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クロスワールドーー48歳のサバイバル馬鹿が異世界に放り込まれた結果、まず飯を作り始めるーー  作者: こっちのあっきー


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謁見の間

 高くそびえる城壁。磨き上げられた石の床。見慣れたはずの景色だったが、長い旅を終えた今のリディアには、どこか遠い世界のように感じられた。ノトスで見た荒れた農地や、グリーンゲートで働く人々の姿が、脳裏から離れない。


 謁見の間。


 高い天井から吊るされた燭台が淡い光を落とし、赤い絨毯が玉座までまっすぐに伸びている。左右に並ぶ貴族や重臣たちの視線を受けながら、リディアはゆっくりと歩を進めた。


 その視線は、単なる出迎えのものではなかった。


 値踏みするような目。探るような目。そして、彼女が何を持ち帰ったのかを恐れるような目。


 玉座に座る国王アレクスの前に、リディアが進み出る。


 長旅の疲れを押し隠し、深く一礼した。


「ただいま戻りました、お父様」


「うむ。よく戻ったな、リディア」


 久しぶりに見る父の顔。


 懐かしさが胸に込み上げる。だが、それに浸っている余裕はなかった。リディアには、ノトスで見た変化と、これから王国に伝えなければならないことが山ほどあった。


「まず、ノトスについてご報告があります」


「聞こう」


「ノトスの農地は、確実に回復へ向かっています」


 リディアは、ノトスで学んだことを一つずつ説明していく。


 同じ作物ばかりを作り続けることで土地が痩せてしまうこと。


 作物を変え、土地を休ませ、農地を循環させることで土壌を回復させること。


 そして、それを実際にノトスで行った結果、農業が再び動き始めていること。


 言葉を重ねるたび、リディアの胸にはノトスで見た光景が蘇った。芽吹き始めた畑。土に触れながら笑う農民たち。収穫を期待して空を見上げる子供たち。


 国王アレクスは黙って聞いていた。


「つまり、それがノトスの農業を立て直す鍵になったということか」


「はい」


「素晴らしいな……」


 その声には、驚きだけでなく、長く停滞していた王国に新たな可能性を見出した者の感慨が滲んでいた。


 だが、貴族たちの反応は一様ではなかった。


 感心したように頷く者がいる一方で、互いに目を交わし、何かを計るように口元を歪める者もいる。ノトスの復興が王国全体の利益になると理解しながら、それが誰の手柄になるのかを気にしているのだ。


 リディアは続ける。


「そして、もう一つご報告があります」


「なんだ?」


「グリーンゲートという街があります」


 国王が眉を動かした。


「グリーンゲート?」


「はい。ノトスから移った者たちを受け入れ、急速に発展している街です」


 リディアは、自分が見てきたグリーンゲートについて説明した。


 移民を受け入れ、街を拡張していること。


 コランドが中心となって、その運営に尽力していること。


 そして、ノトスの回復とともに、人々が少しずつ新しい生活を求め始めていること。


 話を聞くにつれ、謁見の間にいた者たちの表情が変わっていく。これまで王国の片隅で起きていた変化が、やがて国全体を揺るがすほどの流れになりつつあることを、誰もが感じ始めていた。


 同時に、別の計算も始まっていた。


 移民が増えれば、税が動く。街が栄えれば、商人が集まる。新たな農地と食糧の流れを誰が握るかによって、王国の勢力図そのものが変わる。


 リディアが語る希望の裏で、貴族たちはすでに利益と損失を数え始めていた。


「そこで私は、一つお願いがあります」


「言ってみなさい」


「ノトスとグリーンゲートを、私の直轄地としていただきたいのです」


 謁見の間に沈黙が落ちる。


 先ほどまでの静かなざわめきが、刃物で断ち切られたように消えた。


 燭台の炎が揺れ、誰かが息を呑む音だけが小さく響いた。


 次の瞬間、沈黙を破るように、列の中ほどにいた老貴族が一歩進み出た。


「お待ちください、殿下」


 低く抑えた声だったが、そこには明らかな反発が滲んでいた。


「ノトスとグリーンゲートを王女殿下の直轄地にするということは、既存の領主たちの権限を奪い、王家が新たな領地を抱え込むということです。前例がありません」


「前例がないからこそ、必要なのです」


 リディアは怯まずに答えた。


 別の貴族が鼻で笑う。


「必要? それは殿下がノトスで見た一時的な成果に浮かれているだけではありませんか。農地が少し回復した程度で、王国の制度まで変えるおつもりですか」


「一時的な成果ではありません。人々はすでに動き始めています。ノトスには移民が集まり、グリーンゲートにも新たな住民が押し寄せているのです」


「だからこそ危険なのです」


 今度は重臣の一人が口を挟んだ。


「一万人もの民が一つの地域へ流れ込めば、税も兵も、誰が管理するのです。王女殿下が独断で動かせば、王国の統治そのものが揺らぎます」


 貴族たちの間から、抑えきれないざわめきが広がった。


「王女が直轄地を持つなど、他の領主への示しがつかぬ」


「ノトスは本来、我々の管轄に置かれるべきだ」


「グリーンゲートなど、名も知らぬ街を王家が特別扱いする理由がない」


 声は次第に大きくなり、反対意見はいつしか一つの流れへと変わっていった。


 リディアは拳を握りしめた。


 彼らが見ているのは、土地と権限だけだった。そこに暮らす人々の飢えも、再び芽吹いた畑も、街道を埋め尽くす移民たちの不安も、彼らの関心の外にある。


 国王アレクスが片手を上げると、ざわめきが止まった。


「静まれ」


 短い言葉だった。


 だが、玉座から放たれた声には、逆らうことを許さない重みがあった。


 アレクスはリディアを見つめた。その目からは、先ほどまでの父親としての温かさが薄れ、国王としての鋭い警戒が覗いている。


「リディア、お前がノトスとグリーンゲートを直轄地にしたい理由は分かった。だが、王家の名の下に二つの街をまとめ、そこへ大量の民を集めるとなれば、単なる復興事業では済まぬ」


「承知しています」


「本当に分かっているのか? 直轄地とは、王家が直接、税と兵と人事を握るということだ。お前が望む形になれば、ノトスとグリーンゲートは王国の中でも特別な力を持つ。そこにお前が信頼する者を置けば、王都の命令が届かぬ独立勢力にもなり得る」


 謁見の間の空気が、さらに重くなる。


 リディアは父の警戒を正面から受け止めた。


「そのような意図はありません」


「意図の問題ではない。力が集まれば、周囲がどう見るかが問題なのだ」


 国王の視線が、貴族たちへ向けられる。


「そして、貴族たちが反発する理由も理解している。領地を奪われると考える者が出るのは当然だ」


 老貴族が深く頭を下げた。


「恐れながら、陛下。王国の秩序を守るためにも、慎重なご判断をお願いいたします」


 その言葉に、何人かの貴族が同調するように頭を下げた。


 しかし、その目は王ではなく、互いの顔を見ていた。


 反対の声を上げる者がどれほどいるのか。誰が味方につくのか。誰が最初に動くのか。


 謁見の間は、すでに議論の場ではなく、勢力を測る場へと変わり始めていた。


 リディアは一歩前へ出た。


「では、秩序を守るために、飢えた人々を見捨てるのですか?」


 鋭い言葉が、謁見の間に響いた。


「ノトスもグリーンゲートも、すでに王国の未来を支える場所になりつつあります。誰が管理するかを争っている間にも、人々は移動し、街は膨らみ、問題は増えていく。今、責任を持って統治する者を決めなければ、混乱するのは民です」


 貴族の一人が声を荒らげた。


「その責任を、なぜ殿下が負えるとお考えなのです! 王都を離れていた三ヶ月ほどの経験だけで、領地経営を語るなど――」


「その三ヶ月で、あなた方が何年かけても成し遂げられなかったことが起きたのです」


 リディアの返答に、貴族は言葉を失った。


 国王の眉間に深い皺が刻まれる。


「リディア」


 たしなめるような声だった。


 だが、その声の奥には、彼女の言葉を無視できないという苦い認識もあった。


「お前の熱意は分かった。だが、直轄地の設置も、そこへ置く者の任命も、王国全体に関わる重大な問題だ。簡単に認めるわけにはいかぬ」


「それでも、お願い申し上げます」


 リディアは深く頭を下げた。


「ノトスとグリーンゲートを、私の直轄地としていただきたいのです」


 しばらく、誰も口を開かなかった。


 やがてリディアは顔を上げる。


「そして、領主として推薦したい人物がいます」


「誰だ?」


「りょうという人物です」


 国王の表情が変わった。


「りょう?」


「はい」


「何者だ」


「私がノトスで見てきた変化。その多くに関わっている人物です」


 リディアは、りょうについて知っていることを話した。


 農業。


 食糧。


 ノトスの復興。


 そして、グリーンゲートの発展。


 彼がいなければ、ノトスの畑が再び息を吹き返すことも、グリーンゲートにこれほど多くの人々が集まることもなかった。リディアはその事実を、強い確信を込めて語った。


 だが、貴族たちの反応は先ほどよりも激しかった。


「その男を、領主に?」


「はい」


「貴族なのか?」


「いいえ」


 リディアは首を横に振った。


 謁見の間に、嘲笑と驚きが入り混じった声が広がる。


「平民を領主にするおつもりか」


「農夫上がりに爵位を与えるなど、我々への侮辱ではないか」


「功績があるからといって、家柄を無視すれば王国の秩序が崩れるぞ」


 先ほどまでの反発が、今度は明確な敵意へと変わった。


 リディアはその声を真正面から受け止めた。


「だからこそ、私は王国に迎え入れるべきだと思っています」


「実績だけで貴族になれるなら、これまで家名を守ってきた者たちは何なのです!」


 誰かが吐き捨てるように言った。


 その瞬間、国王アレクスが鋭い視線を向けた。


「黙れ」


 今度の一言には、先ほど以上の威圧があった。


 貴族は青ざめ、口を閉ざす。


 アレクスはりょうという名を反芻するように、ゆっくりと口を開いた。


「その男は、王家に忠誠を誓うのか?」


「はい。少なくとも、私が見た限りでは、権力や名誉を求めて動いている人物ではありません」


「それはお前の見立てに過ぎぬ」


「承知しています」


 リディアは一歩も引かなかった。


「だからこそ、王国の監督下に置くべきなのです。彼を野放しにするのではなく、正式に王国へ迎え、責任と権限を与える。そうすれば、ノトスとグリーンゲートの発展を王国のために活かせます」


 国王は黙り込んだ。


 謁見の間にいる者たちも、固唾を呑んでその答えを待っている。


 やがて、側に控えていた者へ視線を向ける。


「グレオール男爵については?」


「これまでの功績を考えれば、昇爵が妥当かと」


「そうか……」


 国王は再びリディアを見る。


「グレオール男爵を子爵へ。そして、りょうという男を王国の貴族として迎える、か」


「はい」


 アレクスはすぐには頷かなかった。


 ノトスを立て直し、グリーンゲートを発展させた人物。


 しかも、その人物はまだ王国の貴族ですらない。


 その男に爵位を与え、二つの街を任せれば、王国にとって大きな力になるだろう。だが同時に、王家にも貴族にも制御できない存在へ成長する可能性がある。


 国王アレクスは、初めてその名に強い興味と警戒を抱いた。


「……一度、会ってみたいものだな」


 その声に、リディアは静かに頷いた。


 だが、謁見の間に漂う緊張は消えていなかった。


 むしろ、対立の形がはっきりしたことで、空気は以前より危うくなっていた。


 貴族たちは、りょうという平民が王国の秩序を揺るがす存在になるのではないかと疑い、国王は、リディアが二つの街とその男を手にして何を成そうとしているのかを見極めようとしている。


 リディアはそれらすべての視線を受け止めながら、ノトスで見た人々の笑顔を思い浮かべた。


 ここで退くわけにはいかない。


 新たな時代を始めるために、彼女はこの場に立っているのだから。


 そして、この申し出は、単に二つの街を自分の支配下に置きたいという願いではなかった。


 りょうと交わした約束――「私が王国から守ります」――を実現するための行動だった。


 ノトスとグリーンゲートを王女の直轄地とすれば、りょうを王国の正式な貴族として迎え入れ、彼の功績と立場を王家の名の下で守ることができる。彼を平民のまま危うい立場に置くのではなく、責任と権限を与え、王国の制度の中で堂々と生きられる場所を作る。


 それは同時に、りょうが築き上げた街と、そこで暮らす人々を、既存の貴族たちの都合や横槍から守るためでもあった。


 リディアは、りょうが自分のために危険を背負ってきたことを知っている。


 だから今度は、自分が彼を守る番だった。


「はい。きっと、お父様も気に入ると思います」


 その言葉が落ちた直後、謁見の間の隅で、誰にも気づかれぬように一人の貴族が目を伏せた。


 その表情に浮かんでいたのは、敗北の色ではなかった。


 決意だった。


 飢饉が始まってから、彼らは王都に届く報告を選別し、被害の実態を隠し続けてきた。領地の備蓄を横流しし、民の死者数を少なく見せ、責任の所在を曖昧にすることで、処罰を免れてきたのだ。


 だが、リディアの帰還によって、その欺瞞は崩れ始めている。


 ノトスの農地が回復し、移民が動き、食糧の流れが生まれた。これまで隠されていた飢饉の実態も、やがて王家の前に突きつけられることになるだろう。


 すでに農林大臣と税務大臣は、飢饉に関する虚偽報告と備蓄横流しの責任を問われ、連座を言いつけられていた。


 だが、それはまだ始まりに過ぎない。


 リディアが三ヶ月にわたる視察で見聞きした内容を正式に報告すれば、彼らの罪は決定的なものとなる。ノトスの荒廃、失われた税、消えた備蓄、そして王都へ届かなかった食糧。その一つひとつが、これまで隠されてきた事実を裏付ける証拠になる。


 もし真実が明らかになれば、彼らは連座を免れない。


 大臣たちだけではない。報告を握り潰し、備蓄を奪い、見て見ぬふりをしてきた上級貴族たちもまた、同じ罪に問われることになる。


 彼らに残された時間は、もう多くなかった。


 しかし、彼らは知らなかった。


 リディアが視察へ向かっていたこの三ヶ月の間、彼らが水面下で進めていた反乱の誘導が、すでに別の者たちによって利用され始めていたことを。


 彼らは、ノトス周辺の領主へ密使を送り、リディアの直轄地構想への反発を煽っていた。移民の流入を恐れる者、領地を奪われると怯える者、平民であるりょうが爵位を得ることに憤る者。彼らの不安を利用し、王女への敵意を育て、反乱の火種を各地へ撒いていた。


 だが、その噂の流れを追い、密使の動きを把握していた者たちがいた。


 ノトスとグリーンゲートの側では、反乱を起こそうとする者たちの動きをあえて止めず、彼らが誰と繋がり、どこから命令を受け、どのように民を煽っているのかを記録していた。


 反乱を誘導する者たちは、自分たちが罠を仕掛けているつもりだった。


 しかし実際には、彼らの言葉も、密書も、資金の流れも、すべてが一つの場所へ集められていた。


 リディアが王都へ戻り、現状を報告する。


 農林大臣と税務大臣の連座が確定する。


 その瞬間に、彼らが反乱を起こせば、王家は飢饉の責任を追及するだけでなく、反乱を企てた者たちの罪まで一挙に明らかにできる。


 彼らが自ら用意した反乱の導線は、ここで初めて役に立つ。


 その夜、王城の奥深くにある一室へ、数人の大臣と上級貴族が集まった。


 誰もが声を潜め、扉の外を何度も確認している。


 昼間の謁見で交わされた言葉が、まだ耳に残っていた。


 直轄地。


 平民への爵位。


 そして、王女の手に集まり始めた民と食糧。


 それらは、彼らにとって単なる政策ではなかった。これまで築いてきた権力と、隠してきた罪を同時に脅かす刃だった。


「このままでは、我々は終わりだ」


 最初に口を開いたのは、飢饉に関する報告を握っていた大臣だった。


「リディア殿下がノトスで見たものを、王都へ持ち帰ってしまった。あの方は民の前で、農地が回復していることも、食糧が存在することも語っている。いずれ、なぜ王都には何も届かなかったのかと問われる」


「問われるだけでは済まぬ。調べられれば、備蓄の流れも、虚偽の報告も、すべて露見する」


 別の貴族が震える声で答えた。


 部屋の中央に置かれた卓上には、王国の地図が広げられている。


 王都。


 ノトス。


 グリーンゲート。


 そして、リディアが直轄地として求めた二つの街。


 その周囲には、彼らの領地がいくつも記されていた。


「直轄地の設置を認めさせてはならぬ」


 老貴族が、地図上のノトスを指で叩いた。


「あの二つの街が王女の手に入れば、我々の報告を通さず、食糧も税も人も直接王都へ流れる。そうなれば、これまで何を隠してきたのか、すぐに明らかになる」


「だが、陛下はすでにリディア殿下の提案を無視できぬところまで追い込まれている」


「ならば、別の問題を起こせばよい」


 その言葉に、部屋の空気が変わった。


 誰もすぐには口を開かなかった。


 やがて老貴族が、王都の奥にある玉座を見据えるように顔を上げた。


「反乱だ」


 誰かが息を呑んだ。


「反乱を起こせば、王国は非常事態になる。直轄地の議論どころではなくなり、我々も飢饉の責任を問われる前に、反乱鎮圧の側へ立てる」


「しかし、反乱を起こせば、我々も連座するのでは?」


「王命に背いた反乱ではない。民が暴発したのだ。あるいは、王女殿下の急進的な政策に反発した領民が、王家への不満を募らせた――そう説明すればよい」


 彼らが求めているのは、勝利ではなかった。


 責任の所在を、別の場所へ移すことだった。


 飢饉を隠してきた罪を、反乱という混乱の中へ埋める。王国が揺らげば、過去の帳簿を調べる余裕も、誰が何を隠したのかを追及する余裕も失われる。


 そして、反乱を鎮めるために王家が軍を動かせば、彼らは王国を守る忠臣として振る舞える。


「問題は、誰を怒らせるかだ」


 大臣の一人が呟いた。


「領民を煽るだけでは足りぬ。王家そのものが、反乱の原因だと思わせなければならない」


 老貴族の視線が、地図上のノトスへ移る。


「リディア殿下の直轄地構想を利用する」


「殿下を?」


「ノトスとグリーンゲートを王女が奪い、平民のりょうに領主の地位を与える。そう触れ回ればよい。既存の領主を追い出し、貴族の権利を踏みにじり、平民に王国を支配させようとしている――とな」


 その言葉に、何人かの貴族が顔を見合わせた。


 リディアの提案は、彼らにとって脅威だった。


 だが同時に、利用するにはあまりにも都合がよい。


 王女が直轄地を持つ。


 平民が爵位を得る。


 これまで家柄と血筋によって守られてきた秩序が、功績と実力によって覆される。


 その恐怖を煽れば、第一王子派にも第二王子派にも、王女への警戒を抱かせることができる。


「王位継承にも関わる」


 別の貴族が、低い声で言った。


「リディア殿下が直轄地を持てば、王女殿下は単なる王位継承候補ではなくなる。税と兵を直接握り、民から支持を集める存在になる。第一王子殿下も、第二王子殿下も、黙って見てはいられまい」


「そうだ。どちらかが動けばよい」


 老貴族は、冷たく笑った。


「我々が直接手を下す必要はない。リディア殿下が王位を狙っている、直轄地を足場に王子たちを排除しようとしている――そう思わせるのだ」


「そして、王子のどちらかに殿下を排除させる?」


「暗殺でも、失脚でも構わぬ。重要なのは、王女殿下が王位継承争いの中心から消えることだ」


 部屋の中に、重い沈黙が落ちた。


 それは、王国の未来を左右するほど危険な企てだった。


 だが、彼らにとっては、自らの罪を隠すための最後の手段だった。


 第一王子には、リディアが直轄地と民衆の支持を背景に王位を奪おうとしていると吹き込む。


 第二王子には、第一王子がすでにリディアと手を結び、自分を排除しようとしていると囁く。


 互いに疑わせ、競わせ、焦らせる。


 その混乱の中で、リディアが王位継承の障害だと思わせれば、どちらかが必ず動く。


「では、誰が第一王子へ?」


「私が行こう。あの方は、王女殿下が民の支持を得ていることを何より警戒している」


「第二王子には私が接触する。あの方は貴族の支持を失うことを恐れている。平民を領主にするという話を聞けば、必ず反応する」


 彼らは、王子たちの性格と弱みを並べていった。


 第一王子は、王位継承者としての地位を脅かされることを恐れている。


 第二王子は、兄に先を越されることを恐れている。


 そして二人とも、リディアが直轄地を持つことで、王位継承の勢力図が変わることを理解している。


 だからこそ、彼女を危険な存在だと思わせることができる。


「反乱の火種も必要だ」


 老貴族が言った。


「ノトスか、グリーンゲートの周辺で、領民同士を争わせる。直轄地への移民を恐れる者、領主の権限を守ろうとする者、食糧を奪われると思い込む者。噂を流せば、民は勝手に怒り始める」


「そして、王女殿下がそれを鎮めようとすれば、王家が領主たちを弾圧しているように見せる」


「逆に領主側が抵抗すれば、王女殿下が反乱を起こしたと報告できる」


 どちらに転んでも、彼らにとって都合のよい形になる。


 リディアが動けば、王女の独断。


 領主が動けば、王家への反乱。


 王子が動けば、王位継承争い。


 そのすべての裏で、飢饉を隠してきた者たちは、責任から逃れようとしていた。


 やがて、老貴族は地図の上に置かれていた黒い駒を、ノトスと王都の間へ移した。


「明日から動く。まずは王子たちへ噂を流せ。次に、ノトス周辺の領主へ密使を送る。リディア殿下が直轄地を得れば、次は自分たちの領地が奪われるとな」


「反乱の準備を進めるのですか?」


「あくまで、民の不満が爆発した結果としてな」


 老貴族は、冷えた声で言った。


「我々は王国を守るために動いた。そう記録に残す。飢饉の責任を問われる前に、王国を非常事態へ追い込むのだ」


 その夜、王城の闇の中で、いくつもの密書が書かれた。


 第一王子のもとへ向かう書状。


 第二王子のもとへ向かう書状。


 ノトス周辺の領主へ送られる密命。


 そして、民の不安を煽るための偽りの噂。


 リディアが直轄地を求めたことは、王国を救うための提案だった。


 だが、彼らはそれを王位継承争いの火種へと変えようとしていた。


 リディアはまだ知らない。


 自分が王都へ戻ったことで、飢饉を隠してきた者たちが追い詰められ、彼女を中心に王国の権力者たちが動き始めていることを。


 そして、彼女の直轄地構想が、第一王子と第二王子のどちらかに、彼女を排除させるための罠として利用されようとしていることを。


 だが、彼らが三ヶ月にわたって水面下で進めてきた反乱の誘導は、すでに彼ら自身を縛る証拠へと変わっていた。


 王女の視察報告が提出され、農林大臣と税務大臣への連座が決定的になった瞬間、密書と証言が王家の前に並べられることになる。


 反乱を起こせば、彼らは飢饉の責任だけでなく、王国を揺るがすために民を煽動した罪まで問われる。


 逃げ道として用意したはずの反乱が、彼らを裁きの場へ導く道となるのだ。


 王国の未来を変えるはずだった一歩は、同時に、王女自身の命を狙う陰謀の始まりでもあった。


 そしてその陰謀は、やがて、仕掛けた者たち自身を呑み込もうとしていた。

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