60時間目:頭の中だけ夏でいいよね
夏休みは初日。恒例の問題集を目の前に、ティルは鉛筆を走らせていた。
「うー、やっぱりめんどくさい」
(でも、ラインハルトくんの事考えないように出来る)
「う」
(って、考え始めちゃった!!)
ティルは、鉛筆を走らせる速度を上げていく。
「もう、間違ってもいいから全部書く!」
いつもの字と比べて雑な文字で問題集は埋められていく。食事の時間を除き、合間なく問題集に向き合うティルは、夜、音を上げた。
「うー、これ以上は、無理!!」
そうして、疲れも相まって寝床に入るとすぐに眠ってしまった。
翌日も、ティルは問題集に向き合うが、昼前には全て終わってしまった。
「あっ」
観念し、問題集を鞄にしまい込んだ。
(これ、ラインハルトくんも、やってるんだよね?あっ、駄目)
ラインハルトがそこにいないのにも関わらず、ティルの胸はとくんとする。
「ラインハルトくん」
ティルの呟きが、部屋にとけていった。その後、夜勤を終えたグレゴリオが帰宅する。
「ただいま」
「おかえり、グレゴリオ」
1階から聞こえた両親の会話。ティルは、自室から出て階段を降りて行く。
「おかえり!お父さん!!」
ティルが元気に声を上げると、視線の先には、ノエルのお腹を優しく撫でているグレゴリオの姿があった。
「弟、もうすぐだよね?」
「もう、妹かもしれないって言ってるでしょ?」
ノエルは苦笑いする。グレゴリオは、そんなノエルを見ながら、こう言った。
「弟の方がいいのかもしれないね?ティルは」
「うん!弟がいい!!」
「でも、妹でもかわいがってくれないかな?」
(リノが産まれるのは間違いないから、妹は、想像出来ないなぁ。でも)
「うん!約束する!!」
「ああ、いい子だね、ティルは」
「ありがとう、ティル」
グレゴリオとノエルは、同時にティルの頭を撫でてくれた。どちらの手も優しく、ティルは笑顔になる。見上げると、グレゴリオとノエルは柔らかで、かつ熱を帯びた視線で見つめ合っていた。
(こんな風に、ラインハルトくんと見つめ合いたいなぁ)
とくん、とくん。ティルは、それを噛み締めた。すると、ノエルは言う。
「さ、お昼にしましょう?」
「そうだね、着替えてくるよ」
グレゴリオは夫婦の部屋へと向かって行った。ティルは食卓の自分の席に着く。ノエルは、台所へと行き、食事の用意をし始める。
(私は、ラインハルトくんが好き。だからといって、ラインハルトくんに好きになってもらおうとしない。絶対にね。だって、イテラリピティでラインハルトくんの好きは、消えちゃう。やだから、こわいから)
着替えが終わったグレゴリオが、席に着く。
(だから、ラインハルトくんには、私の事友達って思ってもらうだけでいいんだ。私の好きは、変わらないけど、言わないよ。その代わり、時々私の頭の中でラインハルトくんと私を恋人にする。許してね?ラインハルトくん)
ノエルが食事を運んでくる。3人での昼食が始まった。グレゴリオは、美味しそうに食事を進める。
「仕事の疲れが、吹き飛ぶよ。美味しい」
「そう?よかったわ」
(お父さんがラインハルトくん、お母さんが私って考えてもいいよね?うー、ラインハルトくんに、ティルの料理は美味しいよって言ってもらいたいなぁ)
「お母さんの料理、美味しいよね!」
ティルの元気な声が、食卓に響いた。ノエルは目を細め、応える。
「ありがとう、ティル」
そうして、昼食が終わり、家族3人での憩いの時間が訪れた。
(そういえば、お父さんとお母さんが結婚した時の話、今まで全然聞いてなかった。それに、一度も話してくれなかったなぁ)
「ねぇ、お父さんとお母さん、どうやって結婚したの?」
ティルの問いに、グレゴリオとノエルは視線を絡ませた。その眼差しには、明らかな緊張の色が見て取れた。
(あ、なんか変な事訊いちゃったみたい)
「な、なんでもないよ!ただ、言ってみたかっただけ!!」
ノエルは、お腹に軽く手を添え、グレゴリオに頷いた。グレゴリオもそれを受け、頷き、口を開いた。
「話すよ。ティルのおじいちゃん、おばあちゃんの話と一緒にね」
グレゴリオは、そう言いながら懐から首輪を出した。一方、ノエルは、まぶたを少し震わせながら目を一旦閉じた。ティルは、それに返す。
「うん、お願い」
(話したくない事、話す事になっちゃってごめん。お父さん、お母さん)
グレゴリオは、懐かしそうに呟いた。
「僕の父さんでティルのおじいちゃん、ヴィルヘルム・ラーナー。そして、僕の母さんでティルのおばあちゃん、マリー・ラーナー」
ノエルは、かなしそうに眉間に皺を寄せ、呟いた。
「私のお父さんでティルのおじいちゃん、ファビオ・コレア。そして、私のお母さんでティルのおばあちゃん、セシル・コレア」
グレゴリオは言った。
「ヴィルヘルムおじいちゃんと、ファビオおじいちゃんは、僕と同じ警察官だったんだ。おじいちゃん達、お仕事でとっても仲がよかったらしいよ。僕とノエルは小さかったから、仲よくしていた所は、見たことないけどね」
「そうだったんだ」
ティルが反応すると、ノエルは言った。
「そして、マリーおばあちゃんとセシルおばあちゃんも、仲がとってもよかったって言ってたわ。だから、私とグレゴリオは、小さな頃、時々会ってた」
「それで仲よくなったの?」
グレゴリオは首を横に振る。
「本当に、時々だったから、いつもはじめましてって感じだったね」
「そうね。私の方が小さかったから、なおさらね」
「そうなんだ」
(じゃ、なんで?)
「そんな時に、おじいちゃん達2人は」
グレゴリオの言葉は、一旦途切れる。ノエルがそんなグレゴリオを見つめて言った。
「言える?私が言う?」
「ごめん、大丈夫、言うよ。おじいちゃん2人はね、殉職って言うんだけど、一緒のお仕事をしている時に、天国に呼ばれてしまったんだ」
「えっ」
ティルは、ビクッとした。それと同時に、ノエルの震える声がティルに届く。
「それから、すぐ、セシルおばあちゃんは、ファビオおじいちゃんを追いかけて天国に行ってしまったのよ」
グレゴリオの声もわずかに震え始める。
「ノエルという娘がいたのにね。だから、マリーおばあちゃんは、僕と一緒に育てるって言ってノエルを僕の家に連れて来たんだ」
「マリーおばあちゃんには、とっても感謝してる。私の2人目のお母さんよ」
グレゴリオがいつも肌身離さず持っている首輪を、グレゴリオとノエルは、触れた。ティルも、それに続いた。それから、グレゴリオはうつむきながら言った。
「その母さん、マリーおばあちゃんも、その後病気になって、天国に行ってしまったんだ。きっとヴィルヘルムおじいちゃんがさびしがって呼んだんだろうね」
「そんな」
(かなしい話だったんだ。お父さん、お母さん、ごめん)
「その頃、僕は大人になったばっかりだった」
「そうね。私も、もうすぐ大人になる頃で、グレゴリオが必死に大人になるまで守ってくれた。そして、いつの間にか、グレゴリオと一生離れたくないって思うようになったのよね」
「それは、僕も同じだった。だから、僕達は、結婚した。そして、ティルが僕達の娘として来てくれた。本当に7年前は、嬉しかったよ」
遂に、ノエルは落涙する。グレゴリオは、潤む目でノエルの背中を極めて優しく撫でた。そして、グレゴリオはまっすぐティルを見つめる。
「ノエルと結婚した時、僕は約束した。ヴィルヘルムおじいちゃんとファビオおじいちゃんのように、殉職はしないって。それに、したとしても、追いかけたりしないで欲しいし、天国に連れていかないからってさ」
「私は、グレゴリオに何かあっても、ティルと」
ノエルは震える手をお腹に添える。
「この子の傍にいるからね?」
「うん」
ティルの目も潤み始める。グレゴリオは、ノエルに続き落涙しながら言った。
「僕は、ティルと、ノエルのお腹の子が大人になるまで、この街を守り続ける。だから、ティルには、そして、ティルの『弟』には、幸せでいて欲しい」
「お父さん、お母さん、ありがとう」
ティルも、遂に落涙した。
(好きって辛いんだね。でも、あったかい)




