36時間目:消える物消えない物
ティルは、宿題のない春休みへと突入した。そんな春休み1日目、自室の机にて入学式の時の写真を出していた。
「エリンちゃん、この1年ありがとう」
立体映像のエリンを見つめ、そう言った。それから、クラスメイトの顔を1人1人じっくり見始める。
「この中で、イテラリピティの事、本当は知ってる!って子、いないかな?」
(いたらいいのに)
そんな考えを抱きながら、3月をゆっくり歩んでいったティルの目の前に、3月31日が訪れる。無情にも、夕日が家中を照らす時間となった。ティルは、リノの元へ。
「リノ」
純真無垢な笑顔がティルを迎えた。
(明日には、お別れだね)
ニッと笑ったティルの目は、潤んでいた。そんなティルの鼻をくすぐる夕飯を準備する香り。
(お母さんの、煮込みご飯だ。これは、イテラリピティがあっても変わらない。だから、好き)
ティルは目をゴシゴシして、台所へ行った。
「今日は、煮込みご飯?」
「そうよ」
すると、グレゴリオの声が。
「ただいま」
ティルは、ノエルと共に「おかえり」と言った。それから、夕飯の時間が来る。食卓には、ティル、グレゴリオ、ノエル、リノ。最近離乳食を食べるようになったリノにノエルが食べさせるのを見ながら、ティルは煮込みご飯を味わった。
「やっぱり美味しい!お母さんの煮込みご飯!!」
「そう?よかったわね」
「どんどん食べて、大きくなるんだよ?ティル」
「うん!」
(いつになるんだろ、大きくなるの)
やがて、就寝の時間となる。ティルは、リノの元に行った。
「リノ、おやすみ」
(また、夏休みに会おうね)
「お父さん、お母さん、おやすみ!」
グレゴリオとノエルは、声を揃えて「おやすみ」と返してくれた。それを受け、ティルはノエルのすらっとしたお腹を一瞬見た後、自室へと向かった。
(エリンちゃん)
部屋に入るなり、誕生日ケーキの空き箱を枕元に置くティル。寝床に入ったティルの小さな手が、箱を撫でる。
(明日、ここにありますように)
照明を落とし、ティルは空き箱をその手に感じながら、意識を手離した。
夜中、カチカチと時を刻む音が、ティルの夢の中で鳴り響く。
(来た、この夢。目を開けたい。でも、いつも失敗しちゃうんだよね)
しばらくカチカチとする音を聞き続けるティル。
(何も見えない。何も感じない。だけど、この音だけ聞こえる。聞きたくないのに)
うるさく感じる音が、止まった。息すら止まるような感覚の中、聞こえたのは、無機質で性別も判定出来ないようなゆっくりしたこの声であった。
「イテラリピティ」
(あっ)
ティルの意識は途切れた。
燦々と春の朝日が降り注ぐ中、ティルは目を覚ます。「昨日」空き箱があった枕元の布の感覚をその小さな手に刻みながら、溢れる涙を枕に落とした。
「イテラリピティ」
涙に歪む視界で、ティルは床を見渡す。
(箱、ない。わかってたのに、なんで箱、取っておいたんだろ。なんで、そばに置いて寝たんだろ)
「うわーん」
泣き声を上げたティルの目に映ったのは、エスパランタ1535年4月の暦であった。
(う、また、メビラ学園に入るのが楽しみな1年生にならなきゃ。でも、ちょっとだけ、もうちょっとだけ、泣きたい)
寝間着の袖を濡らしながら、ティルは気持ちが落ち着くのを待った。やがて、涙は枯れる。ティルは意を決し、自室を出る。そして、台所へ行くと、お腹が目立ち始めているノエルが振り返る。
「おはよう、ティル」
「おはよう、お母さん」
(おはよう、リノ)
「ティル?どうしたの?まぶたが腫れぼったい、それに、目が赤いわ」
「あっ」
(泣き過ぎた?)
「えっ!えーっと、メビラ学園の制服見てたら、入学式が嬉しくて嬉しくて、泣いちゃった!」
「あらあら、来週の入学式、楽しみなのね?」
「うん!!」
元気に返事したティルの頭をグレゴリオが後ろから撫でてきた。
「そうかい。おはよう、ティル。僕らも入学式、楽しみだよ!」
「お父さん、お母さん、入学式、絶対来てね!!」
グレゴリオとノエルは、笑顔で頷いた。ティルもニッと笑い、まだ食事が用意されていない食卓に着席した。
(また、ここで、3人で食べるんだよね)
間もなくノエルが朝食を運んで来た。ティルは首を軽く横に振った。
(違う。リノはお母さんのお腹の中で元気!やっぱり4人で食べるんだ!!)
グレゴリオもきちんと警察官の制服を着てきて、席に着いた。ノエルもわずかに遅れて席に着き、こう言った。
「さ、食べましょ」
それを合図に3人で朝食を摂り始めた。
(お母さんの料理は、変わらない。美味しい。それに)
「今日のパン、エリンちゃんの所のパン?」
ノエルは、即答する。
「そうよ、よくわかったわね?」
「美味しいもん!」
「よかったわね?そうそう、よかったと言えば、来週から同じクラスでエリンちゃんと勉強出来るのよね?楽しみでしょう?」
「うん!楽しみ!!」
グレゴリオもノエルもティルの元気な声に微笑んだ。やがて、グレゴリオは朝食を終え、少々の食休みの後、いつものように瞬間移動にて出勤して行った。ティルとノエルも朝食を終え、2人で協力して食器を片付ける。
「手伝ってくれて、ありがとう。ティル」
「うん!」
「ティルは、立派なお姉ちゃんになるわね」
ノエルは、自らのお腹をひと撫でした。
「うん!弟のいいお姉ちゃんになる!!」
「えー?妹かもしれないわよ?」
「えへへ」
その後、ティルは自室へ。寝床に座り、一転無気力な目で、壁にかけてある真新しいメビラ学園の制服を見つめた。やがて横になり、いつの間にか眠ってしまった。
「ふあっ!」
次にティルが目を覚ますと、日が高くなっていた。
「わー、すっごく寝ちゃった」
ティルは寝床から出て、机の引き出しを開ける。
(入学式の写真の玉、ないよね)
そして、まだ袋から出していない通学用の鞄に視線を移す。
(勿論、杖も)
ティルはため息をついた。
「うー、友達もいいけど、仲間が欲しいよ!イテラリピティを知ってる仲間!!」
(もし、1年3組の中で、イテラリピティを知ってる人がいるとしたら、誰かな?)
ティルは、1年3組の児童達を、1人1人頭に浮かべていく。
(エリンちゃんは、きっと知らない。フェリシアちゃんもね)
次々と首を横に振りながら可能性を消していったティル。しかし、すぐに首の動きを止めた。
(なんか、ハワードくんとラインハルトくんって、大人みたいなんだよね。もしかして、イテラリピティの事知ってて私のように1年生をやってるかも?)
「うーん、どっちと話す?」
(優しいラインハルトくん?こわいハワードくん?)
次第に、ティルの目が決意の色に染まる。
(こわいハワードくんからにしてみよう。大変そうな方からやっていった方がいいよね!)
そして、あっという間に、昼食の時間となった。ティルは、その間にも、ハワードの事を考えていた。
(でも、ハワードくんにイテラリピティって知ってる?なんていきなり言ったら、最初のイテラリピティの時みたいに変な目で見られそう。ちょっとだけ、友達になって話してみようかな?)
「ティル?ティル!」
「へ?」
「何?ぼーっとして?」
「あっ、お昼ご飯まで、寝てたの」
「そう、ならいいけど」
(寝てたのは、嘘じゃないけど、嘘ついてるみたい。やだなぁ。うん、でも、どうやってハワードくんと仲良くなる?)
やがて、昼食も終わり、ゆっくり午後の時間を過ごすのみとなった。
(何回考えても、ハワードくんと仲良くなる方法、思いつかない!どうしよう?)
ティルは、自室の暦を見つめる。
「うーん、入学式まであと1週間あるんだし、ゆっくり決めよ。元々からだけど宿題ないし」
そうして、ティル10回目のエスパランタ1535年4月1日の幕が下りた。




