表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀座のパフューマー 香りの記憶  作者: 昼間 ネル
第三章「黒蠍(サソリ)・追跡編」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/31

第27話 緊急配備

闇を裂くポルシェの咆哮。

県警の敷いた網は、獲物を逃さぬはずだった。

だが、包囲された黒い影から漂うのは、

愛弟子の愛した「ネロリ」の残り香でも、

監禁場所を満たしていた「ジギタリス」の毒気でもない。

九条ナギの鼻腔を突いたのは、

死を予感させる硝煙と、冷徹な殺意の化学反応。

「……そこにあるのは、爆薬だ」

絶望の火柱が上がる中、狂い始めた運命の歯車。

炎に照らされた九条の瞳に、非通知の着信が不気味に反射する。

拐われた、向日葵が、賢明に追い掛けていた。


「……九条か! 状況を言え、九条!」


ポルシェのスピーカーから、野太く、焦燥に満ちた声が響き渡った。警視庁捜査一課、近藤刑事だ。


「向日葵が攫われた……。黒のワンボックス、品川ナンバー……いや、偽造だろうが、下3桁は『5-21』だ」


「何だとッ!?」


受話器の向こうで、近藤が机を叩くような激しい音が聞こえる。


「あのバカども、ついに実力行使に出やがったか……! 九条、お前は深追いするな。今すぐ本部に連絡して、管轄全域に緊急配備(緊配)をかける! 横浜港、大黒ふ頭、狩場インター……鼠一匹逃がさん!」


「近藤、あいつらは防毒マスクをしていた。ただの誘拐犯じゃない。重武装の可能性がある」


九条の声は、怒りを通り越して氷のように冷え切っていた。シフトレバーを叩き込み、ポルシェを3速から4速へ。エンジン音が高らかに夜を切り裂く。


「……分かってる。SIT(特殊捜査班)にも待機要請を出す。いいか、九条! 現場は俺たちが押さえる。お前は……」

「……断る。教え子を奪われて、黙って茶を啜るほど、私は枯れていない」


九条は通信を一方的に切断した。

その頃、県警本部では近藤が怒号を飛ばしていた。


「各局、各局! 横浜市中区、商店街付近で発生した拉致監禁容疑、黒のワンボックスを追跡せよ! 周辺の検問を最優先、逃走ルートを封鎖しろ! ……おい、無線を回せ! 奴らの先回りをするぞ!」


横浜の夜が、赤と青の閃光に支配された。

近藤の発した緊急配備により、主要道路は県警のパトカーによってことごとく封鎖されていた。検問の列、けたたましいサイレン。空にはヘリの爆音が轟く。


「各局、ターゲットをベイブリッジ手前、本牧ジャンクション付近で捕捉! 追い詰めたぞ、全車包囲せよ!」


無線から近藤の勝利を確信した声が流れる。

九条はポルシェを路肩に止め、その光景を睨みつけていた。前方、パトカーの群れに完全に囲まれ、身動きが取れなくなった例の黒いワンボックスが見える。


「……終わったな」


九条はインカムのスイッチを入れた。近藤への感謝を伝えるためではない。……何か、言い知れぬ違和感が彼の鼻腔を突いたからだ。


それは、風に乗って運ばれてきた、微かな臭気。

パトカーから飛び出した防弾チョッキ姿のSIT隊員たちが、ワンボックスを取り囲む。


「運転手、エンジンを切れ! 両手を上げて外に出ろ!」


緊迫した膠着状態。だが、車内からは何の反応もない。近藤が覆面パトカーから降り立ち、メガホンを手に取ったその時だった。


「……待て。近藤、近づくな!」


九条がインカムに叫ぶ。


「あいつらは……向日葵は、そこにはいない!」

「何だと? 何を言ってやがる、九条! 車は完全に押さえたんだぞ!」

「匂いだ……」


九条はポルシェから降り、夜の空気を大きく吸い込んだ。催涙スプレーの刺激臭の奥にある、あの忌まわしい匂い。


「ジギタリスの甘い匂い……地下室にあった、あの

薬物の匂いが、あの車からは全くしない、ネロリの香りもな!」


「匂いだと……? 馬鹿なことを!」

「そこにあるのは……ニトロセルロースと、微量の硫黄。……爆薬の匂いだ! 全員離れろッ!!」


九条の叫びと同時に、完全に包囲されていたワンボックスが、凄まじい爆音と共に紅蓮の炎に包まれた。

ドドッッッッンン!!


爆風に吹き飛ばされる警察官たち。近藤も覆面パトカーの影に身を隠し、爆発の衝撃に歯を食いしばる。炎上するワンボックス。


それは向日葵を乗せた車ではなく、警察を引きつけるための、精巧な「動く爆弾デコイ」に過ぎなかった。


九条は、燃え盛る炎を見つめながら、その場に崩れ落ちそうになるのを必死にこらえた。


「蠍」は、警察の動きすら完全に読んでいたのだ。


ジギタリスの匂いは、ここにはない。

ならば、本当の向日葵は今、どこに――?

その時、九条の携帯電話に、非通知の着信が入った。

第27話の修正版、いかがでしたでしょうか。

今回は「香り」の対比にこだわりました。

九条が守りたかった「ネロリ」の清廉な香りが、火薬の硫黄臭に上書きされてしまう。この対比が、今の九条の「怒り」の深さを物語っています。

爆発という物理的な破壊で警察の足を止め、その隙に直接九条を誘い出す「蠍」の用意周到さ。

もはやこれは単なる事件ではなく、九条ナギという男の魂を削るための「実験」のようでもあります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ