第3話 初戦闘
夜の外気は、肌に刺さるほど冷たかった。
だが、それ以上に胸の奥をざわつかせるのは――頭上にある“それ”だ。
常闇に覆われた空。
太陽などとうに消え失せたこの世界で、ひときわ異質な光点がぼんやりと浮かんでいる。
人工太陽――《星焔》。
六つの大国が資源と技術のすべてをつぎ込み、どうにか“疑似太陽”を作ることに成功した装置。
それが照らす範囲は狭い。
だが、そのわずかな範囲だけでも闇の濃度を薄め、闇の徒の活動を鈍らせる。
その光に照らされるわずかな世界が人間の生存圏。
およそ世界の陸地の2割という絶望的な状況こそが『払暁の星々』の世界観だった。
そして──俺が今いる場所は、その光が届かない“闇の領域”にほどなく近い、かつて五影堂家が使っていたとされる修練場だ。
山の中腹に存在し、式神の調伏や、儀式、何かを封印したり。地脈の上に存在するがゆえに様々なことに用いられているところだった。
「ま、今となっては放棄された場所なんだけどな」
ゲームの中では微弱な闇の徒が自然湧きする、チュートリアル狩場だ。
(……チュートリアル、ね)
苦笑が漏れる。
コントローラー片手に「ほいほい経験値稼ぎ」していた頃なら笑い話で済んだ場所だ。
だが今は、一歩間違えれば死ぬ現実だ。
今、俺がいるのは、光の縁からほんの少し外れた“周辺部”だ。
闇の濃度は高いが、まだ底と呼ぶには程遠い。
闇の徒にもランクがある。
六級から一級まで。
数字が減るほど危険度が跳ね上がる、六段階の脅威度区分。
六級は、いわば“雑魚”。
ただし、それはあくまで「ゲーム基準」であって、
人間の身体ひとつで油断していい相手ではない。
六級の雑魚ですら育成されていないキャラだと六人小隊ぐらい必要だ。
(星術師にも六等星から一等星、極星がいるように……闇の徒にも、ランク分けがあるってわけだ)
ゲームでも、ステータス画面の敵情報欄にはきっちりランクが書いてあった。
六級:単体行動、小規模な群れ。
五級:集落をひとつ壊滅させる程度。
四級以上は「ボス」扱いで、町ひとつが戦場になる。
そんな奴らが、星焔の光が届かない領域にはごろごろいる。
今の俺が相手するのは、その中でも最下級の六級だ。
それすら倒せなければ、話にならない。
「……さて。狩りの前に、下準備と行きますか」
袖の中から、薄い札束を取り出す。
式符。
式神術の簡易版と言うべき、使い切り式の術式だ。
フリープレイ時の基本性能で語るのであれば本来の天青は、専用の式神を複数抱えて前衛小隊を組み、自分は後方から指揮と支援を行うユニットだった。
こう聞くとなかなか強そうだが育成コストが高く、そして育てても油断すると本体が軟弱すぎて死にやすい。
火力はかなりものだが、紙装甲過ぎて使いづらい変則ユニット。
(だが、ちゃんと育てれば“個人で前衛小隊を持てる後衛”って時点で、本来ぶっ壊れなんだよな)
ゲーム知識がそう囁く。
今は、式神も人形もろくなものが手元にない。
だからこそ――
「……だったら、自分の身体を“人形”にすればいい」
指先で式符をしならせ、地面にぱらぱらと撒いた。
札が土に触れると、じわりと淡い光を放つ。
「〈簡易探査・狐灯〉」
呼吸に合わせ、呪力を流し込む。
淡い狐火のような光が、地面を這う影のように四方へと散っていく。
闇の徒の気配。
闇の濃度。
地脈の流れ。
この狩場の「地図」を、俺の頭の中に描き出していく。
数息ののち、視界の端に“反応”が灯った。
(……いたな。六級が三体。群れってほどでもないが、まとまって動いてる)
ゲームでは序盤の経験値用モブ。
だが、複数まとめて相手にすると、平気でモブパーティを壊滅させる火力を持っていた。
まして今の俺は、一人きりだ。
「……最初から、全力でいく」
意識を、自分の身体へと沈める。
骨と筋肉、腱の走り、関節の角度――
それらを「外側から」見るイメージを組み上げる。
指先から呪力で編んだ糸を出し、人形ではなく自分にまとわせる。
ざわり、と体表を何かが駆け巡る感覚。
数十本の細い糸が、俺の四肢に巻き付き、関節ごとに「補助ライン」を描いていく。
体の内側から筋肉を動かすのではなく、
外側から糸で「理想の動き」に引っ張られる感覚。
「〈自動操演〉……簡易版、っと」
動きを誤れば、糸がそれを矯正し、
力のかけ方が甘ければ、糸がそれを補強する。
(……よし。これで、俺自身が“前衛人形”ってわけだ)
本来なら、人形術は外部の人形に対して行うものだ。
だが、理屈の上では、自分の身体を「人形」として扱ってもいい。
ゲームでは人形術の強化は前衛絡繰人形ユニットにそれなりの倍率で乗っていた。
ならば自分自身の身体に人形術のリソースのほとんどを費やせばどうなるか。
危険性はある。
糸の制御を誤れば、自分の関節を壊しかねない。
けれど、半年後に死ぬ予定の身体だ。
多少無理をしてでも、リターンは取りに行く価値がある。
糸の束を軽く引き絞ると、筋肉が反射的に連動する。
足先に力を入れ、ひと踏み。
――地面を蹴る感覚が、羽のように軽い。
「成功……か」
足元の影を見下ろした。
自分の影が、夜気に溶けるように揺らめく。
「〈影渡り〉――簡易、短距離」
意識を沈める。
さきほど屋敷の結界を抜ける時に感じた「境界」の感覚を、もう一度トレースする。
足首から、膝へ。
膝から、腰へ。
冷たい闇が、身体をなぞる。
一瞬、視界が反転し――
次に目を開けた時、俺はさきほど式符が示した座標のすぐ近く、木立の影の中に立っていた。
鼻腔を、腐臭が刺した。
土と湿り気と――腐った肉と鉄の臭い。
「お出ましか」
目の前の獣道の先。
うごめく影が三つ。
四つ足の獣……に見えなくもない。
だが、その輪郭はどろりと溶け、黒い霧と肉片が入り混じったような形をしている。
眼窩にあたるあたりには、赤い光が二つ、ぎらぎらと燃えていた。
闇の徒――六級個体。
俗称《腐肉喰い》。
ゲームで何百体と狩った相手だ。
だが、実物を目の当たりにすると、背筋に冷たいものが這う。
(ゲーム画面越しと、気配を伴った“本物”じゃ、そりゃ印象も変わるよな)
俺の存在に気づいたのだろう。
三体の影喰いが、一斉にこちらへと顔を向ける。
ぴたり、と空気が張り詰めた。
「――来い」
呟きと同時に、影喰いが飛び出した。
一体目が正面から。
二体目が右側の茂みから大きく迂回し、三体目が背後へと回り込もうとする。
ゲームで散々見た、挟撃パターンだ。
懐かしい。
そして、クソうざかった攻め方だ。
「だったら――」
俺は足元の影へ指を伸ばした。
「〈影縫い〉」
影から伸びた黒い棘が、地面を走る。
先頭の影喰いの影を、地面ごと突き刺す。
ずぶり、と音がしたような気がした。
影喰いの身体が、地面に縫い付けられる。
前足がもがき、泥と肉片が飛び散るが、影だけはびくともしない。
残り二体が、挟み込むように迫ってきた。
俺は半歩、前に出る。
呪糸が、一斉に引き絞られた。
肩、肘、手首、腰、膝――
糸が、俺の関節を「理想の軌道」へと導く。
右足をひねり、左足で地面を蹴る。
上半身をわずかに捻り、右拳を突き出す。
普段ならぎこちなくなるはずの動きが、
糸の補正によって、滑らかに、無駄なく、鋭く繋がる。
迫ってきた二体目の影喰いの頭部――赤い双眸の間に、拳がめり込んだ。
ぶしゅり、と黒い液体が弾ける。
衝撃と同時に、呪力を拳から叩き込む。
原始的な呪力による攻撃。
簡易式の呪撃。
闇属性の存在に対して、最低限の「相性ダメージ」を与える攻撃だ。
影喰いの頭部が、内側から弾けた。
黒い肉片と霧が飛び散り、地面に落ちる頃には、ただの煤と化して消えていく。
(……一発、か)
思っていたより、軽い手応えだった。
だが、考えるのは後だ。
残り二体。
背後から飛びかかってきた三体目の気配に合わせて、身体を低く沈める。
糸が、俺の体勢を「かがむ」方向へと補正し、
同時に、背後の影へと呪力が流れる。
「〈影刃〉」
俺の足元から伸びた影が、刃の形を成して跳ね上がる。
背後から飛びかかってきた影喰いの喉元を、下から切り裂いた。
ぐちゅ、といやな音がして、黒い頭が宙を舞う。
影喰いの身体は、そのまま前方へと惰性で転がり、足元で崩れた。
縫い付けられていた一体目が、ようやく影縫いの拘束を引きちぎる。
半身を失い、のたうつそれを見下ろしながら、俺は一歩踏み込んだ。
「悪いな。お前らは、“チュートリアル”だ」
右手の糸を引き絞り、拳を突き出す。
呪撃とともに、影喰いの残骸が爆ぜた。
黒い霧が、夜気の中へと溶けていく。
静寂が戻った。
息を吐く。
肺に入ってくる冷たい空気が、妙にうまい。
「……あっけない、っちゃあっけないな」
率直な感想が口をついた。
ゲーム序盤で何度も殺された相手だ。
だが、あの頃の主人公パーティはレベルも低く、プレイヤーである俺も動きを理解していなかった。
今は違う。
敵のパターンも、攻撃のリーチも、弱点も、全部知っている。
それに加えて、この身体の素のスペックと、糸による補助。
結果として、「初回戦闘にしては上出来」どころか、
「やや拍子抜けするくらい」だった。
とはいえ――
(油断していいほど、世界は甘くない)
いま相手にしたのは六級。
一番下だ。
五級ともなれば、一体で村一つを荒らし尽くす。
四級以上は、ゲームでもボス戦扱いだ。
そのラインに至るまで、俺にはまだまだ足りないものが多すぎる。
呪糸をほどきながら、手足を軽く振る。
関節の違和感はない。
さすがに少し疲労はあるが、動けないほどではない。
「……よし。もう二、三戦はやる」
式符の残りを確認し、狐灯を再展開する。
さきほどよりも、少し広めの範囲を探査する。
ぽつ、ぽつ、と六級の反応が灯る。
その夜、俺は計十数体の影喰いを狩った。
人形術での糸の掛け方を変え、
影術の出力とタイミングをずらし、
呪撃の威力配分を調整する。
一戦ごとに、自分の中の「ビルド」の輪郭が固まっていくのが分かる。
単純に殴るだけでは足りない場面。
影で足を止めてから殴った方がいい場面。
遠距離から影刃で削り、近距離で仕留めるべき場面。
ゲームの「スキル説明文」ではわからなかった、細かい“勘”が、
ひとつひとつ、身体の中に刻み込まれていく。
気づけば、空の端で星焔の灯りがほんの少しだけ強くなり始めていた。
夜明け……といっても、この世界のそれは、常闇の色がわずかに薄まるだけだが。
「……そろそろ、素材漁りもしておくか」
狩場の奥へと足を向ける。
かつて修練場として使われていた名残なのだろう。
朽ちた建物の土台や、ひび割れた石柱がところどころに顔を出している。
その合間を縫うように歩きながら、目に付いた“ガラクタ”を拾い上げていく。
折れた槍の穂先。
欠けた刃の短刀。
ひしゃげた金属製の仮面。
木製の人形の胴体だけ。
札が焼け落ちて模様だけ残った式盤。
一見すれば、ただの廃棄物だ。
だが、術師の視点で見れば――
「関節だけ取り外せば再利用できるな、これ」
「金属部品は研ぎ直して武装にできる」
「式盤の基盤パターン、これヒントになるな」
使える部分はいくらでもある。
地脈の上にある修練場というだけあって、
ここで使われていた道具はどれも「術に馴染む」素材で作られている。
それが半壊していようが、錆びていようが、
素材としてはまだ死んでいない。
「確かこの辺に……このアイテムが……あった!」
モノによっては本編開始後にしか取れない道具があったりなど、なかなかに豊作だ。
背負い袋が、じわじわと重くなっていく。
ふと、崩れかけた祠の前で足が止まった。
中には何もない。
だが、祠の周囲には古びた封印札が厳重に張られていた。
さも、何かがありますといわんばかりの場所である。
(……ここ、ゲーム本編だと“サブイベント”的な何かがあった場所か?)
記憶をたぐるが、明確なイベントは思い出せない。
あるいは、未実装要素か、ただの雰囲気作りだったのかもしれない。
とはいえ、地脈の上に建てられた祠だ。
いずれ調べて損はない。
「今日は素材だけでいいか」
祠に軽く一礼し、背負い袋を背負い直す。
夜の狩場で集めたのは、誰が見ても「ガラクタ」だ。
だが、俺にとっては――
「……悪くない。これだけあれば、まともな“人形”の一体や二体は作れる」
袋の重みが、妙に心地いい。
腐った環境。
放棄された修練場。
闇が濃く、星焔の光も届かない場所。
世界から見れば、ここはただの「ゴミ捨て場」だろう。
けれど、俺から見れば違う。
「ゴミ捨て場じゃない。――俺専用の工房だ」
ぽつりと呟き、口の端を吊り上げた。
半年後、俺を殺すはずだった運命を書き換えるための、
最初の基盤づくりとしては――
これ以上なく、上等なスタートだ。




