誘いと拒絶
どうしようか、とアレッサは迷っていた。向こうはなにか話したいことがあるらしい。だがこの相手から、何か話を聞く価値はあるのだろうか――
その一方でどこか奇妙な期待感もぼんやりとあるのだった。
叔父夫婦に引き取られて十年近いが、年齢とともに家の中でアレッサの負担が増えていく。工業所でもらう給料の半分以上は叔父夫婦に預けさせられ、恐らくコーヒー店の営業資金に取り崩されていることは間違いない。
寝床と一日二食は一応保証されているとはいえ、実質奉公人のような扱いだ。
そんな中での昨晩の出会いだった。
堂々として優雅な立ち振る舞いと丁寧な物言い、いかにも趣味人然とした釣りの腕前と、見事な料理の手際。これまでアレッサの周囲にはいなかったタイプの大人で――
「どうしてあそこに……まさか、あたしを?」
咀嚼していた肉を飲み込んで、吐息とともに質問した。ああ、さようならお肉。もう少し味わっていたかったかも。
「ああ、うん。探していた。コーヒー店の方へもう一度行ってみたが、君は帰って来てなかったし、叔父さんの態度もおかしかったからね……今日は屋台もやってることだ、たぶんすきっ腹を抱えて河畔へ足を伸ばすかな、と」
「……読まれ切ってて、ちょっとやだな」
いささか羞恥を覚える。実際自分はすきっ腹を抱えた安月給の労働者。小銭あらば買い食いに走る、孤児さながらの意地汚い娘に違いない。
「……どうして?」
なぜ自分などに関心があるのか。やはりそこが分からない――
「君のご両親とは、昔の仲間でね。早くに亡くなったと聞いて、ずっと気になっていた。だが、あの頃はオケロニアにいて手が届かなかったし――情勢がそれどころではなかったもんだから」
「情勢、ですか……」
アレッサはちょっと苛立ちを覚えた。気になると言いつつ、自分の周囲の事に優先するまでではない、という事ではないか。だったら――ヤネック警部はじめ警察の付けている優先度と、大した変わりはない。
片手に持ったままの、もう一本の串焼き肉――ハーブ味のやつを口元まで持ち上げてえいっとかぶりついた。少し冷えた肉から、塩味のついた脂と肉汁が滲みだしてくる。
(どうしようかなあ、本当に)
肉は美味い。叔父一家にはうんざり、仕事は辛い。さりとて、何もかも預けてこの紳士に引き取られるのもそれはそれですっきりしないのだ。
お互いが何かもう一つ、決定的な言葉を言いそびれている――そんな感覚を抱えたまま、足だけは前に進んだ。河畔の道路に作りつけられた石段を下り、河面近くに設けられたせまい足場の上に出た。
「どうするの?」
「なに、心配はいらない。ほら」
カッセルバンクはそういうと、川下の方向を指さした。何か黒ずんだ大きなものが、水面をかき分けてこちらへやってくる。
「あれは……?」
この辺りはもう、照明といえば街路に沿ってまばらに灯るガス灯だけ。その頼りない明かりの中で目を凝らすうち、やがてそれはすぐ目の前まで近づいてきた。
「昨晩のボート! これ、まさか無人で動くんですか?」
「そんなに驚くことでもないさ。オケロニアでは割と普通に使われてる技術なんだ」
カッセルバンクは先にボートに飛び移り、アレッサに向かって誘うように手を伸ばした。
「さあ、一緒に行こう。君はこんな街でこき使われて潰れるべきじゃない」
アレッサの中で、迷いが限界に達した。そんなことを急に言われても困るのだ。そもそもまだこの男のことをろくに知らない。そして明らかにこの国に対して敵対している――
「……ごめんなさい、あたし」
差し出された手から逃げるように一歩後退った、そのとき。
――おい、そこ、誰かいるのか!?
振り向くと石段の上から角灯を下げた警官が数人、こちらを見下ろしていた。すぐ後に続いて彼らの間から、見覚えのある顔がのぞく。ヤネック警部だった。彼もこちらをすぐにみとめたらしかった。
「ん、君は……」
「警部さん! カッセルバンクがここに……!」
――なんだと!!
色めき立つ警官たちに、カッセルバンクは息をのみ唇をかみながらアレッサをなじった。
「……ああ、バカなことを!!」
「ごめんなさい、あたし決められない! あと、串焼き肉ごちそうさまでした!」
自分でも支離滅裂だなと思いながら、石段を駆けあがる。警官たちに取り囲まれるアレッサをにらみながらも、カッセルバンクはボートで急速に川下へと運び去られていった。




