アレッサ、串焼き肉に釣られる
(これって……あのボートのおじさんじゃないの?)
全体の印象はまるで違う。だが、この四角張った顔の輪郭と、ナイフで切り裂いたような鋭い瞼のライン。不思議な諧調の変化を見せる虹彩の輝きは、白黒印刷から実際の色に直せばヘーゼルなのではないかと思える。
「……ねえ、鉛筆か木炭持ってない? ちょっと貸してほしいんだけど」
「ああん、鉛筆ぅ?」
アレッサに声を掛けられて、スープ屋台の主人はいぶかし気に眉をしかめたが、しぶしぶ、といった様子で前掛けのポケットからちびた鉛筆を引っ張り出して手渡してきた。
「ほれ、これでいいかい?」
「ありがと、すぐ返す」
アレッサはその鉛筆を手に、古新聞の写真図版に修正を加え始めた。頭に山高帽を載せ、白シャツにタイの夏服姿をインバネスコートのシルエットに塗りつぶす。そして、顔の周りに短く刈り込んだ髭を描けば――昨晩、そして昼間に見たのとほぼ同じ洒脱な紳士の姿が出来上がった。
「……ここまでとは、ね」
「なんだい嬢ちゃん、古新聞に落書きなんかしてどうした」
主人の問いには答えず、アレッサは無言で鉛筆を返した。
あらためて新聞紙を見つめる。そういえば、これまで新聞を注意して読んだことなどろくになかった。
叔父の家には新聞もなければ本もほとんどない。ルーカス叔父は印刷された文字を読むようなことを、まるで嗜まない男なのだ。
(あのおじさんがカッセルバンク? だとしたら――)
だとしたら、自分のような小娘に何の用があるというのか? 娼館に売る、とかでないのは理解できる。各国の軍隊まで相手取って引っ掻き回す攪乱者が、女衒のまねごとなどするのはどうもイメージが合わない。
では一体、何の目的で自分を引き取ろうとしているのだろう。それも金貨まで持ち出して?
首をひねりながらアレッサは屋台の主人にカップを返し、次に腹に入れるものを求めて歩き出した。肉の焼ける香ばしい匂いがしてそちらを窺うと、肉の大きな塊をぐるぐる回しながら炭火で焼いている屋台が見えた。
(うわぁ……)
ごくりと喉が鳴る。
「そこのお嬢ちゃん、焼き肉食ってかねぇか。ひと串白銅二枚」
「二枚!? 高くない!?」
多分に非難の色を帯びた声に、焼き肉屋の表情はいささか情けなさそうになった。
「まあ実際高ぇよな、済まねえ。最近仕入れ値がかさんでてなぁ」
「うーん。先にスープ飲んだの、失敗だったかなあ……ねぇ、半分サイズとかダメ?」
「……無理すりゃできなくもないが、串が減る分、売り上げがなあ」
「売れなきゃ一緒じゃない」
「そりゃそうだが……」
お互いにため息をつき、アレッサは少しおかしくなった。何だろう、この茶番めいた一幕は――
「戦争がわりぃんだよ。長引いてるだろ? ブタも牛も、缶詰工場が優先で持って行っちまう」
ああ、と腑に落ちた。そうだった。モルガノ・シティまでは戦火も及んでこず、普段意識することはまだ少ないが、この国はオケロニア連邦と戦争を続けているのだ。
「連邦のやつら、あれで中々しぶといらしいからな……」
――四本貰おうか。塩コショウ味とローズマリーまぶしたやつ、二本づつで。
主人のつぶやきにかぶせるように、深いバリトンの声が響いた。視界に入ってくるのは黒いインバネスコートの裾。
「あ……!? カッ――」
かぽ。
カッセルバンク、と叫びかけた口に、大きな塊肉が串もろともねじ込まれた。差し出された腕をたどった先に、髭に縁どられた四角い顔。ボートの紳士。蒸気科学の反逆者。
――毎度ありぃ!
「はっ、はっへうはんく!」
「行儀が悪いなぁ。飲みこんでから喋りたまえ。よく噛んでね?」
「うーぐっ」
――オケロニアは敬意に値するねえ。
カッセルバンクは屋台の主人とアレッサ、どちらに聞かせるともなくつぶやいた。
「はあ。敬意、ですかい」
焼き肉屋がきょとんとした顔で、目の前の紳士を見つめた。
「政府は力を失い、経済も半ば破綻……周辺の幾つもの国から領土を侵され、広い国土が裏目に出て戦線の穴埋めもままならない。それでも、前線各地の軍人と兵士たちの頑張りで持ちこたえている」
「時間の問題だと思いますがね。早く片付いて、肉の値段が戻って欲しいもんです」
「いっぺん上がったものは、そうそう戻らないと思うよ」
口の中に入ったからには、きっちり咀嚼して飲み込まないわけにはいかない。アレッサは懸命に細い顎を動かした。こんな肉は祭りの御馳走でもなかなか口には入らないのだ。
「少し歩こう。話をしようじゃないか。その様子だとどうも僕に対して誤解があるようだし」
肩に軽く手が載せられる。そのまま屋台だまりを離れて、アレッサはカッセルバンクに促されるまま、河畔の道を叔父の家とは反対の方向へ歩きだした――




