3. 惰眠と菓子と肉体美
遡ること、数時間前。
珍しく上機嫌だった魔法帝レティシアは、倒れ込むようにして自室のベッドへ寝転がった。
《おい、レティシア。顔がだらしなく緩んどるぞ》
「ヴェリアル、口を慎め。お前だけ、休暇を取り下げてもいいんだぞ?」
《ひ、ひどい。これでも聖獣なのに、いつもいつもこき使われて……》
ヴェリアルはそう言うと、悲しげにぶるぶると震え出した。
《吾輩だって久しぶりの休みを楽しみにしていたのに! おい待て、室内で火炎魔法を使うな! あっ、熱い、尻尾が焦げる!!》
楽しい気分に水を差した聖獣……従属契約を結んでいるので、正確には従属獣だろうか。
ふわふわの白い毛並みを軽くあぶって、部屋の隅へ追いやり、レティシアはポフリと枕へ顔を埋めた。
日付が変わるまで仕事をするのが常であり、休暇は実に三か月ぶり。
――明日は、何もしなくていいのだ。
朝寝坊をし、ちょっと遅い朝ごはん代わりにベッドの上で菓子を食べ、日がな一日だらだらと、取り留めもなく時間をつぶす。
魔法師団はもう見飽きたので、対を成す騎士団の見学をしてもいい。
鍛え上げられた肉体……鍛錬をこっそりと眺めながら、また菓子を貪り食うのだ。
最強と謳われる魔法帝の至福が、惰眠と菓子と肉体美鑑賞しかないのは残念だが、知ったことではない。
休みは休みだ。
「完璧な計画だな」
ひんやりとしたシーツの感触を楽しみながら、広いベッドを独り占めする。
足元にはヴェリアルが寝転がり、早くもすぅすぅと寝息を立てていた。
徐々に瞼が重くなり、意識がずぶりと沈んでいく。
目の前が暗転し、微睡んでいた……次の瞬間。
「ぎにゃああああッ!?」
この世の終わりみたいな鳴き声に、レティシアの意識が覚醒した。
寝室の天井には見覚えのない魔法陣が浮かび上がり、淡い光を放ちながら、ゆっくりと渦を巻いている。
「ヴェリアル、こんな時間に何をやって――?」
上半身を魔法陣に吸い込まれ、短い脚をバタつかせている。
ピンと尖った尻尾の先っちょまで魔法陣に呑まれかけており、短い四肢で抗いながら、ヴェリアルが必死にもがいていた。
「何を遊んでるんだ、お前は」
睡眠妨害に若干苛立ちつつも身を起こし、レティシアは呆れ混じりにその足を掴む。
「待っ、ちぎれる! ちぎれるから!」
「千切れたらくっつけてやる。安心しろ」
「い、痛たたたたァァッ!?」
腕に魔力を乗せながら、勢いよく魔法陣から引き戻す。
べちんと床へ叩きつけられたヴェリアルを足先で部屋の隅に寄せながら、レティシアは改めて魔法陣を覗き込んだ。
「……なんだこれは?」
魔法帝レティシアをもってしても、容易に解析できそうにない、初めて見る魔法式。
近くで見るとその緻密さは目を瞠るものがあり、幾重にも入り組んだ術式は、折り重なるようにして連なっている。
「強固な結界をかいくぐり、一体誰がこんなものを?」
散見される古い魔法文字は、たまに出土する古文書でしか見たことがなく、この魔法陣が現代のものではないことを教えてくれる。
「レティシア、お前はもっと吾輩へ敬意を表し、丁寧に……ッ!!」
「うるさい。集中しているから、静かにしろ」
魔法式は歯車のように噛み合いながら渦を巻き、ヴェリアルを取り逃してなお、魔力を中心へと収束させていく。
改めて解析をしていると、浮かび上がっていた文字が突如、目の端から消えた。
「ん?」
見間違いかと目を凝らしてみる。また一文字、目の前で消えた。
続けてもう一文字。
今度はしゅわっと音を立て、崩れるように溶けていく。
――まずい。
転移途中に妨害したからか、おかしな動きをしている。
不完全な魔法式。
下手に刺激すると起爆剤になりかねず、だが目視だけで判断するには、あまりにも情報が無さすぎる。
「くそ、触れてみないと分からんな」
気を付けろと叫ぶヴェリアルをよそに、レティシアは指を伸ばした。
揺れ動く魔法文字に触れた途端、下から風が巻き上がり、金の髪がふわりと揺れる。
「標的が、切り替わった……?」
「レティシア、油断するな! 吾輩が吸い込まれた時と同じだ!!」
ヴェリアルを引き剝がした時とは比べ物にならない、強い魔力溜まりが頭上に出現し、レティシアの足が床を離れた。
皮膚から剥がれ落ちるようにして、魔力の粒が浮かび上がる。
レティシアの内側に満ちていた魔力が、光となって零れ落ち、魔法陣へと向かう。
一粒、また一粒。
消えかけていた魔法式は、光に触れたところから輝きを取り戻していく――。
「レティシア!? くそ、ダメだ。吾輩もさっき魔力を吸われて」
「ヴェリ、アル――」
ずず……と音を立てながら、レティシアの身体が魔法陣へ飲み込まれた。
肌触りの良い柔らかな夜着は、渦巻く風によりボロ布と化し、脱出しようにも魔力を奪われ、為す術もない。
意識が白く塗り潰される中、最後に見えたのは、呆然とこちらを見上げるヴェリアルの間抜けな顔だった。
こうして魔法帝レティシアは、三ヶ月ぶりの休暇を永遠に失ったのである――。
***
心地良い微睡みの中、レティシアは馬車が停まる音で目が覚めた。
王都の町並みは消え、代わりに家ひとつない、荒れ果てた原野が広がっている。
遠くには、魔獣の気配。
街道から外れたのは、旅行者を巻き込まないようにするためか。
「ロイド将軍! 二時の方向に、四足獣が三頭います!」
護衛騎士の一人から鋭い声が飛ぶ。
「レティ、馬車の中にいろ。鍵を閉めることはできるか? 可能なら内側から錠を下ろしておけ」
「……わかった」
「絶対に出るなよ」
ロイドはそれだけ言って、馬車の外へと飛び出した。
カチリ、と外鍵がかかり、レティシアもまた内側にある錠を下ろす。
馬車の窓に顔を押し付けるようにして、外の様子を窺った。




