二十六話「空中分解」
静まり返った部室に、キュッ、キュッ、と擦れる音が響く。
小寺先輩が、無言でホワイトボードに書かれた文字を消す音だった。
「……今のままじゃビジネスとして成立してない……。だから、ピボットしよう」
ホワイトボード消しをカタンと置き、振り返った小寺先輩の目には、これまで見たこともない強い焦燥感と覚悟が宿っていた。
「ピボットって、全部白紙ってことですか?」
声を上げたのは清水さんだった。
「全部じゃないよ、今の家庭内に抱える問題を解決するってところは変えない」
「そこって前に御子柴さんに一番厳しいって言われたところじゃないですか。そこを変えられないなら、どれだけピボットしても同じじゃないですか?」
「うん、そうなんだけど。でもそこは変えずに挑戦してみたいの」
「挑戦って……無謀じゃないですか。何かアイディアはあるんですか?」
「ごめん、アイディアはまだないんだけど、何か思いつきそうな気がするの」
「ビジコンまであと14日ですよ?」
「清水さん、気持ちはわかるんだけど、評価されないアイディアを持ち込んでも藤井君たちとの差は開くばかりだと思うの」
「それだって、私と黒木は小寺先輩に付き合わされただけですよね?」
「それは……申し訳ない気持ちはあるけれど、藤井君と同じチームにいても今みたいな挑戦はできなかったんじゃないかな」
「そう思ったのでチーム分けには納得しましたけど……合意も得ずに今みたいな展開にもっていかれるのは納得いってないです!」
感情を爆発させた清水の肩が、激しく上下していた。
積み重なった不満と、土壇場で梯子を外されたショック。
二人の間には、もう取り返しのつかない亀裂が走っていた。
「……黒木君」
不意に、小寺先輩が僕を振り向いた。
縋るような、けれど逃げ道を塞ぐような視線。
「黒木君は...どう思う? 」
「……っ」
次は、清水の視線が僕に突き刺さった。
だが、清水は言葉には出さない。
色々なことを思い出していた。
小寺先輩にチーム分けの提案をされた時のこと、
清水と夜に電話した時のこと、
そしてこれまでの同好会の活動のこと。
「...僕、は」
口の中はとっくにカラカラに乾いていた。
「...どっちの言いたいことも分かる。だから...今すぐには決められないです」
僕が口にしたのは、どちらの味方にもなれない最低な醜い言葉。
「そっか...ごめんね、ここまで付き合わせちゃって」
小寺先輩は少し悲しそうに小さな息を吐いた。
「私はちょっと頭を冷やしに行ってきます」
清水は苛立ちを隠しきれず、冷ややかな目線へと変わり、荷物を纏めて教室を出て行ってしまった。
僕も急いで荷物を纏め追いかけようとし、小寺先輩の方にも引きずられるように振り返る。
「うん、大丈夫、行ってあげて?明日は二人とも来なくてもいいし。でも、来てくれたら嬉しい」
そう言い、小寺先輩も帰る準備をし始めたのを見て、僕は清水の方へと走り出した。
・・・
予想より早く、清水に追いついた。
「あの...ごめん」
「何に対して謝ってるの?」
取ってつけたような僕の台詞に、清水は冷ややかに返す。
「黒木は小寺先輩の全部やり直すって案にすぐには反対できなかった、別にそれだけよね」
「そうなんだが...」
「随分優しいのね?黒木の方は最初っからチーム分けの話聞いてたみたいだし。何、狙ってんの?」
「そんなわけっ...!」
「まぁそうよねえ、あんだけ藤井代表~って言ってたら、入る隙ないわよねぇ」
「...」
「さっきは二人とも小寺先輩に付き合わされただけって言っちゃったけど、実際には付き合わされてたのアタシだけか~」
「ハァ…どっちの気持ちも分かるって...何よ。明らかに理不尽なこと言ってるのあの人じゃない。なんでアタシの意見もどっちもどっち、みたいな感じになるわけ?」
「...で?話はそれだけ?私そういう恋愛系でムダな時間費やすつもりないから、じゃあね」
清水はそういうとすたすたと歩いて行ってしまった。
・・・
「や~...すごいところを見てしまったねぇ...」
階段の踊り場。歩いていく清水の背中を見送っていた僕の背後から、ひょっこりと声が降ってきた。
振り返ると、そこには手をポケットに突っ込んだ藤井代表が立っていた。
いつものように少し崩した制服の着こなしと、どこか全てを見透かすような薄い笑み。
「……藤井先輩」
「覗き見するつもりはなかったんだけどさ。自販機でジュース買おうとしたら、修羅場が始まっちゃって、ついね」
藤井先輩は手に持った缶コーラを軽く掲げてみせた。
「小寺のチーム、空中分解しちゃった感じ?」
軽薄とも取れる問いかけだったが、温かみも感じられる口調だった。
僕が答えるのを躊躇っていると、藤井先輩はゆっくりと階段を降りてきて、僕の隣に並んだ。
「まあ、予想通りではあるかな。小寺は熱意だけで突っ走るタイプだし、清水さんは理想が高くて頭が固い。そして君は……ちょっと不器用で、バランス取れるタイプでもないよなっ!」
グサリと、喉元にナイフを突きつけられたような感覚がした。
「藤井先輩……」
「怒らないでよ、事実でしょ? でもさ」
藤井先輩は階段に座り込んで缶コーラのプルタブをパチリと開け、一口飲むと、僕を横目で見つめた。
「君たちのチームが崩壊するのは小寺の自業自得だけどさ。……黒木君、君自身はどうするつもり? 」
「僕自身、ですか...」
喉の奥がひきつるような感覚を覚えた。
「僕は...小寺先輩が言っていることも本当に分かるんです。あ、小寺先輩が言っていることってのは今からピボットしようって話なんですが...」
「あー...それはヤバいね。でもわかっちゃうんだ」
「はい。それだけ熱意があって、諦めたくないって気持ちがあるんだと思います」
「ふむ...」
「ただ、現実問題どうするんだっていう清水の怒りも十分伝わってきていて」
「そりゃあ彼女は怒るだろうねぇ」
「でも、ほんのちょっとだけ我儘を言うのだとすれば、僕の気持ちは小寺先輩の意見に傾いてしまっています」
「...」
「ただ、どうすればいいのか...分かりません」
「小寺についていってやればいいだけじゃないの?」
「2週間ですよ?その時間で藤井先輩たちに追いつきますか?」
「俺らに追いつくのが目的なんだ」
「それは...」
「それは、小寺の目的だよな?」
「...はい」
「じゃあ、君の目的は?」
不意に自分の方向へ矢印が向いて、ドキッとしてしまった。
「...分かりません」
「ハハッ、ホントに不器用なやつだ」
「...すみません」
「じゃあちょっとだけ後押しする言葉をかけてやるとすると...俺はあと2週間でも俺たちに追いつくと思ってる」
「...そんなことが」
「あるだろ。だって君がいるじゃん」
「僕...ですか?」
「そうそう。黒木がいたからチーム分け了承したんだぞ?」
「...買いかぶりです。現にこのビジコンのチームでは何もできていないですから」
「じゃあ今からってことだな」
「...話聞いてましたか?」
藤井代表は少し笑みを浮かべながら立ち上がり、服の埃をパンパンと叩いた。
「楽しみにしてるぜ。俺との最後の対決になるかもしれないからな」
それだけ言い残すと、藤井先輩は「じゃあな」と手を軽く振り、ゆっくりと会談を降りて行った。
一人踊り場に残された僕は、強く拳を握りしめた。




