蔓を辿って
魔法が完成したのは、それから百年余りの年月が過ぎた頃でした。
魔法作りに夢中になっていたので、正確な日数はもうわかりません。
私は何日も何日も机に向かい、我ながら可笑しく思うのですが、いかにも人間らしく頭を掻いて悩みながら、やっとの思いで完成させたのでした。
早速、とまだ日も昇らないうちに外に出て、本と杖を片手に、もはや暗記してしまった長い呪文を一言ずつ口に出しました。
やがて最後の言葉を、噛み締めるように口にすると、小さく、しかしはっきりと杖の先端に光が灯ったのです。
魔法が問題なく発動したことがわかり、私は百年分の大きな達成感を感じました。
灯った光は地面に落ち、そこには淡い桃色の小さな花が咲きました。
花からはだんだんと緑の蔓のようなものが伸び、それは何か明確な意思を持った生き物のように、地面を這ってどこかに向かい始めます。
私は一体何を生み出したのだろうかと少しの不安を覚えましたが、発動した魔法を止めようにも、私にはやり方がわからないのでどうしようもありません。
仕方なく私は蔓を辿っていくことに決めました。
私は止まる様子のない蔓の後ろを、ひたすら真っすぐ着いていきました。
どれだけ歩いたのでしょう。太陽はすっかり頭上で輝いており、かと思えばあっという間に地平線の彼方へ沈んでいきました。
昼を越え夜を越え、場合によっては世界を一周するまで止まらないのではと錯覚するほど、本当に長い距離を歩いて行きました。
丸々十日かけてようやく蔓は目的地に着いたようで、突然ピタリと成長を止めました。
私もやっと足を止めて、大きく息を吐きました。
こんなに歩いたのは、魔女様に魔法をかけられた時以来です。
実を言うと私に疲労を感じる作りはないのですが、それでもいつか宿った私の意思は疲労に似たものを感じているようでした。
私は一体どこに辿り着いたのでしょうか。
歩く動作にばかりに気を取られていた私は、そこで初めて視線を上げてみました。
「……っ」
思わず、足を引きました。
もしあとほんの少しでも前方に体の軸を傾けていれば、今頃私は間違いなく真っ逆さまに落下していたでしょう。
さすがの私も今回ばかりは肝が冷えました。肝臓は無いはずなのですけど。
そこは、なんと亀裂の一歩手前なのでした。
かつて魔女様が、ご友人だったリリカ様との大喧嘩によって出来たものです。
大喧嘩。
あの世界に大きな衝撃を与えた二人の魔女の戦いの発端は、ただの喧嘩だったのでした。
ただその喧嘩の当事者達が、お互い強大な力を持つ魔女だったため、あれ程の被害になってしまったというだけで、二人からしたら、『たまたまちょっと白熱しちゃったいつもの喧嘩』でしかなかったのでしょう。
リリカ様のお話は、私が作られてからのたった三日の中でも幾度となくお聞きしました。更に一年の旅の中でも、魔女様は何度もリリカ様のことを口にしていました。
魔女様は最後の喧嘩の仲直りが出来なかったことを、少なからずお気になさっているご様子でした。それだけ魔女様にとって、リリカ様は大切なお友達だったのだと思います。
『本当はね、あんな亀裂、いつでも簡単に飛び越えていけるのよ。でもリリカちゃんが頑なにわたしと口を利こうとしないから、少しほとぼりが冷めてから会いに行こうと思ってたの。まさかわたしが会いに行く前に死んじゃうなんてね!』
脳内に魔女様の姿が浮かび上がります。そうそう、確かそんなことをおっしゃっていました。
長命種の魔女は時間の感覚を掴むことが苦手と聞きますし、魔女様もリリカ様がお亡くなりになられて初めて過ぎ去った時間の長さを知ったのでしょう。
さて、話を戻しますが、どうやら蔓が目指していたのはこの亀裂のようでした。しかしこんなところに、一体何の用があるというのでしょう。
見ると、何やら蔓は東に向かって急激な成長をし始めていました。
一本のそれは途中で何度も枝分かれし、やがて何本もの蔓が絡み合って網のようになりながら、亀裂をまたいで対岸へと向かっているようでした。
更に道すがら、色とりどりの小さな花を咲かせていくものですから、網は段々と花のアーチへと姿を変えていきました。
向こう岸に辿り着くと蔓はその場で、蛇がトグロを巻くかのように丸くなり、それっきり動かなくなります。
私はその姿を見てひとつの可能性に気付きました。
魔法で作られた植物は通常、術者が魔法を解除しない限り枯れることが無く、また自然の命あるものよりもかなり丈夫です。
強度は術者の魔力にもよりますが、今回私が使ったのは魔女様の杖であり、そこに宿る魔女様の魔力ですので、よほどのことが無い限り壊れることはないでしょう。
もしかしたら__もしかしたらの話ですが、これは、橋になるのではないでしょうか。
魔女様が最期に残した魔法は、自ら壊してしまった世界を修復するための、あの方なりの償いなのでは。
そのことに気付いてから私は、何度も何度も何度も、あの長い魔法の呪文を繰り返し唱え続け、亀裂を覆うように蔓を伸ばしていきました。
ほつれてしまった洋服を、細い糸で縫って繕うかのように、少しずつ、魔女様と私の魔法で、橋をかけていきました。
二つの国を繋ぐ、大切な架け橋。
魔法によって壊された世界は、魔法によって修復されようとしているのでした。




