83時間目:気づいてしまった物
通常であれば、三学期の始業式にティルが出席している日の夜、グレゴリオは食卓にて言った。
「ようやく、ティルの新しい学校が見つかったよ」
資料をテーブルに上げるグレゴリオ。ノエルはその資料に興味深そうに見入りながら呟くように言った。
「ラトナーレ学園?」
「そう、希望の児童生徒には、送迎をつけてくれる学校なんだ」
「それは、安心ね?」
当のティルは、資料をぼうっと見ていた。そんなティルにノエルは資料を手に言った。
「どう?ティル」
(え、あ、これ、喜ばなきゃいけないよね?)
「わぁ!とっても楽しそう!!」
それを受け、ノエルは微笑んだ。しかし、すぐに思案顔になる。
「でも、ティルの今の先生ね?」
グレゴリオがその言葉の途中で返す。
「ああ、家庭教師の」
「うん、ティルとの授業がとても楽しいらしいのよ」
「そうかい。僕も、探す時間がなかなか取れなくて、ここまで来ちゃったから、三学期途中から転校は中途半端だって思ってた。2年生から転校っていうことで話を進めるよ」
「そう。なら3月までって連絡しておくわ」
(お父さんとお母さん、凄く安心してるみたい。これで、いいんだよね?)
ティルは、再び新たな学校の資料に目を向け、言った。
「新しい学校、楽しみ!」
ティルは、久しく見ていなかったグレゴリオとノエルの満面の笑みを見た。
(うん、そうみたい。これでいいんだ。よかった。お父さん、お母さん、心配かけて本当にごめん)
それから、自室へと寝に行くティル。部屋のドアを閉めた後、ティルは呟いた。
「本当に、お別れだね、メビラ学園。オリーン先生、エリンちゃん、ハワードくん、ラインハルトくん、皆、さようなら」
翌日からティルはノエルの家事やリノの世話の手伝いをしながら、家庭教師の授業を受ける日々を過ごす。そんな中で、ティルは、グレゴリオの動きにより、ラトナーレ学園への転校が認められた。
2月のある日、ティルはとある服屋にリノを抱えたノエルと共にいた。若い男性店員がティルを目の前にこう唱えた。
「エンメイ、エッセウ、エーレア、ゼータイオ、エンネエ。お客様の制服の採寸をします」
ティルは、男性店員から放たれた光の糸に頭から足先まで包まれる。数秒で光の糸が消えた後、男性店員は、紙に自動筆記にてティルの服のサイズを記録した。その後、男性店員は言った。
「1週間程度でお仕立て出来ます。制服が出来上がりましたら、ご連絡いたします」
「よろしくお願いします」
ノエルは、そう返し、ティルの手を引きリノと共に瞬間移動にて帰宅した。帰宅するなり、ノエルは言った。
「楽しみね?制服」
「うん!」
その1週間後、無事制服は納品された。その日の夜、ノエルは言った。
「ねぇ、ちょっとだけ制服着てみない?ティル」
「え?」
仕事から帰宅したばかりのグレゴリオも言った。
「今日、納品だったよね?見たいなぁ、ティルの新しい制服」
「そ、そう?」
ティルは、制服が入ったままの箱に手を置いた。
(着るしかないみたい)
「うん!じゃあ、着てくるね!!」
ティルは、箱を持ち、自室へと行く。そして、箱を開け、まだタグがついたままの制服を取り出す。
「かわいい制服」
(う、楽しんじゃ駄目。楽しんじゃ駄目なんだ!)
ラトナーレ学園の制服は、白いブラウスと黒いジャケットはメビラ学園の物とあまり変わらないが、ボリュームのあるピンクのリボンと、クリーム色とピンク色が混じったギンガムチェックのスカートが印象的な物であった。それを着てティルは両親の元へと戻った。
「おお!いいね!!」
「わあ!ティル、かわいいわよ!!」
グレゴリオとノエルは目を見張り、次第に柔らかく笑った。
「ありがとう、お父さん、お母さん」
ティルも精一杯笑った。その様子を、リノはあやふやな発音の声を出しながらつぶらな目で見守った。
「リノもね」
そうして、3月は中旬を迎える。家庭教師との最後の授業が終わる。
「ティルちゃん、この半年、とっても楽しかったわ。私ね?先生になるのが夢だったんだけど、なれなかったんだ。こんな私を先生にしてくれてありがとう、ティルちゃん」
「そうだったんですか。先生、授業してくれてありがとうございました」
家庭教師は、ティルを軽く抱きしめ、わずかな涙を見せつつ、ラーナー家を後にした。その夜、ティルは言った。
「お父さん、お母さん、家で勉強させてくれて、ありがとう。とっても楽しかったよ」
グレゴリオは返した。
「それはよかったよ、ティル。ラトナーレ学園でも一生懸命勉強するんだよ?」
「うん」
ノエルも続く。
「ティル、私も感謝してるわ。先生、とっても喜んでたから。ありがとう」
「よかったね」
そんなやり取りがあった夕飯も終わり、ティルは寝に行く。壁にかけてあるのは、赤いメビラ学園の制服ではなく、ピンクのラトナーレ学園の制服。その制服を見つめ、ティルは言った。
「駄目だなぁ。この制服、何度見てもかわいいって思っちゃう。お父さんもお母さんも褒めてくれたし」
(でも、これ、4月には消えるんだよね?イテラリピティで)
制服から目を外し、寝床に入ろうとしたティルの足が止まる。
「イテラリピティ?」
ティルの呼吸が荒くなる。同時に目がこぼれてしまいそうなくらい見開かれるティルの目。
(イテラリピティで、4月に戻る。イテラリピティで、フェリシアちゃん、戻る?)
ティルは動けなくなった。
「どうしたら、絶対にイテラリピティが起こる?」
そんな自らの呟きに、ティルは激しく首を横に振った。
(え、何言ってるの?私。変だ、変だ!変だ!!あれだけっ)
ティルは震える手で、照明を落とした後、逃げるように寝床に入り、無理矢理にでも寝ようとした。
「早く寝たい!」
しかし、暗闇の中、ティルの思考は同じ所を回る。薄闇の中、ようやく就寝したが、白い光の中、目を覚ます。
「う、あんまり眠れなかった」
その日、ティルは油断すると、イテラリピティの事が頭をよぎる。散歩を装い、外に飛び出すが、自らの考えからは到底逃げる事など出来ない。諦めて帰宅した後、少しでもイテラリピティの事を考えないようにリノの元へ。
(あ、リノとも、もうすぐお別れだったんだ。イテラリピティで。あ、駄目)
「あれだけ嫌だったじゃん!!」
遂に、ティルはリノの目の前で叫んでしまった。リノはその大声に驚き泣きだす。その泣き声にノエルは慌ててティルとリノの元へ。
「何?大声出して。どうしたの?ティル」
ノエルは、リノをなだめようと抱っこしつつもこう言った。
「う、なんでもない!ごめん、リノ、お母さん!!」
ティルは自室へと走って行った。軽く息が上がっている中、ティルは諦めたように言った。
「もう、止まらない。イテラリピティは嫌だったけど、お願い、来て、イテラリピティ。フェリシアちゃんを戻して」
その後、ティルは床に力無く座り込んだ。
翌日からティルは開き直り、暇をみてはこう呟いた。
「お願い、イテラリピティ、フェリシアちゃんを戻して」
そうして、3月末日の就寝時間を迎えた。自室に入るなり、ティルは、ラトナーレ学園の制服を見つめる。
(明日、この制服がなくなってますように。そして、メビラ学園の制服がかかってますように)
ティルは照明を落とし、寝床に入る。そして、緩やかに訪れる眠気に身を任せた。
夜中、カチカチと時を刻む音が、ティルの夢の中で鳴り響く。
(来た)
しばらくカチカチとする音を聞き続けるティル。
(いつもと同じ。何も見えない。何も感じない。だけど、この音だけ聞こえる。いつもは聞きたくないのに、今は、聞こえてよかったって思うよ)
うるさく感じる音が、止まった。息すら止まるような感覚の中、聞こえたのは、無機質で性別も判定出来ないようなゆっくりしたこの声であった。
「イテラリピティ」
(フェリシアちゃん、また会えるよね?)
ティルの意識は途切れた。
燦々と春の朝日が降り注ぐ中、ティルは目を覚ます。
「イテラリピティ」
ティルはしっかり見開いた目で、壁を見る。そこには、真新しい赤い制服がかかっていた。
「また、入学式だね」
そう呟いたティルを、エスパランタ1535年4月の暦が見つめていた。




