第4話 来訪者
それからの日々は、ある意味で単調だった。
朝は毒入りの茶で目を覚まし、〈検毒〉で成分を確認してから〈微浄〉で薄める。
昼は表向きの座学と称した時間をこなしつつ、教本から抜け落ちた秘術の理論を、自分の記憶と照らし合わせて補完していく。
夕方には裏庭で足捌きと基礎体術。
夜になれば、〈影渡り〉で別邸の結界を抜け、棄てられた修練場で闇の徒を狩る。
毒の量はじわじわと増え、混ざる薬の種類も少しずつ変わっていった。
向こうとしては「効きが悪くなってきた」から処方を見直しているつもりなのだろうが、こっちからすれば鍛錬メニューが勝手に強化されているようなものだ。
六級の腐肉喰い程度なら、今の俺にとっては“準備運動”だ。
人形術で補助した身体と、影術と呪撃のコンボを使えば、三体程度の群れなら正面から潰せる。
〈影渡り〉も、最初の頃のような内臓が裏返る感覚は薄れ、距離と座標の誤差も許容範囲に収まってきた。
棄てられた修練場から拾ってきたガラクタ――折れた武器の関節、朽ちた人形の枠組み、古い式盤の基板パターン――を寄せ集めて、ようやく「武器と呼んで差し支えない」レベルのものも作れるようになった。
……とはいえ。
(六級を十数体狩れるようになったところで、この世界全体から見れば本当に“土台ができた”程度なんだよな)
五級以上の闇の徒。
六天家の当主格。
六光天学園で待ち構える、原作基準でも一流の星術師たち。
そこに比べれば、今の俺なんてまだまだ“序盤攻略チームの一人”くらいだ。
油断した瞬間、あっさり死ぬ側の人間であることは理解している。
だから、少しずつ、少しずつ。
毒に慣れ、肉体を鍛え、術の精度を上げていく。
変化が目に見えにくい、退屈な積み上げの日々。
――そんな日常に、“外からの変化”がやってきたのは、ある昼下がりのことだった。
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「若様。お取り込み中のところ、失礼いたします」
部屋の襖が、控えめな音を立てて開く。
顔を出したのは、いつも毒入りの茶を運んでくる侍女ではなく、もう少し年嵩の男だった。
細い目に、きっちり撫で付けられた髪。
いかにも「この家の雑務を一手に担っております」と言いたげな、事務方の男だ。
「今度は何だ。朝食なら、もう済ませたぞ」
旨いけど楽しくない朝食を一人で済ましたところにやってきた男に、いら立ちを滲ませて声を返す。
「いえ、本日は別件にございます。斎賀家の一行が、本日より当別邸に逗留なさることとなりましたので、そのご報告をと」
「……斎賀家、ね」
分家筋のひとつ。
五影堂家に従属するという形になってはいるが、実際にはあらゆる場面で“本家乗っ取り”の下準備に励んでいる連中だ。
その名前を聞いただけで、うっすらと胃のあたりが重くなる。
「例の、才ある令嬢を推している分家だな」
「はっ。将来有望と謳われる、斎賀千奈津様をお連れになり、ひと月ほど当家に滞在されます。当主様としても、かの御方には目をかけておられるご様子にて」
「当主様」と言いながら、男の視線はわざとらしく俺を素通りしていく。
その態度に、わざわざ口に出さなくてもわかるメッセージが乗っていた。
――本当の跡取りは、あなたではなく“そちら”ですよ、と。
(まあ、今さらだな)
妾腹の跡取り息子。
日常的に毒を盛られ、まともな教育も与えられない“邪魔者”。
分家にとっても、本家の何割かにとっても、俺の価値なんて「椅子を用意しておくための一時的な置物」程度だろう。
権力闘争に関して言えば、正直、俺自身の興味は薄い。
当主の椅子なんて、座る前から血と呪いと面倒事にまみれているのはわかりきっているし、それより何より――
(生き残れるかどうか、の方がよっぽど重要だからな)
この世界で、俺が本当に欲しいものはただひとつ。
「いい感じの立場」でも、「他人からの評価」でもない。
半年後に確定しているはずだった“死亡フラグ”を叩き折るための、力と自由だ。
……とはいえ。
「斎賀千奈津、ね」
自然と、その名前を口の中で転がしていた。
菫色の髪を持つ少女。
原作『払暁の星々』のヒロインのひとりであり、個別ルートは、かなり人を選ぶタイプの鬱展開だった。
ルート名称――『穢れた影、暗色の愛』。
「鬱ゲー」と呼ばれる『払暁の星々』の中でも、そのルートは異色だった。
そこには五影堂家の跡目争いのための人形、あるいは器として育てられた少女がいた。
彼女は努力によってその能力を示したが、しかし後継者となる資格となる影術の才能だけが欠けていた。
その瑕疵を補うために分家の人間は封印されていた穢れた狂える式神を彼女の中に降ろす。
そのことがきっかけで彼女は本来の人格を侵食され、個別ルートに入るころには闇の徒が如く、殺人衝動に狂っていく。
殺人への罪。どうしようもないほどの衝動。狂うほどの愛。共依存。
原作主人公との暗くも美しい破滅劇がいまだに記憶に残っている。
ああいう救いようのない絶望的な愛を好きという層もいて、賛否は分かれるが総じて暗い。
ハッピーエンド好きの俺とても苦しかったが、同時に奇妙な感動を覚えていたのを覚えている。
そして――そのルートの序盤。
「影が暴走する千奈津」の、最初の犠牲者となるのが五影堂天青だった。
彼女の人格が変わっていることにも、その内側で殺意に濡れた狂気が育っていることに気づけず。
影に喰われ、人の形を保てないまま、血と闇の渦の中に沈んでいく。
(……今回も、放っておけば、いずれ同じ流れになる可能性は高い)
本来なら、五影堂の分家である斎賀家が千奈津を「器」として育て、
五影堂家の前々代当主の影法師を人格ごと植え付ける。
それは原作では決定事項で、原作主人公にも変えることのできないことであった。
そこに現時点での俺が介入できれば、流れそのものを変えられるかもしれない。
なにより――
(俺が“初暴走の餌”になる未来だけは、全力で御免だ)
自分の生存のため。
ついでに、鬱ルートのヒロインを破滅から救えるならば、それに越したことはない。
「……歓迎の準備をしろ。屋敷の主として顔を出さないわけにもいかないだろう」
「はっ。では支度が整い次第、改めてお呼びにあがります」
・イベント:斎賀千奈津、五影堂別邸に逗留(期間:一月)
・原作ルート名:『穢れた影、暗色の愛』導入フラグの可能性
・目標:人格上書き(影法師植え付け)の阻止。初暴走イベントの回避。
・副目標:俺の“現在の実力”を、分家と千奈津に正しく認識させる。
「……さて。鬱ゲーのフラグ管理ってやつを、現実でやる羽目になるとはな」
自嘲混じりに呟き、ペンを置く。
死亡フラグを折るためには、まずフラグの位置を知らなきゃ話にならない。
その意味でも、これから始まるひと月は、俺にとって悪くない局面のはずだ。
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夕刻。
別邸にしてはやけに豪奢な食堂に、灯りがともる。
天井から吊るされたシャンデリア――のようなもの――に、星焔の簡易蓄光石がいくつもぶら下がっているおかげで、部屋の中は柔らかな橙の光に満ちていた。
長机の中央には、見た目だけは立派な料理が並んでいる。
茶や汁物には、いつものように〈検毒〉札をかませておいたので、致死性のものは混じっていないはずだ。
問題は、食材ではなく、同席する面子だ。
「お初にお目にかかります、五影堂家次期ご当主様。斎賀宗次にございます」
分家斎賀家の当主らしき男が、にこやかに頭を下げる。
その隣には、その妻と思しき女。
さらに、その少し後ろ――一歩引いた位置に、菫色の髪をした少女が控えていた。
菫色、といっても濃いものではない。
さわやかで淡い、薄い紫がかった色だ。
その髪を、顎のあたりで揃えた姫カットにしているので、首筋がすっきりと見える。
まっすぐに切り揃えられた前髪から覗く瞳は、暗い夜空のような色をしていた。
一言で言えば――絵に描いたような美少女だ。
ただ、その眼差しがまっすぐ俺を見ている時間は、驚くほど短い。
視線が合った瞬間、すぐに逸らされる。
礼儀として形だけの会釈はしてくるが、そこにこもる温度は限りなく低かった。
(……なるほど。嫌われてるな、これは)
想像していたより、遥かにはっきりした拒絶だ。
分家当主の宗次が穏やかな笑みを浮かべる。
「このたびは、当家の娘をしばしお預かりいただき、誠に恐れ入ります。
千奈津は、まだまだ未熟ではございますが、影術以外の才には恵まれておりましてな。いつの日か、五影堂家の支えとなれればと存じております」
なめらかな言葉。
その中にごく自然に、「影術」はできない――という一文が挟まれている。
あからさまに「だからこそ五影堂の跡取りにはなれない」という評価付きの紹介だ。
「……そうか。遠路わざわざご苦労だったな」
形式的な言葉を返し、俺はさりげなく千奈津の表情を盗み見る。
彼女は、父親の言葉に対しても特に反応を見せない。
感情を隠すことに慣れた人間特有の、平坦な顔つきだ。
(原作では、もっと“冷たい”印象だったはずなんだが)
ゲームの立ち絵で見る彼女は、もっと氷のようだった。
感情の起伏をほとんど見せず、淡々と主人公に辛辣な言葉を投げ、
それでもルートが進むにつれて、少しずつ心を開いていく――
そんなイメージのキャラクターだった。
目の前の千奈津は、確かにクールだ。
だが、そのクールさは「生まれつきの冷淡さ」というより、
むしろ「余計なものを見せまいとする必死な抑制」に見える。
もしかするとだ。
《《まだ人格の塗り替え》》はされていないのか?
そして、その抑制がほんのわずかに破れたとき――
「若様は、いかがお過ごしで?」
宗次の問いに、俺が適当に答えようとした瞬間、千奈津の視線が一瞬だけ鋭くなった。
「……特に変わりはないな。お前たちが想像しているよりは、退屈ではないが」
毒と呪いと、夜の狩場と。
退屈とは程遠い日常だが、その詳細を語る気はない。
宗次が、わざとらしく目を細める。
「さようでございますか。陰ながらお聞きするところによれば、若様はあまり鍛錬にはご興味がないと……」
その一言に、千奈津の眉がわずかに動いた。
「父上」
静かな声。
だが、そこには明確な「釘刺し」がこもっていた。
宗次は「ああ、これは失礼」と軽く手を振る。
「無礼な物言いでしたな。お詫び申し上げます、若様。ただ、千奈津などは日々鍛錬に励んでおりまして……つい、比べてしまった次第でして」
「……比べる必要はない」
俺は、茶器を指で転がしながら言う。
「俺は俺のやり方で鍛えている。お前たちが見ていないところでな」
宗次の目が一瞬だけわずかに細くなり、すぐに笑みが戻る。
その横で、千奈津がこちらを見た。
まるで「本当か」と問いただすような、冷たい視線だった。
「素晴らしいことです。――五影堂の影術は、誰もが持てるものではありません。持っていない者にとっては、どれほど欲しくても手が届かないものです」
淡々とした口調。
だが、その中に、僅かな棘が混じっていた。
影術への羨望。
それをぞんざいに扱ってきた俺――いや、原作の五影堂天青への怒り。
それが全部、ひとかたまりになって俺の方に向けられている。
(まあ、そりゃ嫌うよな)
妾腹の跡取りとして甘やかされ、努力もろくにせず、
影術の才を持ちながら、それを磨かない。
自分がどれだけ望んでも得られないものを持ち合わせながら何もしない人間。
そんな奴が目の前にいたら、憎悪のひとつも抱くだろう。
「言いたいことはあるだろうが、ここは本家の席だ。あまり露骨に顔に出すなよ、斎賀の姫君」
軽い調子でそう返すと、千奈津の肩がわずかに揺れた。
「……失礼いたしました、若様」
言葉では謝罪を口にしている。
だが、視線はやはり冷たいままだ。
会話は、そこから先も噛み合わないままだった。
宗次やその妻が当たり障りのない話題を振り、
俺がそれに最低限の返答をする。
千奈津は礼儀を外さない範囲で必要最小限の言葉を紡ぎ、決して自分からこちらに話を振ろうとはしない。
重くはないが、ひたすらに“薄い”空気。
毒にも薬にもならない言葉が行き交う中で、
宗次がふと、話題を変えた。
「ところで――若様」
わざとらしく間を置いてから、宗次は笑った。
「このような場で申し上げるのも何ですが、せっかく若いお二人が顔を合わせる機会、何か“交流”の場を設けてみてはいかがかと」
「交流?」
「はい。たとえば――簡単な、術の手合わせなど」
きたな、と内心で舌打ちする。
「千奈津は、未熟ながらも日々鍛錬を積んでおります。一方で若様は、ご多忙ゆえか、なかなか実践の場をお持ちでないと伺っておりましてな。ここはひとつ、若様にも良い刺激となるかと」
その言葉の裏にある悪意は、隠す気があるのかないのか、微妙なところだ。
要するに――“うちの娘の方が優秀だ”と見せつけたいのだろう。
俺が無様を晒せば、五影堂家内部での評価もさらに下がる。
斎賀家にとっては、願ったり叶ったりというわけだ。
「……父上」
千奈津が、わずかに目を伏せる。
「私は、そのような……」
「何を遠慮する。千奈津、お前ほどの才なら、若様にご指南申し上げることもやぶさかではあるまい」
宗次は楽しげに笑うが、その目は笑っていなかった。
俺は、そんなやり取りを眺めながら、千奈津の表情を観察する。
彼女は、明らかに「乗り気ではない」。
誰かを見下して嘲るような快楽を覚えるタイプではない。
むしろ、弱い立場の人間を一方的に叩きのめすことに、嫌悪感を抱く側の性格だ。
それでも、父親の言葉には逆らえず、
結果として「乗り気ではない顔をしながら、俺と戦わされる」構図になっている。
(……本当、ろくでもないな。どっちの意味でも)
分家の企み方も。
原作の五影堂天青が積み上げてきた悪評も。
全部まとめて、今ここで俺の首を締めてくる。
だが――
「いいぜ」
気づけば、口が勝手に動いていた。
「交流試合とやら、乗ってやるよ」
宗次の笑みが、露骨に一段階深くなる。
「おお、それは結構。若様のご英断、恐れ入ります」
「勘違いするなよ。別に、お前らに見せつけるためじゃない」
俺は茶碗を置き、ゆっくりと立ち上がる。
「自分の立ち位置を、俺自身が確認しておきたいだけだ。どれくらい“変わった”のか――あるいは、まだまだ足りてないのか。そういうのは、実際にぶつかってみないとわからないからな」
千奈津が、驚いたように目を見開いた。
その瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、何かが揺れる。
それが何なのかを読み取るには、まだ材料が足りない。
「……でしたら」
彼女は小さく息を吐き、顔を上げた。
「交流試合、お受けいたします。斎賀千奈津、《さいが・ちなつ》。不肖ながら、若様のお相手を務めさせていただきます」
礼儀正しい一礼。
その所作は完璧だが、その拳は、膝の上で小さく握られている。
弱い者いじめは嫌い。
だが、ここで引けば「父の顔」を潰すことになる。
そんな葛藤が、その握り拳の中に見えた気がした。
……まったく。
本当、どいつもこいつも、ろくでもない事情を押し付けてくる。
だったら、せめて俺の方くらいは、はっきりさせておこう。
「いい目をしてるじゃねえか、斎賀の姫君」
わざと軽い笑みを浮かべてみせる。
「どうせなら、“弱い者いじめ”にならない程度には、本気で来いよ。こっちも、全力で受けてやる」
その言葉に、千奈津の瞳が、ほんの少しだけ揺れた。
完全な嫌悪とも、期待ともつかない、複雑な色。
だがその奥に、ごくわずかながら「見てみたい」という感情が灯ったようにも見えた。
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翌日。
別邸の庭の一角に、簡易結界が張られた。
砂利を均し、木製の柱で囲われた即席の試合場。
その外側には、本家側の人間と分家の一行が、ぐるりと輪になって陣取っている。
宗次は相変わらず上機嫌そうに腕を組み、
教育係のジジイは「若様、大事な御身ですから無茶はなさらぬよう」などと、いまさらなことを抜かしている。
(無茶しなかった結果が、原作の“かませ犬”なんだけどな)
内心で肩をすくめながら、俺は試合場の中央に歩み出る。
対面には、千奈津。
菫色の髪を高い位置で結い上げ、動きやすい簡素な装いに着替えている。
腰には、短い儀礼用の刀。
その手には、いくつかの式符が挟まれていた。
影術以外の系統――人形術と呪術、神術系統の基礎――に関しては、すでにそれなりのレベルに達しているはずだ。
原作基準で言えば、“入学前ヒロインとしてはトップクラス”の実力者。
対して、俺は――
毒に慣れた身体。
粗末な鍛錬場で磨いた基礎体術。
自分自身を人形として扱う〈自動操演〉。
そして、五影堂本家に連なる者としての影術。
果たして、どこまで通用するか。
(この一戦で、だいたいの“現在位置”は把握できるな)
息を吸い、吐く。
足元に広がる自分の影に、意識を落とす。
観客のざわめきが、遠くに感じられる。
耳の奥で、心臓の音だけがやけに大きく響いた。
「それでは――」
誰かの声が、結界の外から響いた。
「五影堂天青様と、斎賀千奈津様による交流試合を始める!」
開始の合図と同時に、俺は右手をわずかに振り下ろした。
足元の影が、さざ波のように揺らめく。
――さあ、“かませ犬”として殺される未来を、ここから書き換えていこうか。




