102時間目:戻る
ティルが誕生日を迎えてから最初の休日。ティルは朝早くにオーケン家を出た。
「いってきます」
「いってらっしゃい、お気をつけて」
モニカに見送られながら行ったのは、ラーナー家。
「ただいま!」
ノエルが迎えた。
「ティル、おかえりなさい」
「お父さんは、お仕事?」
「夜勤でいないのよ。昼前には帰るわ」
「そうなの」
(最初にお誕生日の絵本の事、お礼言いたかったけど、お父さんが帰ってからにしよう)
ティルは、リノの寝床へ。
「リノ、ただいま!」
ピカピカ光るリノはその丸い目でしばらくティルの事を見回したが、そっぽを向いた。
「リノ」
ノエルはそんな光景を見ながら、言った。
「リノ?お姉ちゃんよ?」
リノは、ノエルの声に反応し、ノエルを見つめ口角を上げた。
(う、今の私、リノのお姉ちゃんだって言えない)
それから、ティルはラーナー家での休日を過ごす。すると、ノエルの言葉通りにグレゴリオが帰宅した。
「ただいま」
「おかえり!お父さん!!」
「ティル!!」
グレゴリオは、思わずティルを抱き上げる。ティルはグレゴリオの肩越しにこう言った。
「ね!お母さん、来て!!」
「何?」
ノエルは昼食の支度を中断してティルとグレゴリオの元へと来た。グレゴリオとノエルが揃った事を確認すると、ティルは言った。
「お父さん、お母さん、お誕生日の時は、絵本ありがとう!嬉しくて毎日読んでるよ!!」
「そうかい!ティル!!」
「喜んでくれてよかったわ、ティル」
グレゴリオは、ティルを抱き締めたその腕で揺らし、ノエルはそんなティルの頭を撫でた。そして、グレゴリオは言う。
「オーケン先生に、断られると思ってたけど、無事に渡ってよかったよ」
「そうね、毎日読んでくれてるなんて、私も嬉しいわ」
「ありがとう、お父さん、お母さん」
そんなやり取りがあった後、しばらく親子の触れ合いが続いたが、ノエルは昼食の支度へ戻る。そして、出来上がった昼食をリノを交えて4人で摂る。
(もう、私は1人じゃなくなった。お父さんとお母さんとリノを傷つけないと思う。だから、この家に戻って来たい。でも、私、学園長先生を1人にしたくない。なんだか気持ちがぐちゃぐちゃ)
ティルは、ノエルが作った卵絡め麺を頬張る。そこに入っている肉の香ばしさが鼻を抜けていく。
(誕生日のお祝いの時、オリーン先生の卵絡め麺、食べたなぁ。お母さんのも、オリーン先生のも、違った味だけど、どっちも好きな味!)
やがて、昼食の時間は終わる。グレゴリオは仮眠に行った。それを見届け、再びティルは、ラーナー家の空気を堪能する。日が傾き始めた頃、ティルは言った。
「また、学校がおやすみの日に来るね!お父さん、お母さん」
グレゴリオとリノを抱っこしたノエルは、そんなティルを見送った。夕焼けが消える頃、ティルはオーケン家の玄関を開けた。
「ただいま」
「おかえり、ノヴァ・テンポーレ」
それからというものの、ティルは学校で学習を進めながら、オーケン家とラーナー家を行き来する日々を過ごして行った。
何度も訪れるエスパランタ1536年は、3月末日となる。ティルは、オーケン家での夕飯を食べ終わった直後、イヴァンに声をかけられた。
「ノヴァ・テンポーレ、今夜は、日付が変わるまで起きて欲しい」
モニカが口を挟んだ。
「年末の特別な日でもないのに、子供の体のラーナーさんを夜遅くまで起こしては、体調が心配です」
「構わないんだよ」
「オリーン先生、大丈夫です。学園長先生、わかりました」
それから、ティルは入浴をし、再び食卓に座したままのイヴァンの元へ。
「どこで、起きていればいいんですか?」
「ここで構わない」
ティルは自らに宛てがわれている席に着いた。すると、イヴァンは話し始める。
「この半年、新たに出来たこの時間を私はテンポーレとして見続けた。記録に残る私が守りたかった時間と何度も見比べた。そこで私が感じたのは、この時間は、かなりの力を秘めているという事だ」
「そうなんですか」
「そして、この先の未来は全くわからない事もな。おそらく、この時間は、ノヴァ・テンポーレが無意識のうちに作った時間軸なのだろう」
「私が、作った?そんな、何もしてません」
「だから、無意識と言っただろう?」
イヴァンは、そう言いながらはっとする。そんなイヴァンを見ながら、モニカも合流した。
「『無意識』という言葉は、初等部1年生には教えていません」
「そうだな。言い換えよう。ノヴァ・テンポーレが考えなくても出来た時間という事だ」
「えっ」
(私の力、そんな事が出来たの?)
「この時間軸は、ノヴァ・テンポーレが時の実を食べたイテラリピティの4月1日から始まっている事はわかった。いつ食べたのかはわからないが、その日から私の起こしたイテラリピティの起点まで遡り、新たな時間を進め始める事が出来たのだろうな」
(難しいよ、学園長先生)
イヴァンは、天井を仰ぐ。
「それから、私は1年毎に差異が発生する事に焦り、ノヴァ・テンポーレは人々に忘れ去られる事に苦しみ、オリーン先生は何度も何度も1年あった事を忘れた」
それから、3人の間には沈黙が流れる。しばらくした後、イヴァンが再び口を開く。
「しかし、そんな中で、私とノヴァ・テンポーレは出会い、孤独から解放された。オリーン先生の仲介もあってな。この半年は、私にとって素晴らしい時間だった。感謝する、ノヴァ・テンポーレ、オリーン先生」
モニカがその言葉に返す。
「学園長、まるで別れの言葉ですね」
「実際、私達は、別れる」
ティルも返す。
「別れるって?」
「悪いが、ノヴァ・テンポーレを親御さんに返す為に、イテラリピティをこれから行う。日付が変わる瞬間にな」
「そんな!それじゃ、学園長先生はまた1人になっちゃいます!!」
「友として、会いに来てくれればいい」
「友達?」
「そうだ」
ティルとの話の途中ではあったが、イヴァンはモニカにも言った。
「ここ半年は、世話ばかりかけたな、オリーン先生」
「い、いいえ」
「正直疲れただろう?ノヴァ・テンポーレの心配と、仕事は。そして、おそろしかったろう?『一世帯勤労者一人の規則違反』が明るみに出て、罰則を受けるのではないかと」
「た、確かに、そうでしたが、それと同等の穏やかさもいただきました」
「そうか、それはよかったが、もう君を解放したい。それが私の願いだ。だから、『明日から』何も知らなかったオリーン先生に戻れ」
「学園長」
それから、長い沈黙がオーケン家を包んだ。その中で、ティルは、モニカは、イヴァンとの別れを決意する。
「学園長先生、私、お父さんとお母さんの所に戻ります」
「学園長、私は、再びいち教諭に戻ります」
「よく、決断したな」
そして、午後11時59分、イヴァンは立ち上がる。
「これより、イテラリピティを起こす。ノヴァ・テンポーレ、そして、オリーン先生、立ち会え」
ティルとモニカは声を揃えて「はい」と言った。それから集中するようにイヴァンは目を閉じる。そして、唱えた。
「ティエエンメ、ピオ。チイ、チエレオ。エスパランタ1535年4月1日へ!!」
カチカチと時を刻む音が、目の前が真っ暗になったティルの頭の中で鳴り響く。
(起きている時にこうなったの、初めて)
しばらくカチカチとする音を聞き続けるティル。
(いつもと同じ。何も見えない。何も感じない。だけど、この音だけ聞こえる)
うるさく感じる音が、止まった。息すら止まるような感覚の中、聞こえたのは、無機質で性別も判定出来ないようなゆっくりしたこの声であった。
「イテラリピティ」
(学園長先生、さようなら)
ティルの意識は途切れた。
燦々と春の朝日が降り注ぐ中、ティルは目を覚ます。
「イテラリピティ」
ティルはしっかり見開いた目で、周囲を見る。そこは、紛れもなくラーナー家の自室であった。そこに掲げられていたのは、エスパランタ1535年4月の暦であった。
「ただいま、私の本当のお家」




