第5話 術比べ
「それでは――五影堂天青様と、斎賀千奈津様による交流試合を始める!」
外から放たれた声が、結界に反響して耳を打つ。
合図の直後、俺は息をひとつ吐いた。
(……さて、お手並み拝見といくか)
本来ならここで、千奈津は前衛傀儡を前に出し、中距離から呪術と神術でひたすら嫌らしくサポートする――それがゲームでの基本ムーブだ。
だが。
千奈津は、一歩も動かなかった。
腰の短刀を抜きもせず、式符を構えもせず、ただ静かに構えを取る。
右足を半歩引き、体重をわずかに落としただけの、簡素な立ち姿。
結界の外から「おや?」とざわめきが起こった。
(……様子見、か。それとも)
弱い者いじめは好まない、って顔だな。
怪我をさせないように、まずは“本気を出さない範囲”で相手をするつもりか。
悪い話じゃない。こっちにとっても、向こうの出方を探る時間は欲しい。
けれど――
「……舐めるなよ」
小さく呟き、足元に目を落とす。
砂利に落ちた自分の影が、さざ波のように揺れた。
指先を、影の端に滑らせる。
ぬるり、と冷たい感触が指に絡みついたかと思うと、黒い闇の中から長いものが押し出される。
刃引きした刀――この日のために修繕しておいた練習用の一振りだ。
刃は完全に潰してある。人を斬ることはできない。
だが、重さもバランスも、実戦用に限りなく近づけてある。
俺は片手でそれを受け取り、小さく振って感触を確かめた。
ざわり、と周囲の気配が濃くなる。
「影から……武器を?」
「若様っ……!?」
ジジイの慌てた声を、軽く肩をすくめて切り捨てる。
「刃は潰してある。せいぜい痣が増えるくらいだ。……問題ないだろ」
乾いた笑いをこぼしながら、今度は自分の身体に意識を沈める。
「〈自動操演〉……簡易、出力七割」
小さく宣言した瞬間、視界の輪郭が僅かに変わった気がした。
内側から筋肉を動かすのではなく、糸が俺の考える”理想の動き”へと関節ごと引っ張る。
その違和感を飲み込みながら、一歩前に出る。
糸が走る。
手首から肘、肩、腰、膝――体の節々に巻き付いた見えない線が、俺の「こう動きたい」というイメージに合わせて一斉に引き絞られる。
砂利が、ぱし、と鳴った。
一歩。
二歩。
三歩目には、もう千奈津の間合いの縁だ。
反射的に、千奈津の瞳が見開かれる。
その手が腰の短刀にかかりかけ――
「遅い」
刃引きした刀の峰が、その手の甲を打ち払った。
甲高い金属音。
弾かれた短刀が、半ば抜けかけた鞘に戻る。
千奈津は即座に半歩下がって体勢を立て直す。
足運びは悪くない。むしろ、よく鍛えられたそれだ。
それでも、反応が一歩遅れている。
俺の実力を下と見てか、最初から間合いの内側に入られる想定をしていなかった。
糸の出力を、少しだけ上げる。
足首と腰を結ぶラインが、きゅっと軋む感覚。
膝が自然と沈み込み、地を蹴る角度が変わる。
斬りかかるわけじゃない。
あくまで、殴り飛ばす寸前で止められる速度で。
刃引きした刀の、重さだけを全力でぶつけるイメージで。
右から、左から。
肩口、肘、手首。
ガードするべき場所を狙って、立て続けに打ち込む。
千奈津は、その全てを“ギリギリ”で受けていた。
短刀は抜かない。抜けない。
呪力を纏った手甲で、あるいは足さばきで、ぎりぎりで逸らし、滑らせ、かわしていく。
(ほう)
ちゃんと強い。
適当に振ったんじゃない。
〈自動操演〉で「効率だけを考えた最短距離」を叩き込んでいるのに、それを何とか殺している。
武術としての基礎は、確かに俺より上だ。
だが――
「どうした。さっきまでの余裕はどこ行った、斎賀の姫君?」
あえて、口を動かす余裕を見せてやる。
千奈津の眉が、ぴくりと揺れた。
「……っ」
感情を押し殺した顔のまま、低く息を吐く。
今度は彼女の方から懐に入ってきた。
膝を沈め、体を半身にして、掌底を俺の胸元へ。
いい選択だ。
刀のリーチに付き合わず、あえて密着距離まで踏み込んでくる。
だが――
「読むのが甘い」
胸元に迫る掌底の軌道に合わせて、俺の体が勝手に沈んだ。
糸だ。
胸から腰、膝にかけて走らせていた呪糸が、俺の意識より半拍早く「最適な回避位置」に地面と身体とをつないで引きずり込む。
肩口をかすめていく掌底。
服だけが音を立ててはためき、実際には一寸も当たっていない。
ただ、攻撃の回避としてはどうしても大きな動きになってしまい、気が付けば千奈津はバックステップで距離を再び取っていた。
砂利がざり、と鳴る。
額に、うっすらと汗。
呼吸は乱れていない。だが、さっきまでの「若様の相手をしてあげている」余裕は、そこにはもうない。
千奈津の目が、ふっと細くなる。
「……そうですか。では、少しだけ」
右手が、腰の脇にぶら下げていた小さな箱に触れた。
蓋が跳ね上がる。
中から飛び出したのは、手のひらほどの木製の人形――
「起きなさい、《木槌》」
短い詠唱とともに、地面に落ちたそれが、ぼこり、と膨らんだ。
骨組みが伸び、木片が組み替わり、関節部から淡い光が漏れる。
瞬きする間に、人ひとり分ほどの大きさの絡繰傀儡が立ち上がっていた。
簡素な鎧武者のような形状。
両腕に取り付けられた木製の盾。
その目にあたる部分が、ぎらりと光る。
観客席から、どよめきが上がった。
「斎賀のお嬢様、本気の絡繰りを……」
「まだ入学前だぞ、あのサイズを動かすのか」
(へえ)
俺の口元が、自然に吊り上がる。
前に出るのは傀儡。
本人はその後ろから、呪術と神術でひたすらこちらを削る。
――ゲームで何度も見た、斎賀千奈津の「安全でいやらしい戦い方」だ。
オーソドックスな後衛技能と素のスペックの高さゆえの近接適正。バランスがよく、それぞれの能力が高いので器用貧乏では終わらない。
ゲームの中だけで言えば俺の完全上位互換だ。
(さて。こっちはどう崩すか)
傀儡が、ぎしり、と一歩前に出た。
関節の軋む音とともに、木の手足が振り上がる。
千奈津が、短い呪を紡ぐ。
「〈補強〉〈加速〉」
薄い光の輪が、傀儡の足元を走った。
その動きが一段階鋭くなる。
木の盾が、俺の胸元目がけて叩きつけられた。
重い。まともに受ければ、肋骨くらいはいく。
だが――
「そこ」
足元の影が、滑るように伸びた。
盾を振り下ろそうとした傀儡の影に、黒い棘が突き立つ。
「〈影縫い〉」
木の脚が、床に縫いつけられた。
膝から下が一瞬遅れて止まり、上体だけが勢いのまま前に倒れかける。
そこへ俺が一歩踏み込み、刀の峰で傀儡の首を殴りつける。
鈍い音。
関節部が軋み、頭部がかくんと傾いた。
だが、落ちない。
頭部に刻まれた術式が、ぎりぎりで機能を保っている。
「さすが、簡単には壊れないか」
舌打ちをひとつ。
すぐさま、背後から冷たい気配。
「――〈足枷〉」
千奈津の呪声が飛ぶ。
足元の砂利が、不自然に沈んだ。
地面が液状化したかのように、足首の周りがぬるりと絡みついてくる。
そのまま脚ごと引きずり込まれれば、動きが止まる。
(足を止めて、傀儡に殴らせるつもりか)
「甘いな」
足元に絡みつく闇より濃い影を、自分から踏み込むようにして上書きする。
自分の影の中に足を押し込んでしまうイメージ。
ぬる、とした感触が、逆に「手応え」のように足裏に伝わった。
「〈影渡り〉、半歩」
視界が、一瞬だけぶれる。
次の瞬間には、足首を絡め取ろうとしていた地面の外側に、俺の足が着地していた。
足枷の呪術が、空を噛む。
「なっ……」
千奈津の瞳が、わずかに揺らぐ。
間髪入れずに、二発目。
「〈力萎え〉」
今度は空気そのものが重くなった。
肺に吸い込んだ息が、鉛のように胸の内側に沈む。
筋肉を走る力が、じわじわと削られていく感覚。
不意を突かれていれば、そのまま膝をついていたかもしれない。
(この感じ……ゲームで散々やられたやつだな)
俺は軽く舌打ちし、袖に仕込んでいた小さな札を指で弾いた。
「〈微浄〉」
薄い光が、胸の内側からじわりと広がっていく。
全部は消えない。
しかしその影響を最大限薄める。
(……なるほど。まだ重いが、動けないほどじゃない)
自分の体感として、「どこまでなら耐えられるか」を刻み込む。
千奈津の呪術は、確かにいやらしく、精度も高い。
だが――
「そんな簡単なコンボ、知り尽くしてるんだよっ!」
思わず口から出た本音に、千奈津がきょとんと目を見開いた。
意味は分からないだろう。
だが、今の一言で彼女の集中が一瞬だけ削れたのが分かる。
その瞬間を――
「もらう」
俺は見逃さない。
糸の出力を、さらに一段階上げる。
「〈自動操演〉、出力九割」
骨が軋むような感覚。
筋肉のきしみを、糸が無理やり「正しい位置」に矯正していく。
足が、勝手に地を蹴った。
傀儡の盾が、反射的に振り上がる。
その軌道の外側ぎりぎりを滑り抜けるように、影が伸びる。
「っ……!」
千奈津の足元の影と、俺の影が一瞬だけ重なった。
――そこだ。
「〈影縫い〉」
千奈津の足元から、黒い棘が突き上がる。
足裏ではなく、踝のすぐ横。
致命にはならないが、バランスを崩すには十分な位置だ。
千奈津の身体が、一瞬だけ揺れた。
そこへ――
「はああっ!」
腹の底から、息を吐き出す。
刃引きした刀を、
自分の持てる限りの速度と重量で――
振り下ろした。
ごう、と空気が鳴った気がした。
咄嗟に短刀を抜いて構えようとした千奈津の動きは、半拍遅かった。
伸び上がる前に、刀の峰がその短刀ごと叩き落とす。
金属と木がぶつかり合う、耳に刺さるような音。
短刀がはじき飛ばされ、砂利の上を転がる。
同時に、刀の峰が千奈津の肩口をとらえた。
鈍い衝撃。
ぐ、と歯を食いしばる気配。
結界の内側で、千奈津の身体が数歩分後ろに吹っ飛び、そのまま片膝をつく。
静寂。
結界の外が、ひと呼吸遅れてざわつき始めた。
「若様が……押し切った?」
「斎賀のお嬢様が、膝を……?」
遠巻きの声が、やけに遠く聞こえる。
俺は荒い息を整えながら、刀を肩に担いだ。
膝が笑っている。
筋肉は悲鳴を上げている。
〈自動操演〉をこの出力で回したツケが、じわじわと関節に回ってきていた。
(……っつーか、普通にやばいなこれ。やりすぎると後で歩けなくなる)
それでも、立っていられる。
倒れてはいない。
千奈津は、肩を押さえたまま顔を上げた。
その瞳が、真っ直ぐにこちらを見た。
そこには、さっきまでの冷えた軽蔑はない。
代わりにあるのは――驚きと、悔しさと、ほんの少しの興味。
そう思った、その瞬間だった。
ぞわり、と。
皮膚の上を、冷たいものが撫でた。
(――っ?)
嫌な悪寒。
戦闘中とは違う質の、肌を逆撫でするような圧。
視線を千奈津に向ける。
彼女はまだ片膝をついたまま。
だが、その指先に、さっきとは違う札が挟まれていた。
黒い墨で描かれた複雑な紋様。
そこから立ち上る、獣じみた気配。
「……斎賀」
思わず、名を呼んでいた。
「だから――ここからは、私個人のわがままです」
札が、ひらりと宙に舞う。
砂利の上に落ちる前に、彼女の声が響いた。
「来なさい、《剛鬼》」
空気が、一瞬で変わった。
結界の中の気温が数度下がったかのような錯覚。
地の底から、何かが這い出てくるような圧。
札が地面に触れると同時に、そこから黒い霧が噴き上がる。
霧の中から伸びたのは、太い腕だった。
人間の胴体を軽く握りつぶせそうな、節だらけの腕。
皮膚のようにも、岩のようにも見える表面。
その表面を、鎖がいくつも絡みつくように巻き付いている。
霧が裂け、巨躯が姿を現した。
角。
牙。
ぎらぎらと輝く、赤い双眸。
鬼。
式神として契約された、束縛鎖付きの鬼だ。
結界の外が、悲鳴混じりのざわめきで満ちる。
「なっ、斎賀殿!? この場でそれを呼ぶのは――」
「千奈津! やめ――」
宗次の制止も、誰かの叫びも、その瞬間には届いていなかった。
鬼が、こちらを見た。
理性の欠片もない、飢えた獣の目。
だが、鎖に繋がれているせいで、その動きは一定範囲内に制限されている。
千奈津は片膝をついたまま、その鎖の一本を握りしめていた。
「若様」
彼女の声が、妙に澄んで聞こえた。
「さっきの一撃――とても、格好良かったです」
「…………は?」
「だから、もう一度だけ。全力で、ぶつかってきてください」
言っていることの意味が分からない。
こっちはさっきので、もうだいぶ限界だ。
自動操演の出力を落とさなければ、本当に足が壊れる。
そう思った瞬間身体は自動的に防御態勢をとった。
鬼の拳が、視界を埋めた。
「おいバカッ、シャレにならなっ――」
ドゴォッ、と鈍い衝撃音が頭蓋骨の内側で響いた。
世界が、横に回転する。
結界の壁が視界の端を流れ、空と地面がぐるぐると入れ替わる。
その途中で、千奈津の顔が一瞬見えた。
(……ああ。そういうことか)
千奈津は。
辛くて苦しそうな、そして何か期待するような。
そして……、負けず嫌いの顔をしていた。
(く、クソガキ……っ)
理解が、意識に追いつく前に。
闇が、視界を覆い尽くした。




