第28話 着信
鳴り響くコール音。
表示された名は、九条が今最も救いたいと願う愛弟子のものだった。
しかし、受話器から漏れ出したのは、
鼓膜を汚すような、冷酷な「蠍」の嘲笑。
「一人で来い」
警察の盾を捨て、近藤の制止を振り切り、
九条は漆黒の夜へとポルシェを走らせる。
向かう先は、かつて彼女が「花の匂いが好きだ」と笑った思い出の場所。
再会の約束は、死の香りに塗り替えられていく――。
炎上するワンボックスの熱気が、遠く離れた九条の頬を刺す。阿鼻叫喚の現場で、九条のポケットが震えた。
画面に表示されたのは、見慣れた「向日葵」の二文字。
「向日葵……ッ!」
祈るような思いで通話ボタンを押し、耳に当てる。しかし、スピーカーから漏れ出たのは、愛弟子の声ではなく、鼓膜を這いずるような不快な男の笑い声だった。
『ふっふっ……久しぶりだな、九条ナギ』
九条の背筋に、氷柱を突き立てられたような戦慄が走る。
「……貴様、『蠍』か」
『向日葵くんは、横浜公園の噴水広場に居る。そこまで来い! ただし一人でな!』
「待て! 向日葵は無事なのか!」
九条の問いかけに応じることなく、通信は無慈悲に途切れた。
「九条! おい、無事か!?」
爆風で煤だらけになった近藤が、肩を揺らしながら駆け寄ってくる。その後ろでは、負傷した隊員たちの救護活動が始まっていた。
「近藤……。向日葵の居場所がわかった」
「何だと? どこだ、すぐに全車両を――」
「来るな」
九条は冷たく、だが断固とした拒絶の言葉を投げた。
「一人で来いと言われている。これ以上、君たち警察が動けば……彼女の命はない」
「馬鹿を言うな! 相手は爆弾まで仕掛ける連中だぞ! 一人で行くなんて自殺行為だ!」
近藤が九条の腕を掴む。だが、九条はその手を静かに、しかし力強く振り払った。その瞳には、すでに死を覚悟した者の静かな狂気が宿っていた。
「近藤、君の仕事はここで怪我人を救うことだ。……私の仕事は、教え子を連れ戻すことだ」
九条はポルシェのドアを開ける。
「もし……一時間経っても連絡がなければ、横浜公園に『掃除』に来てくれ」
「おい! 九条ッ!!」
近藤の制止を振り切り、ポルシェが夜の闇へと滑り出す。
横浜公園、噴水広場。
そこは、かつて向日葵が「ここの花の匂いが好きなんです」と笑っていた、思い出の場所だった。
そこに待ち受けるのは、再会か、それとも――。
第28話をお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、九条と「蠍」の心理的な駆け引き、そして近藤刑事との決別を描きました。
「掃除に来てくれ」という九条の言葉には、自分自身が戻ってこれない可能性をも含んだ、重い覚悟が込められています。かつて平和な日常の象徴だった横浜公園が、どのように変貌して九条を待ち受けているのか。
次話、ついに向日葵との再会です。
しかし、そこに漂う香りは、九条の知る「ネロリ」ではないかもしれません……。
緊迫の対峙編、どうぞご期待ください!




