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アレッサ・デズモンドと蒸気の大魔人  作者: 冴吹稔


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5/7

新聞に載った顔

 その日は珍しく、一秒の延長も残業もなくちょうど定時に終わった。

 

 とはいえすでに二十時――胃袋は出勤前に食べたパンのことなどすっかり忘れてしまって、何かよこせとさっきから金切り声をあげている。


 だがアレッサはぐっとこらえて、足早に警察署へと向かった。 

 モルガノ市の警察署はリーフ&ガンデ工業所から三ブロックばかりしか離れていない。件のボートの紳士の件をあることないこと通報した後でも、ノヴァリー河畔の屋台は開いているだろう。

 

 大丈夫、今日はちゃんと夕飯にありつける――アレッサは昼間首尾よく警部からせしめた白銅貨二枚を、ポケットの中でぎゅっと握りしめた。

 

 警察署の正面玄関はシャッターが閉ざされていたが、傍らに小さな受付窓があってそこには灯がともっている。


「すみません、ヤネック警部にお会いした……お話したいことがあるんですが」


 窓に近寄って案内を乞うと、銀縁メガネをかけた内勤の警官がいぶかしげにアレッサを見つめた。


「……誰だね、君は?」


「……あ、えー……あたし、アレッサ・デズモンドって言います。警部にご贔屓いただいてるコーヒー店が、私を養ってくれてる叔父の店で……」


 銀縁メガネの警官はさほど興味なさそうな様子で彼女を一瞥すると、事務的に告げた。


「あー、警部ならまだ、現場に出かけている。交代の時刻はずっと後だから、今日はいったん帰りなさい」


「で、でもあたし――」


「贔屓の店というなら、警部がお忙しいことくらい分かるだろう。まあ何か事件なら本官が伺うが」


「えっと、その」


 アレッサは食い下がりかけたが、ふっと水を差されたように気持ちが萎えた。

 

(そっか。あたしなんかが身売りさせられようがどうなろうが、警察の人たちには別にどうでもいいのよね)


 事件というほどのことも起きてはいない。理学院でなにかあったとかいう話だし、警部はそっちに力を入れるのが当たり前ではあるのだ。

 いつもの彼女ならこんな後ろ向きな考えはしない。だが今日は空腹のせいもあって、物事を薄暗い方へ薄暗い方へ考えてしまう、そういう傾きがあった。

 

「お邪魔しました、失礼します……!」


 踵を返して出口へ向かう。アレッサが路上に出たところで遅ればせに何ごとか感じたものか、警官は後ろから呼びかけてきた。

 

 ――あ、ちょっと。君。


 だが、その時すでにアレッサは足早にその場を立ち去りつつあった。警官の方も、建物の外へ出てくることまではしなかった。

 

 疲れた足取りでとぼとぼと、ノヴァリー河畔へ向かう。今日は川沿いの道や桟橋の上にガス灯が煌々と灯っていて、それぞれの屋台から上がる調理の煙や湯気も、その光で金色に染まっていた。

 

 

「やってる!」


 小さく歓声を上げた。仕事上がりにこれを見れば、少々のことなど眼をつぶって上機嫌になれるというものだ。

 アレッサはポケットの小銭を確かめながら、屋台の一つに駆け寄った。


(いい匂い!)


 ハーブを効かせたジャガイモとベーコンのスープが、小さな陶製のマグカップで売られている。アレッサは先ずそれを一杯頼んだ。

 

「白銅一枚。カップを返してくれれば銅貨三枚でいいよ」


「もちろん返すわ」


 そんなやり取りをして、熱々のスープを受け取った。

 そこいらに置かれた折り畳み式の小さな椅子に尻を乗せてカップに口をつけると、ひゅうと川面から風が吹いてくる。一枚の古新聞が足元に吹き寄せられてきて、アレッサは何の気なしにそれに視線を向けた。

 

 ――ジョゼフ・カッセルバンク、脱獄から二年。

 

 そんな大判の活字が目に入る。新聞紙は面積の半分ほどに脂がにじんでいて、多分安物の魚フライか何かを包んでいたものだと思われた。

 

(この名前、確かヤネック警部がいってた人だ)


 指が油で汚れるのを気にしつつ、アレッサはその新聞紙を拾い上げて顔を近づけた。一体何をやった悪人なのか。

 記事の枠外囲みに、略歴らしきものが記されている。アレッサはその文面に目を凝らした。

 

「パルドヴァ大学で先端蒸気科学を専攻、共同研究者のポーラ・バルサスらとともに階差機関を改良……?」


 そこに記されていたのは予期したものとはだいぶ趣の違った内容だった。驚いたことに、理学院の蒸気計算機を作った学者の一人でもあるらしい。ジョゼフ・カッセルバンクという男は控えめに言っても当代随一の蒸気科学者だと言ってよさそうだ。

 それでいて、彼は二十年前にこのオルトリア共和国を離れて、隣国オケロニア連邦へと移住している。その理由は不明。

 

 そしてそれ以降、彼はオケロニア周辺各国の軍隊や産業資本に対して、単身で様々な破壊活動を行って来た。そのあげく、七年前にオルトリア当局によって逮捕、三十年の懲役刑に服することになったというのだが――

 

(二年前に脱獄して行方不明、ね……)


 新聞が報じるところでは、警察も未だに彼の足取りを掴めていないらしい。もう一度記事の頭まで視線を戻して――アレッサは奇妙な感覚にとらわれた。


 掲載されているカッセルバンクの顔写真は若い時のものらしく、髭を剃り上げつるりとした頬と顎周りを見せているのだが。その顔を、つい最近見たような気がしたのだ。

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