第7話 特訓
夜中、屋敷はしんと静まりかえっていた。
廊下に満ちるのは、障子越しの月明かりと、夜風がどこかの戸を揺らすかすかな音だけ。
その静寂の底を、俺は影の中を滑るように進んでいく。
(……問題は声のかけ方だよな)
千奈津の部屋の前で足を止める。と言っても、足音を立てているわけじゃない。
床に落ちた自分の影を足場に、一歩、また一歩と沈み込みながら、薄闇の中を進んでいるのだ。
影渡り。
本来は急襲や離脱に使う、かなりやばめの戦闘用スキル。
それを、深夜に女子の部屋へ侵入するのに使っている俺って、一歩間違えば犯罪者っぽい。
(いや、違うからな? これは修行だ。決して夜這いではない)
誰にともなく言い訳しながら、俺は障子の向こうのほのかな気配を探る。
規則正しい寝息。たぶん、熟睡している。
「……よし」
影からそっと顔だけを出すようなイメージで、部屋の中へと身体を滑り込ませる。
月明かりに照らされた室内は、思った以上に生活感があった。
きちんと畳まれた衣服。机の上に置かれた、呪符と教本。
その隅に、小さなぬいぐるみが一つ転がっている
布団の中で丸まっている影が、寝返りを打つように微かに動いた。
月に縁取られた横顔。長い髪が枕に広がって、いつものキリッとした印象とは違う、年相応の女の子の輪郭がそこにある。
一瞬、出るタイミングを迷う。
このまま眺めていたら、それこそ夜這い認定されても仕方ない。
(さっさと起こして、修練場に連れていく。用件だけ伝えていったん撤収。それでいい)
そう決めて、俺は影から身体を抜け出そうと、畳の上へ手を伸ばした――その瞬間。
「…………ん」
布団の中の千奈津が、薄く目を開けた。
視線が、闇の中からにゅっと伸びてきた俺の手と、半身だけ飛び出した影をとらえる。
一拍。
「――――は?」
乾いた空気を割るような声が、部屋に落ちた。
「ちょ、お前、落ち着け。説明させ――」
「……よ、夜中に……女の子の部屋の床から生えてくるとか……」
ぱちぱちと瞬きを繰り返した千奈津の頬が、じわじわと赤く色づいていく。
「……夜這いってレベルじゃないわよ、この変態影ストーカー……!」
「違う! 俺がいつもやっている修行につき合わせてほしいって、お前がいうからだろ!」
慌てて全身を影から引き抜くと、千奈津は布団をぎゅっと抱きしめ、
胸元を抑えたままじりじりと後ずさった。
「……修行?」
「俺はいつも人目につかないこの時間帯にやってるんだよ……、けっして、夜這いではない!」
「最初からそう言いなさいよ!!」
枕が飛んできた。
見事なコントロールで、俺の顔面にクリーンヒットする。痛くない。
「深夜にいきなり影から出てくるバカがどこにいるのよ……心臓止まるかと思ったんだから……」
ぶつぶつ文句を言いながらも、千奈津は布団から出て、慣れた手つきで髪をまとめ始める。
寝癖のついた後れ毛がぴょこんと飛び出していて、そのアンバランスさが妙に可愛い。
わざとらしくため息をつきながらも、千奈津は立ち上がり、
押し入れから外出用の羽織を引っ張り出した。
「着替えるから、ちょっと外で待ってなさい」
「え、別に影の中に――」
「出てろって言ってんでしょ、バカ。次やったら本気で呪うわよ」
「……はい」
呪われるのはさすがに御免だ。
俺は素直に障子をすり抜け、廊下の影に身を沈めた。
~~~~~~~~~~
ひと悶着あったが俺たちは影渡りでそう時間もかけずに修練場に到着した。
千奈津の目は周囲を鋭く見渡していた。
ここは、古くから五影堂家一門が使ってきた修練場。
とくにそんなに殺気立つほどいつもと変わった様子はないが……。
苔むした石柱。割れた木人。
一部の地面には、古い血痕のような黒ずみが残っていて、風が吹くとひゅう、と耳障りな音がする。
そんな中、少し離れた場所――
光の届きにくい端の方に、ぽつんと盛り上がった祠と石の台座が見えた。
「……あそこには近づいちゃダメよ」
俺が視線を向けた瞬間、千奈津が先に釘を刺してきた。
「分家の連中が管理してる祭壇。
表向きは“古い儀式具の保管場所”ってことになってるけど……正直、あまり関わりたくないの」
その言葉に俺はピンときたが、その様子に千奈津は気付かなかったのか、特に反応を示さない。
(あそこで、千奈津が――)
原作ゲームの、あまりにも後味の悪い未来が脳裏をよぎる。
穢れた狂える式神を宿す器として、祭壇に縛りつけられた彼女の姿。
(そんな展開にさせるかよ)
自分でも驚くほど冷たい感情が、胸の奥で静かに燃えた。
「こっちに来て。まずは式神の基礎、ちゃんと教えてあげるから」
千奈津が修練場の中央へと歩き出す。
その背中を追いながら、俺は余計な雑念を振り払い、今やるべきことへ意識を向けた。
「いい? 式神って一言で言っても、ぜんぶが同じものじゃないの」
千奈津は懐から一枚の札を取り出した。
紙に描かれた簡素な文様と、かすかな霊気。
「こういう、簡単な式なら自分で作れる。紙と墨と、ちょっとした霊力があれば十分。でも、ほんとうに強力な式神は――代々の当主たちが調伏して、家に縛りつけて受け継いでいくもの」
「つまり、高レア式神はガチャじゃなくて家宝ってことか」
「なにその例え。……よくわかんない言葉使うのやめてよね」
軽く呆れたように肩をすくめると、千奈津は札を空中へ放り投げた。
「来なさい」
その一言で、札がふわりと宙に浮き、紙から小さな狐の姿が立ち上がる。
半透明の身体、尾が揺れるたびに霊光が散る。
「これは探索用の、低位式神。あんたも使ったことあるでしょ」
「……まあな」
狐が「コン」と鳴き、俺の足首をくんくんと嗅ぐ。
くすぐったさに身じろぎしながら、俺は狐の動きと札の紐付けを観察する。
(札を媒体にして、霊を呼び出して、簡易的な人格を与える……
ゲームの式神システムとほぼ同じ構造だな)
千奈津は狐を霧散させると、地面に座り込み、いくつかの札と小物を広げて見せた。
「問題はね。若様は、今まともな式神をほとんど回してもらえないのよ。本骨頂は高位式神との連携なのに、本家と分家連中が抱え込んじゃってるから」
ここでも環境の悪さが出るか……。
「だから、今の若様が扱えるのは、自作か、残り物か……まあ、そんなところ」
残り物。
その単語に、俺の脳内のマップがカチリとはまる。
(……ああ、そうだ。ここ、確かサブイベントがあった)
原作ゲームの画面が、脳裏にフラッシュバックする。
修練場の隅っこ。視界の外れにある、どうでもよさそうなオブジェクト。
調べると「棄てられた式神封典」を拾える、完全任意の寄り道イベント。
そこで手に入るのは――
(性能だけ見れば高位だけど、癖が強すぎて事故率高いピーキー式神の詰め合わせ、だったな)
本筋のシナリオにも、影法師にも絡まない。
あくまで、プレイヤーが「縛りプレイ」や「ロマン」を求めたときに触る、お楽しみ要素のひとつ。
けれど。
(今の俺には、ロマンでも、縛りでもなく、“選択肢の一つ”だ)
戦力は多いに越したことはない。
ピーキーだろうが、扱いづらかろうが、使い方さえ間違えなければ、強力なカードになる。
「……なあ、その“残り物”って、どこにまとめてあるんだ?」
さりげないふりをして尋ねると、千奈津は少しだけ顔をしかめた。
「あんた、物好きね……。だいたいは倉のほうよ。正式に登録されなかった式符とか、事故りやすい式神とか。扱いが面倒なやつの行き先って感じ」
「面倒、ねえ」
「強いけど、言うこと聞かないとか。契約条件がやたら限定的とか。味方まで巻き込むとか。そういうのばっかりだって聞いたわ」
言いながら、千奈津は修練場の端――祠とは反対側の、半ば崩れかけた倉庫のような建物を顎で示した。
「この修練場の分は、だいたいあそこの中。まぁ……基本的には手を付けなくていいやつよ。わざわざ拾って使う物好きなんて、そういないし」
(いたんだよなぁ、プレイヤーには)
原作でも、一部の奇特なプレイヤーたちが、そのピーキーな性能に惚れ込み、攻略サイトで楽しそうに語り合っていた記憶がある。
「ちょっと確認だけしておきたい。今すぐ開けたりはしないからさ」
「……ほんとでしょうね?」
「本当、本当」
警戒心に満ちた視線をなんとかやり過ごして、千奈津と一緒に倉庫へ向かう。
近づいてみると、倉庫は想像以上にボロかった。
壁の板はところどころ剥がれ、屋根の瓦も何枚か落ちている。
扉の桟には、古ぼけた紙札が何枚も張られていた。
千奈津がそのうち一枚を指でなぞり、眉間に皺を寄せる。
「……あー。やっぱりここね。“棄て式神封典”」
札に書かれた文字を読み上げ、ため息をついた。
「名前からしてろくでもなさそうだな」
「概ねその通りよ。中に封じられてるのは、契約者がいなくなったとか、管理者が失踪したとか、性格に問題がありすぎて封印し直したとか……そういう、“行き場のない式神”たち」
千奈津は扉に軽く掌を押し当て、微量の霊力を流し込む。
バチッ、と乾いた音がして、札の一枚が灰になって舞い散った。
「見るだけ。いい?」
「見るだけだ」
ギィィ、と鈍い音を立てて扉が開く。
中は乾いた土と古紙の匂いが充満していた。
棚には巻物や札の束、箱に入れられた水晶や仮面が雑多に並んでいる。
どれも一応の封印措置はされているが、ところどころ、何度も修繕された痕跡がある。
「ここらへんが“封典”ね。扱いに困った連中を、形だけでもまとめて管理しようとして作ったやつ」
千奈津が指差した先。
ひときわ分厚い巻物が、他の封印具と少し距離を置くように置かれていた。
複数の封札で厳重に巻かれ、表紙には大きくこう記されている。
――『棄式神封典』。
(……ああ、これだ)
原作でも見たタイトルだ。
中身は、戦闘狂の狗、情緒不安定な付喪神、変な条件でしか力を貸さない守護霊――などなど。
どれも一芸特化だが、扱いを誤れば即ゲームオーバー級のじゃじゃ馬たち。
「興味あるの?」
千奈津が横目で俺を窺う。
「……まあ、興味がないと言えば嘘になるな」
「やめときなさい。中身を全部起こすつもりならまだしも、都合のいいところだけ切り取ろうとすると、たいてい痛い目見て終わるわよ。こういうのに限って、変に賢かったり執念深かったりするんだから」
言葉自体は淡々としているのに、その声音には妙なリアリティが宿っていた。
実際に似たようなものを扱った経験があるのだろう。
「さっきも言ったでしょう。今の若様に必要なのは、変な切り札じゃなくて、土台。基礎。ちゃんと扱える戦力」
「……それは、ごもっとも」
だからこそ、今は手を出さない。
封典を記憶してから、俺は扉を閉めた。
(“いつか”使うかもしれない。それくらいの距離感でいい)
こいつは物語の根幹じゃない。
ボスとも影法師とも無関係な、“危なっかしい玩具箱”だ。
それなら、今は手札の端にそっと差し込んでおくだけで十分だろう。
「ほら。脱線してないで、修行に戻るわよ、若様」
千奈津が腰に手を当てて、いつもの調子で俺を睨む。
その口調に、少しだけ安心して笑い返した。
~~~~~~~~~~
「じゃ、次は剣。あんたの我流、前から気になってたのよね」
修練場の中央に戻ると、千奈津が倉から持ってきた木刀を一本、俺に放って寄越した。
慌てて受け止めると、思ったより重みがある。
「我流ってほどのもんでもないけどな。誤魔化してるだけだ」
「そういうのを“変な癖”って言うの。術に頼る前提の動きが身についちゃうと、いざという時に身体が動かなくなるわよ」
言いながら、千奈津がすっと構えを取る。
左足を半歩引き、体の軸をぶらさず、最小限の動きで木刀の切っ先を俺に向けてくる。
無駄がない。美しいと言っていいほどの形。
「ほら、来なさい」
言われるがままに距離を詰め、木刀を振りかぶる。
その瞬間――視界から千奈津の姿がふっと消えた。
「っ、おわッ」
次の瞬間、背中に軽い衝撃。
振り返ると、俺の死角にぴたりと張り付いた千奈津が、木刀の切っ先を俺の腰に当てていた。
「はい、一本」
「今のどう動いた?」
「足さばきと、間合いの取り方。あんた、最初から“影で逃げる”こと前提で距離測ってるでしょ。だから、こういう単純な殺し合いだと置いていかれるの」
にべもない指摘に、ぐうの音も出ない。
たしかに、咄嗟に影渡りを起動しようとしたせいで、一瞬足が止まっていた。
「じゃ、矯正するわよ。ちゃんと覚悟して」
千奈津は俺の背後に回ると、ぐい、と肩を掴んだ。
「まず、構え。肩が上がりすぎ。力入りすぎ。肘、ここ」
背中越しに腕を取られ、肘の角度を直される。
さらりと触れた指先から、体温と霊力がじんわりと伝わってくる。
「腰は、もっと落として。重心が高いと、影に逃げたときの反動に耐えられないの」
「……こうか?」
「違う、こう。いい? ここで――」
ぐっと腰を押され、ぐらついた体を思わず踏ん張る。
その拍子に、千奈津の身体が背中にぴたりと寄り添った。
柔らかな感触と、髪からふわりと香る、ほんのりとした香。
(近っ……!)
頭の中で警鐘が鳴る。
が、表情に出した瞬間に何を言われるか分からないので、必死に顔を正面に固定した。
「なに固まってんの。ちゃんと息してる?」
「師匠が近いと緊張するだけだ」
「素直でよろしい」
くすりと笑いながらも、千奈津の声は真剣だ。
「いい? あんたの強みは、剣術と人形術の“複合”にあるの。だったら、土台の剣筋と肉体くらいは、鍛えておきなさい」
「……了解」
何度も構え直し、足を運び、切り下ろし、払い、突く。
そのたびに、千奈津が細かくフォームを修正していく。
「はい、肘。……だから肘。あと半歩前。そう。今のはちょっとだけ、マシ」
「“ちょっとだけ”かよ……」
「一気には変わらないわよ。地味な作業を積み重ねるしかないの」
毒舌まじりの指導は厳しいが、不思議と嫌な感じはしなかった。
淡々と、しかし確実に、俺という素材を「戦える形」に整えようとしているのが伝わってくるからだ。
「……よし。今日はここまで」
最後にもう一度木刀を交え、辛うじて一本を取り返したところで、千奈津が手を打った。
「剣は今ので合格点、とは言わないけど、スタートラインくらいには立てたと思うわ。次は――神術の話、少しだけ」
「神術か」
木刀を下ろし、息を整えながら問い返すと、千奈津は少しだけ表情を引き締めた。
「この家でいちばん恐ろしいのはね、式神でも呪術でもなくて、神術よ」
修練場の片隅で腰を下ろし、井戸の水で喉を潤しながら、千奈津がぽつりと言った。
「神様と契約して、力を借りるやつ、だよな」
「“神様”って言葉が正しいかどうかはともかく……力のある“なにか”と契約する術式。対価と引き換えに、普通じゃ触れられない領域の力を引っ張ってくる」
千奈津の視線が、さっき遠くから見た本家の屋敷の方向をちらりと撫でる。
「詳しいやり方は、どこの家も秘術中の秘術。うちだって、本家筋と一部の分家以外には、まともに伝わってない。契約を結ぶのも、続けるのも、どちらも命がけよ」
「だろうな」
原作ゲームでも、神術は上級システムだった。
扱いを誤れば問答無用でバッドエンド行き。
だが、正しく使えば、絶望的な局面をひっくり返すこともできた。
「だから、若様が今の段階で手を出す必要はない。というか出せない。そういうものよ」
「肝に銘じておくよ」
「じゃあ続きやるわよっ!」
~~~~~~~~~~
それから、一週間ほどが過ぎた。
「……重っ……!」
「はい、解除。今度はこっちの番ね」
修練場の朝。
千奈津がかけた呪術のせいで、俺の全身は鉛でも詰め込まれたみたいに重かった。
足を一歩踏み出すたび、地面にめり込むような感覚。
呼吸も浅くなり、視界もどこか鈍い。
(くそっ……“行動阻害・重圧”ってとこか)
頭の中で、ゲーム時代のステータス表示を思い浮かべながら、俺は必死に呪いの構造を解析する。
「文句言ってる暇があったら、早く解呪しなさい。ほら、戦場でこんな状態にされたら、のんびり愚痴ってる余裕なんてないわよ」
「わかってるっての……!」
自分の体内に流れる霊力を辿り、絡みついた“重し”の糸を一本一本ほどいていく。
何度も繰り返した作業のはずなのに、毎回条件が微妙に違うのが厄介だ。
ようやく体が軽くなった頃には、汗が背中を伝っていた。
「はい、次は私の番ね」
千奈津が一歩前に出る。
今度は俺が呪術の印を結び、言霊を紡いだ。
「――『幻視・残像』」
かすかな霊気の波が千奈津を包み込む。
数拍遅れて、彼女の姿がぶれ、視界に残像が残るような感覚が広がった。
「うっ……」
千奈津の眉根が寄る。
「視界と動きが微妙にズレるはずだ。歩くだけで酔う、実に嫌なやつ」
「ほんと、性格悪い呪い考えるわね、あんた……」
そう毒づきながらも、千奈津はすぐに解呪に取りかかった。
呪文の構造を読み解き、逆流する霊力の流れを整え、残像の残り香を消していく。
「……はぁ。はい解除」
肩で息をしながらも、彼女の口元には小さく笑みが浮かんでいた。
「でも、悪くない。こうやって実際にかけ合って、解呪もセットで練習できるのは効率がいいわ」
「デバフ職の基本は、かけてかけられてからが本番だからな」
呪術は基本的に、相手を弱らせ、味方を補助するための術だ。
だからこそ、“かけられた側”の視点と、“解除する側”の技量が何より重要になる。
その一週間、俺たちはほとんど毎日こうして互いに呪いをかけ合い、解呪し合うことで、呪術の精度と対応力をひたすら鍛え続けた。
同時進行で、式神の調伏も進める。
ちょっとした力持ちの”小鬼”。諜報に役立つ”集鼠”。そして遠距離索敵ように”風切り鴉”
それぞれは弱いが使い用はある。
そんな調子で、俺と千奈津は次々と戦力を揃えていった。
自動操演で複数の人形を同時に動かし、小鬼と組ませ、風切り鴉に上空からの援護をさせ、集鼠に死角を潰させる。
更にそこに、俺自身の影術を組み合わせて、立体的な包囲網を構築する。
(……これなら、“剛鬼”とも張り合える)
強力な式神の、その一体。
真正面からぶつかれば、今の俺ではまだ負けるだろう。
だが、式神と自動操演と影術を最適化した今の動きなら――少なくとも、ただの餌役で終わることはない。
そう思える程度には、実力が底上げされていた。
ただひとつ、どうやっても上手くいかなかったのが――千奈津の影術だ。
「――っ、く……!」
千奈津の足元の影が、波打つように揺れる。
沈み込みかけた足が、途中で弾かれたように浮き上がり、そのままよろめいて地面に手をついた。
「またダメか」
思わず漏れた言葉に、千奈津が苦笑する。
「ごめん。やっぱり、どうにも感覚が掴めないのよね……」
「もともとの性質が影術向きじゃないのかもな。無理にやると、変なところで反動が出る」
「若様の教え方は悪くないと思うんだけどね。単純に、私と影術の相性が悪いだけ」
何度、影渡りの感覚を言葉にして伝えても、千奈津は途中で「壁」にぶつかるように行き詰まってしまう。
足元の影を動かそうとしても、揺らぎすらしない。
「……ほら、またため息ついた」
千奈津がじとっとした目で俺を見上げる。
「別にあんたのせいじゃないわよ。私、影術以外にもやること山ほどあるし。向いてないことに時間を割くのは、効率悪いわ」
「そういう話でもないんだけどな……」
これは“才能がない”とか、“努力が足りない”とか、そういうレベルの問題じゃない気がしていた。
(原作通りなら、千奈津は“影を操る側”じゃなく、“影を宿す器”にされる)
祠。
式神。
影術。
それらが嫌なラインで繋がっていく感覚を、無理やり振り払う。
(ゲームのシナリオなら、ここで諦めて従うしかなかった。けど、俺はもうプレイヤーじゃない)
封典も、呪術も、神術も。
この一週間で見つけた“使えるかもしれないもの”のリストが、頭の中で並び替えられていく。
そして影術の適正についての問題も。
「……なに、そんな難しい顔してるの」
土の上に座り込んだ千奈津が、膝を抱えながら俺を見上げた。
「いや。これからのこと、ちょっとな」
「この一週間、ずっとそんな感じよ。修行してるときはともかく、休憩中まで頭フル回転させて……若様、潰れるわよ?」
「簡単に潰れるほど柔じゃないさ」
「ふーん?」
千奈津はわざとらしく視線をそらし、空を見上げる。
「……でも、そうね。たまには頭空っぽにして、何も考えない日があってもいいんじゃない?」
「何も考えない日?」
「たとえば……そう、町にでも行って。ちょっといいお茶飲んだり、呪具屋冷やかしたり。そういう、普通の時間」
一週間、ほとんど修練場と屋敷を往復するだけの日々だった。
千奈津の声には、わずかな倦怠と、それを誤魔化すような軽さが混じっている。
「確かに根を詰めすぎたかもな」
目の前にいる千奈津は普通の女の子だ。
そういった息抜きも必要になるころだろうとは思っていた。
俺自身も頭を整理して、そのうえで策を講じる時間が欲しかった。
(……そうだな)
俺はひとつ息を吐き、決める。
どうせ、この先、彼女にはろくでもない未来が待ち構えている。
それをぶっ壊すためにも――まずは、今の彼女に“普通の時間”を味わわせてやりたい。
「じゃあさ」
「ん?」
「いくか? デート」
素で動揺している千奈津の顔がおかしくて、つい意地悪心が湧く。
「え、その、えっと私と、あんたが?」
「いや他に誰がいるんだよ。俺と、お前で、デート」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。さらっと決定事項みたいに言わないでくれる?」
千奈津は慌てて立ち上がりかけて、すぐにバランスを崩してまたドスンと座り込んだ。
耳まで真っ赤だ。
「だ、だいたい……その、デートって。意味、わかって言ってるの?」
「男と女が一緒に出かけて、それっぽい雰囲気になるやつだろ」
「“それっぽい雰囲気”ってなによ! 雑すぎるでしょ!」
ぐいっと身を乗り出してくる。
顔が近い。さっきまで剣のフォームを矯正されていた時より、よほど心臓に悪い距離だ。
「じゃあ、やめとくか?」
「――っ」
一拍、間が空いた。
千奈津は何か言いかけて、ぎゅっと口をつぐむ。
視線が泳ぎ、指先で土をつつき始める。
「べ、べつに……いやって言ったわけじゃないし」
「じゃあ行くか」
「だから即決するなって言ってるの! ……もう」
怒鳴りつつも、さっきまでの刺々しさは少しだけ丸くなっていた。
「その……ほら。修行ばっかりだったし。気分転換くらい、してもいいかなって思ってたのは事実だし……」
小声でぶつぶつ言い訳を重ねながら、ちら、とこちらを見る。
目が合うと、慌ててそっぽを向いた。
「……ま、まあ。若様がどうしてもって言うなら、付き合ってあげても、いいけど?」
「了解。じゃあ、近いうちにな」
「“近いうち”ってなにそれ」
そこまで言って、千奈津は自分で口を押さえた。
「……あんまり、せかしてるみたいに聞こえるのも癪だし。……その、任せるわ。若様に」
最後のほうは、ほとんど囁き声だった。
なんだか恥ずかしがっているのを見るとこちらまで照れてしまいそうだ。
「……ちゃんとエスコートしなさいよ。若様なんだから」
「努力します」
「努力じゃなくて結果を出しなさい。……で、デートなんだから」
自分で言って、自分で真っ赤になる。
初心な反応にこちらもなんだかこそばゆい空気になる。
耳たぶまで染まった横顔が、月明かりに照らされて揺れた。
その様子を見て、俺は思わず口元を緩める。
(――まずは一歩、か)
影法師だの、祭壇だの、ろくでもない未来だの。
頭の片隅にこびりついた不穏なワードを、いったん全部、脇に追いやる。
今はただ、デートを約束した女の子が、膝を抱えたままこっそりと口元をほころばせている、その光景だけを目に焼き付けた。
「……なに、にやにやしてんの」
「いや。ちょっと楽しみになってきただけだ」
「……っ、そ、それは……その……」
千奈津はぽす、と自分の頬を両手で軽く叩き、
「――覚悟しときなさいよ。初めてだからって、採点は甘くならないわよっ」
そういってふいとそっぽを向いてしまった。
だが、その横顔は年相応の女の子らしく照れながら薄く笑っていた。




