二十七話「変質と手応え」
翌日の朝、重い足取りで通学路を歩いていた。
昨夜はほとんど眠れなかった。
目を閉じると、白紙に戻そうと焦る小寺先輩と、清水の冷ややかな眼差し、そして階段の踊り場で藤井先輩から投げかけられた「君の目的は?」という問いがぐるぐると頭を駆け巡った。
どうすればいい。
清水をどう引き留めればよかったんだ。
小寺先輩の暴走を止めるには、どうすれば――。
下を向いて答えの出ない問いを反芻していると、前方に佇む影に気づいて足を止めた。
通学路の街路樹の木陰。
整った制服を乱すことなく着こなし、スマートフォンを無機質な目で見つめている男がいた。
同好会の二年生であり、藤井先輩の右腕でもある雪村先輩だった。
僕が足を止めた気配を察したのか、雪村先輩は画面から目を離し、ゆっくりとこちらへ視線を向けた。
「……おはようございます、雪村先輩」
「おはよう、黒木。酷い顔だな。昨日の修羅場の後遺症か」
挨拶を返されたものの、その声は淡々としていて、気遣うような温かみは微塵もなかった。
「……聞いたんですか」
「ああ、藤井代表から聞いた。"小寺のチームがやべーことになった"とな」
雪村先輩はスマートフォンの画面を閉じ、ポケットに収めると、僕と並んで歩き出した。
「すみません……どうしたらよいか分からなくて」
「別に謝ることじゃない、お前の手に負える話じゃない」
雪村先輩の冷ややかだけれども、今は少しだけ落ち着くトーンの声が朝の澄んだ空気を心地よく感じさせる。
「小寺先輩の身勝手な行動と、清水の我儘だ。全く幼稚で仕方がない」
「清水さんは……もう戻ってこないかもしれません。僕の言い方も悪かったし……」
「ふむ…」
雪村先輩は少し歩くペースを落とす。
「今の君が何を言っても、清水には届かないだろうな」
「…」
雪村先輩の冷静な現状分析が、改めて僕のどうしようもない現状を突き付けてくる。
「まあその…何だ。チームに問題があるとわかっていながらも放置していた俺にも責任はある」
「責任…ですか?」
思わず問い返すと、雪村先輩は虫の居所が悪いように少しそっぽを向いてしまう。
「つまりは、だ。清水のことは俺から話しておいてやる」
「雪村先輩が…ですか?」
思わず問い返すと、雪村先輩は気まずさを誤魔化すように、ふいと歩くペースを戻した。
「…何度も言わん」
冷淡な言葉を紡ぎながらも、雪村先輩は僕を横目で見やった。
「ただし、今回のビジコンで戻ってこさせる保障はないからな。少なくとも俺が目指すのは、次の年度に後腐れなく復帰させてやることだけだ」
「…ありがとうございます」
「…礼を言われる筋合いは…ないかもしれないがな」
雪村先輩は、少しバツが悪そうに答える。
「なあ黒木、来年もサークル続けろよ」
「急になんですか」
「いや、それだけ伝えたかっただけだ」
そう言い捨てると、雪村先輩はいつもの歩幅を取り戻すように校舎の中へと吸い込まれていった。
・・・
放課後。
『来なくてもいいよ』
と小寺先輩に言われていた部室の前に、僕は立っていた。
深く息を吸い込み、意を決してドアノブを回す。
カチャリと音を立てて扉を開けると、室内には昨日の重苦しい空気がそのまま残っていた。
ホワイトボードの前で、小寺先輩が一人、髪をかき乱しながらペンを走らせている。
「小寺先輩」
不意に飛び込んできた僕の声に、小寺先輩は弾かれたように振り返った。
「黒木君…!来てくれたんだ…」
「はい…」
「ごめん…来てくれたところ申し訳ないんだけど…あんまりいい案は思いついてないんだ…」
小寺先輩の声は浮かばない。
僕は無言で近づき、小寺先輩の隣に座る。
「…黒木君?」
「小寺先輩、頑張りすぎですよ」
「だって…もう私一人だけになっちゃったし…」
やりきるしかないと覚悟したのか、それともハイになっているのか。
しっかりと会話ができているはずの小寺先輩の目は虚ろだった。
「多分…ですけど、一人でやっててもどうにもならないです」
「うーん…そうかなぁ…。なんか行ける気がするんだけどなぁ…」
会話に感じる違和感。
少し見ない間に、小寺先輩は別人のような雰囲気をまとっている。
「…なぜそう思うんですか?」
僕の言葉に、小寺先輩は一瞬だけ動きを止める。
「…なんで?うーん…なんでだろ、分かんないや」
これはポジティブ思考…とでも言うべきなのだろうか。
今まで見てきた小寺先輩の、優しくておせっかいで、空回りしてしまうくらいあの人を追いかけている、そんな影は明らかに見えなかった。
「…僕も色々考えてみたんです、少し作戦を練りましょうか」
・・・
「僕のリサーチだと、介護サービスだと我々のような新規参入者でできるビジネスはなさそうでした。それこそ細々と訪問介護をやっていくような…そのレベルです」
「うーん、やっぱり私もサービス業ってのがどうにも道が開ける気がしないんだよねえ」
今までの小寺先輩は手触り感だったり、目の前のお客さんのことを考えていたような気がする。
もちろんそれが小寺先輩のいいところだったとは思うが、今は少し広く視座があるように感じられた。
「それが分かったとして…どうします?取れる市場がないことが明確になっただけじゃないですか」
「サービス業には手は出せない…ただ市場として伸びていくのは明確…。だったら、周辺市場を狙いに行けばいいんじゃない?」
違和感はある。いつもの小寺先輩じゃない。
だけど、この土壇場で見せた先輩のの変化は、決して悪くない。
むしろ、絶望的だった状況に風穴を開ける筋道が見えた気がした。
「……周辺市場ですか。具体的にどんなイメージですか」
「例えば直接介護サービスを提供するんじゃなくて、介護事業者が抱えてる人手不足とか、業務効率化の課題を解決するシステムとかツール……とか?」
小寺先輩の虚ろだった目に、かすかに光が宿っていたことに気が付く。
思考が急速に噛み合っていく感覚。
(……今の小寺先輩とだったら、いけるかもしれない)
いつからだろう、この同好会に入ってから大変なことを経験させられてきた。
それをどこかで”楽しい”と感じはじめている自分がいた。
「……小寺先輩。今のベースのアイディア、めちゃくちゃいいと思います。ここから一緒に周辺市場を探っていきましょう!」
「黒木君……!よし、やろう!」
夕暮れの部室に、キーボードの軽快な打鍵音が響き渡る。
壊れかけていたチームは、
いや、まだ半分壊れたままかもしれないけれど、
より強固な形となって再始動を果たした。




