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銀座のパフューマー 香りの記憶  作者: 昼間 ネル
第一章 香りの記憶。

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第八話:迷宮の残香

まえがき

静寂が支配する調香室に、場違いな革靴の音が響くとき、物語は「香りの芸術」から「香りの事件簿」へと姿を変えます。

今回、九条の元を訪れるのは、鉄の意志を持つ捜査一課の刑事。彼が持ち込んだのは、死体なき現場に残された不可解な芳香でした。

科学捜査の限界を超えた先にある、犯人の「歪んだ哲学」を暴けるのは、同じく常人離れした嗅覚を持つ九条のみ。

美しき調香師と、冷徹な刑事。

二人の異端児が交差するとき、目に見えない「凶器」の正体が、白日の下にさらされます。

その日

白檀の香りが夜のとばりに溶け込んだ頃

カランと、どこか事務的な音を立ててドアが開きました。


入ってきたのは、仕立てのいいダークスーツを纏った三十代後半の男。


その鋭い眼光と、微かにコーヒーの匂いが漂う。

彼が「日常」とは対極の世界に住む住人であることを物語っていました。


「……営業時間は過ぎている。お引き取りを」


九条は顔も上げず、ピンセットで繊細な香料の結晶を扱っています。しかし、男は退きません。


「警視庁捜査一課、近藤だ。……九条さんの

特殊な『嗅覚』の噂は、今や世間に限らず上層部からも聞いている力を貸して頂きたい。」


姿なき殺人者のプロフィール

男はカウンターに

数枚の現場写真を叩きつけました。


そこには、何の変哲もない高級マンションの一室で、まるで眠るように絶命した被害者の姿。

外傷もなく、毒物反応も出ない。


ただ、現場には「ある共通点」があったといいます。

「三件の連続不審死。どの現場にも

鑑識では特定できない『奇妙な芳香』が残されていた。……犯人の手がかりが一切掴めない。

まるですり抜ける煙を追っている気分だ。」


向日葵が不安そうに九条の背中を見つめます。

九条は、ゆっくりと顔を上げました。


「刑事さん。ここは調香屋だ。

鑑識の代わりをさせるつもりなら、結構です。」


「報酬は警視庁の機密費から、

君の言い値で出そう。

この『見えない凶器』を暴けるのは、君しかいないんだ。」


「悪意」の分析


九条は忌々しげに眉をひそめ、刑事の手から、現場で採取されたという小さな密閉容器を受け取りました。


蓋を指先でわずかにずらし、その隙間から漏れる空気を吸い込みます。


その瞬間、九条の瞳に冷徹な光が宿りました。

「……フゼア。それも、最高級の**『ラベンダー』と、湿った土を思わせる『オークモス』**だ」

「それが犯人の香りか?」食いつく佐藤刑事に、九条は自嘲気味な笑みを浮かべました。


「……いや、これは『偽装』だ。

この香りの奥に、神経を麻痺させるほど甘ったるい

**『クマリン(桜の葉のような香り)』**

の過剰な摂取、そして……死の直前にしか放たれない、細胞が恐怖した時に出る特有の脂質の匂いが混ざっている」


九条は、空中に見えない糸を絡み取るような

仕草をした。


「犯人は、被害者に『最も安らぐ香り』を与えながら、その裏側で精神を崩壊させる『猛毒』を嗅がせている。……これは殺意ではない。

これは、香りを媒体にした『拘束』だ。」


刑事の顔が驚愕に歪みます。

科学捜査でも辿り着けなかった

「犯人の歪んだ哲学」を、


九条は一瞬で紐解いてみせました。


「九条……。お前、一体何者なんだ」


「私はただの調香師だ。……ただし、自分の認めたくない香りを許さない。」


九条は棚から、金色な遮光瓶を取り出しました。


「刑事さん。その『幾らでも出す』という報酬

本気なら。 ……捜査に協力しましょう。


遠くの向日葵が呆れてる


「だが、犯人に手錠架けるのは、

私の作った『答え』を嗅いで頂きたい。」


九条がムエットに一滴落としたのは

犯人の像をあぶり出すための

刃物のような**「メタリック・サフラン」**

の香り。


「これは、追う側と追われる側、

どちらが先に正体を現すかの賭けだ。

向日葵くん、今夜は店を閉める。

貸切で警視庁御用達の

高い『授業料』をいただくことになりそうだ」


警視庁からの莫大な報酬を約束された


翌週のこと。

向日葵が郵便受けから、取り出したのは

差出人不明の、重厚な茶封筒が届きました。


「九条さん、これ、変な手紙ですよ。

……あ、でも、これ……」

封を切り、中身を取り出そうとした向日葵の手が止まりました。


便箋は入っていません。そこにあったのは、一枚の真っ白なシルクのハンカチ。


そして、それが空気に触れた瞬間――。

調香室の穏やかな空気が

一瞬にして「凍りついた」のです。


宣戦布告の香り


九条は瞬時に向日葵の手からハンカチを奪い取り、自らの鼻を近づけました。

その直後、眉間には、

かつて無いほど苦悶の表情をする九条。


「……向日葵くん、窓を全て開けろ。

換気扇を最大だ。……今すぐに!」


九条の切迫した声に

向日葵は弾かれたように動きます。


ハンカチから放たれていたのは

ただの香りではありませんでした。


「ヘリオトロープ」:甘く、どこか懐かしいバニラのような香り。

「アルデハイド」:人工的で冷たく、鼻を突くような金属的な清潔感。

「シアン(青酸ガスを模した合成香料)」:アーモンドに似た、死を連想させる致死の芳香。


「これは……犯人からの『挨拶』か?」


「挨拶どころではない。……『私を捕まえてみろ、調香師』という明確な挑発だ」


九条は、ハンカチの端に微かに残された、

**「インク」と「防腐剤」**の混じった匂いを嗅ぎ分けました。


鏡合わせの悪意。


「この香りの構成……私と似ているが?

美しさを追求しながら、その裏側に絶望を隠し持っている。

正し、決定的に違うのは……このぬしには

感情と愛がない。あるのは、他人を壊して自分を補完しようとする、底なしの飢えだ。」


九条がそう呟いたとき、

背後で勢い良く扉が開きました。

近藤刑事が、顔色を変えて飛び込んできたのです。


「九条! 郵便物は届いていないか!?

四人目の被害者が出た……

今度は、警察への通報の最中に、

受話器越しに笑いながら『次の標的は調香師だ』と告げたらしい」


逆転の調香

九条は恐怖を感じるどころか、その薄い唇に狂気さえ孕んだ笑みを浮かべました。


「……面白い。私を獲物だと思っているなら、

その傲慢さを根底から叩き潰してやる必要があるな」


九条は調合台に向かい、これまで隠してきた

「禁断の香料」が眠る黒い引き出しを開けました。


「近藤刑事。このハンカチに染み付いた

『防腐剤』と『インク』の匂い……。

犯人は、古びた書庫か、あるいは薬品を扱う特殊な環境にいる。そしてこのヘリオトロープは、天然のものではなく、二十年前の古い製法で作られた合成品だ」


九条は、自らも一振りのムエット(試香紙)を手に取りました。


「向日葵くん。これから私が作る香りを

近藤刑事の車両に積み込んでくれ。

……犯人が『自分の香り』に酔いしれている

その瞬間

その感覚を反転させ、

耐え難い『悪臭』へと変貌させる

『罠』を調合する」


九条の手が、音もなく動き始めます。

それは、警視庁の予算を惜しみなく注ぎ込んだ、

世界で最も贅沢で、最も残酷な「トラップ」の始まりでした。

第7話をお読みいただき、ありがとうございました。

作品の参考にしたいので、ブックマ、評価お願いします。

今回は、これまでの優雅な雰囲気から一転、警視庁を巻き込んだサスペンスフルな展開となりました。

九条が分析した「フゼア」や「クマリン」の香りは、本来人をリラックスさせるものですが、使い手によっては「拘束」の道具に変貌するという、香水の持つ二面性を描いています。

ラストで犯人から届いた挑戦状。

鏡合わせのような悪意を持つ正体不明の敵に対し、九条が取り出した「黒い引き出し」の中身とは一体何なのか。

そして、二十年前の製法で作られた合成香料が示す、犯人のルーツとは――。

次話、九条の仕掛ける「残酷な罠」がどのように犯人を追い詰めるのか、どうぞご期待ください。

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