106時間目:変わる
ティルが特別な宿題をする間も、時は過ぎて行く。エスパランタ1536年は2月下旬になった。ティルは、学校の図書室にて多少肌寒さを感じながら大きな息を吐いた。
「やっと、やっと出来た」
ティルの目の前には、沢山の呪文が書かれた紙があった。自動筆記の鉛筆がその紙に落ち、コロコロ転がる。ティルは、辞書を返却した後、鉛筆と呪文が書いてある紙と共に図書室から出て行った。
(学園長先生、出来たよ!)
その足で、ティルは学園長室へと行った。
「学園長先生!」
「おお、どうした?ノヴァ・テンポーレ」
「呪文、やっと出来たんです!」
ティルは、イヴァンに紙を渡した。
「丸ついてるのが、その呪文です!」
「これは、また、そう来たか。3月末に唱えるのが楽しみだな」
「よろしくお願いします」
イヴァンは、その紙をまじまじと見回す。
「かなり、悩んだようだな」
「最初は、全然わからなかったけど、だんだんわかるようになって来て、楽しかったです」
「そうか。それはよかった」
イヴァンは、ふと外を見る。
「すっかり暗くなってしまったな。今日は、私が家に送ろう」
「え、あ、本当ですね」
イヴァンはティルに手を差し伸べた。
「瞬間移動で帰ろう」
「はい」
ティルは、イヴァンの瞬間移動にてあっという間に家の前に来た。
「学園長先生、ありがとうございました」
「どういたしまして、ノヴァ・テンポーレ」
「さようなら」
「さようなら」
そして、イヴァンは再び瞬間移動にて学校へと戻って行った。
(難しい勉強、苦しかったけど、楽しかったなぁ)
時は過ぎ、三学期は終わりを告げる。下校するティルは、校門にイヴァンがいるのを見た。
(えっ?)
イヴァンは、校門を通る児童生徒に別れの挨拶をかけ続けていた。ティルは駆け寄る。
「学園長先生!」
「ラーナーさん、来ましたね。少し、ここにいてくれませんか?」
「は、はい」
ティルは、イヴァンの傍らに立ち、再び挨拶を始めるイヴァンを見上げた。
「皆さん、さようなら、お元気で」
やがて、児童生徒の列が途切れた。すると、イヴァンはようやくティルへの用件を話し始めた。
「ノヴァ・テンポーレ、これを、親御さんに見せて欲しい」
封のしていない手紙がイヴァンからティルに渡された。
「何ですか?」
「3月31日の決行の日、課外授業があると親御さんに知らせる物だ。まさか、時間統合とイテラリピティの発生に立ち会うと、君に言わせる訳にはいかないからな」
「そうですか。わかりました」
そうして、遂に決行の日、3月31日が来る。夕方、ティルはグレゴリオやノエル、そして、リノに見送られながら学校へと向かった。集合場所は、講堂。ティルはそこに足を踏み入れた。
「ノヴァ・テンポーレ、よく来た」
「こんばんは、学園長先生」
ティルは、舞台に1人で立つイヴァンの傍らへ。イヴァンの手には、ティルが呪文を書いた紙がしっかり握られていた。
「さて、始めよう。時間統合に、どのくらい時間がかかるか、私もわからないからな」
「はい」
イヴァンは、大きく息を吸い、集中する為、目を閉じた。しかし、すぐに目を開ける。そして、唸るような声を上げた。
「くっ、何という事だっ」
「えっ?」
イヴァンは、右腕を性急に露出させた。ティルはイヴァンの右腕を見て、悲鳴のような声を上げた。
「あっ、あの実、時の実が成ってたあれ!!」
イヴァンの右腕から、綺麗な蔓植物が急速に生えて来る。
「こんな時に、代替わりかぁ!くっ、止まれ!!」
イヴァンの焦燥の叫びが、メビラ学園の講堂中に響き渡った。その間にも、蔓は伸び続け、イヴァンの右手まで到達した。そして、その右手に乗るように、ピカピカ輝くカラフルなりんご程の大きさの実がひとつ成った。
「止まらなかったか」
イヴァンは苦悶の表情を浮かべる。ティルは小声で言った。
「時の実。久しぶり」
わずかな時間、講堂には沈黙が流れる。しかし、イヴァンは口を開いた。
「ノヴァ・テンポーレ、残念だが、もう私はテンポーレではなくなった。そして、新たなテンポーレを迎えねばならない」
イヴァンは、ティルに右手の時の実を差し出す。
「君が、その覚悟があると言うなら、これを受け入れろ」
ティルは、しばらく時の実を凝視したが、一度歯を食いしばった後、言った。
「わかりました。私、テンポーレになります」
「心苦しいが、頼んだぞ。時の実は、君が覚悟を決めたら自分でもいで欲しい」
「はい」
ティルは、一呼吸置きイヴァンの右手から、時の実をもいだ。すると、イヴァンの右腕に蔓延っていた蔓植物はとけるように消えていった。イヴァンは、ティルが時の実を見つめ、わずかに呼吸を速くしている所を見ながら言う。
「味は知ってるな?おそろしいだろう?」
ティルは、目をきつく閉じ、一度思いっきり唾を飲み込んだ後、時の実を口に運んだ。時の実はやはり、噛めない程ではなかったが、ティルの歯を手こずらせた。ようやく一欠片を口の中に受け入れる事が出来た後、ひと噛みする。
(柔らかくなった。これから、これからがこわい)
果汁が口の中いっぱいに広がるが、甘味、酸味、辛味、塩味、苦味が目まぐるしくティルの舌を襲う。
(来た。美味しくない!)
ティルの顔が歪む。それを見たイヴァンも顔を歪ませ言った。
「やはり、この世のものではない味だろう?だが、私はこう考える。時が見てきた喜怒哀楽や悪事、そして、善行、その他全ての物がそこには詰まっている。だから、味や香り等が目まぐるしく変わるのだろう。辛いな。私はここにいて支援する事しか出来ない。頑張れ、ノヴァ・テンポーレ!」
ティルは吐き出したい衝動に駆られながらも、イヴァンの声に励まされ何度か実を咀嚼すると、硬さが戻ったり柔らかくなったりを繰り返した。また、熱々のスープが如く果汁が熱せられたり、アイスクリームが如く実が冷たくなったりもした。
(学園長先生、頑張る!)
そんな中でも、ティルの鼻を果実の香りが次々に通っていく。爽やかさ、香ばしさ、スパイシーさ、ありとあらゆる香りと、生臭さも襲って来た。苦しみの中、ティルは迷いなく、その実の一欠片を飲み込んだ。そして、残りの実も、イヴァンが見守る中、必死に食べ進める。
(苦しいよ!)
ティルは、辛さから呼吸が荒くなるが、そんな中、ティルの脳裏にふたつの大きな時計が現れる。
(時計?前は見なかった)
その時計から、文字が溢れてくる。それは、呪文そのものであった。そして、ティルは遂に時の実を完食した。すると、ティルの背後に時計の幻影が現れ、辺りを光で包んだ。
「終わった」
ティルは、時の実の余韻が口に残る中呟いた。その口の周りは濡れていて、イヴァンは小さな布で拭き取ってくれた。
「ありがとうございます、学園長先生」
「よく頑張った。新たなテンポーレ」
すると、イヴァンはティルが書いた呪文の紙を持ち、破ろうとする。
「何をしてるの?学園長先生!!」
ティルの叫びに、イヴァンの手が止まる。紙は間一髪破られる事はなかった。そして、イヴァンは返した。
「これは、なしだ。中止する。作戦を実行すれば、君は、真の孤独に陥る」
「えっ!だけど、やらなきゃ世界は危ないままなんでしょう?」
「そうだが!」
「大丈夫です!私は、1人じゃないです!!」
「何故!時間統合とその後のイテラリピティで、私は、君を知らない者になるんだぞ?」
ティルは、イヴァンの手を取った。
「イテラリピティが、私を1人にしただけです。イテラリピティはこれが最後だから、1人になりません」
ティルは、イヴァンの手に残る紙に触れる。
「だから、やらせてください」
イヴァンは、目を閉じ首を横に振る。
「大丈夫。家には、守ってくれるお父さん、優しいお母さん、かわいいリノがいます。クラスには、ずっと仲が良かったエリンちゃん、しっかりしてるハワードくん、かっこいいラインハルトくん、守ってやりたいフェリシアちゃん達がいます。学校には信じてるオリーン先生と」
ティルはイヴァンの手を握る。
「お父さんも言ってた、強くて優しい学園長先生がいます!だから、私は1人には絶対なりません!!」
イヴァンの目が開かれた。
「だから、やらせてください!私と学園長先生がいる世界の為に!!」
「わかった。君の時間統合を見届けよう」
「ありがとうございます!!」
イヴァンの手の中の紙が、ティルに渡った。ティルは改めて呪文を確認する。そして、紙は舞台の床に置かれた。
「学園長先生、明日には私の事知らない人になるけど、私、絶対にメビラ学園に入学します。卒業までの授業で、私をエルドレッドさんに負けない魔法使いに育ててください!お願いします!!」
イヴァンは、深く頷いた。
「約束しよう。新たなテンポーレ、ティル・ラーナー」
「さようなら、学園長先生。また会いましょう」
「さようなら、ティル・ラーナー」
ティルは、そう返したイヴァンを目の前に唱えた。
「ティエエンメ、ピオ。エッセイエンネ、ティエ、エッセイ。ふたつの時間!ひとつの新しい時間の力となって!!」
辺りは暗くなる。そこにいたイヴァンは見えなくなった。そして、ティルの頭の中に届いたのは、無機質で性別も判定出来ないようなゆっくりしたこの声であった。
「リシンクロジオン」




