第2話 状況整理
それからというもの俺は自身の状況の把握に数日ほどを費やした。
というのも俺には五影堂天青としての記憶がまともになかった。
急に振る舞いが変わるのもおかしいと思い、かつての行動を思い出そうとしたがなかなかうまくいかない。
ひょっとするとプレイヤーとしての知識が急に入ってきた衝撃で記憶喪失のような状況になっているのかもしれない。
ゆえに振る舞いは慎重を期する必要があった。
五影堂家の別邸。
その一角にある、妾腹の跡取り坊ちゃん――つまり今の俺のための棟。
一見すれば広くて豪奢で、不自由なんてなさそうな生活空間だ。
だが、少し目を凝らせば、綻びはいくらでも見つかった。
「おはようございます、若様。お加減はいかがですか」
ふすまを開けて入ってきた侍女が、慣れた手つきで盆を置く。
湯気の立つ味噌汁。炊き立ての白米。小鉢に盛られた漬物。
見た目だけなら、何の変哲もない朝食だ。
……問題は、そこに添えられた茶だ。
(相変わらずだな)
湯呑みの縁に鼻を近づける。
ほのかなお茶のさわやかな香りに紛れるようにして、微かな甘ったるい臭いがまじっている。
「……俺はお前の見世物ではない、とっとと下がれ」
「は、はい……」
侍女は俺の機嫌を伺うように頭を下げて、そそくさと部屋を出ていく。
扉が閉まるのを確認してから、俺は茶を別の杯に移し、袖から取り出した札をひらりと振った。
「〈検毒〉」
呪術系の初歩。毒素に反応して色が変わる簡易判別札。
当たり前のように紙が、じわりと黒ずんだ。
「……はい、クロ。アウト」
予想通りだが、ため息が漏れる。
設定資料集に何度か描写されていた、日常的な「毒盛り」イベント。
直接死ぬほどの量じゃないし、明確に毒物というわけではなく、薬として用いられるものもあるし、呪いが込められているときもある。
それらは俺の体調を崩し、判断力を鈍らせるには十分だ。
前日も、そのまた前日も、茶や汁物には必ず何かが混ざっていた。
量は日によって違うが、完全にゼロになる日はない。
(こんな環境なら腐ってグレるのも当然だよな、原作の天青)
「まあ、これはこれで。使いようはある」
そういって俺は、その湯呑に口をつける。
この身体は鋭敏なのか、本能的に受け付けたくない感覚。
臓腑を腐らせるような錯覚。
込められた呪いを、毒物を飲み干し、消化する。
(毒と呪いの耐性付けと思えば最悪ではないな)
そのうえ侍従はろくに掃除をしないし、着替えも叱らなければ皺だらけのものを平然と持ってくる。
表面上は礼儀正しく振る舞うが、そこに「敬意」というものは一切ない。
教育係も同様だ。
最低限の座学は教えてくれるが、とてもではないが五影堂家の当主としての教育レベルではない。
そのうえ……
「若様はのちの当主になられる方。とてもではないですが前線には出ていかれないのですから実技など必要ありませぬ」
「――は?」
思わず素の声が漏れた。
教育係の老人は、俺の顔色を「また癇癪か」とでも言いたげにちらりと見る。
白髪交じりの髷に、細い目。礼儀ばかりはやたら整っているが、その瞳の底にあるのは、明らかな軽蔑だ。
「若様は座して命じておればよろしいのです。危険なことは、すべて星術師どもが」
「……おいジジイ」
「は、はい?」
ふっと、笑みがこみ上げる。
「この世界がどれくらい詰んでるか、理解してそれ言ってんのか? それとも、おめでたい頭なのか」
「若、若様?」
老人の顔が引きつる。
危ないところだった。
思わず本音でぶん殴りかけたが、ギリギリのところで舵を切る。
「――いや、いい。面倒だ。眠くなってきた。続きは勝手に読んでろ」
「……は、はあ」
追い払うように片手を振ると、教育係は露骨に胸を撫で下ろし、そそくさと部屋を辞した。
ふすまが閉まる音を聞き届けてから、俺は大きく息を吐く。
(駄目だな、この環境。予想はしてたけど、ここまでとは)
毒を盛る侍従。
教育する気のない教師。
与えられる教本も、肝心な部分――秘術や戦闘術――はすべて抜かれている。
このまま流されてりゃ、原作通りのバカ息子の出来上がりってわけだ。
「……さて」
机の上に広げていた紙束を、改めて見下ろす。
ここ数日で書き出した「現状整理メモ」だ。
・食事:ほぼ毎日、何かしら混入。致死量ではないが体調不良を誘発。
・侍従:掃除・身の回りは最低限。指揮系統はおそらく分家筋。
・教育:座学は基礎の基礎のみ。実技は一切なし。
・屋敷:別邸の中でも端っこの棟。警備薄いが、敷地全体には結界あり。
「おまけに工房も本家にある」
本来、五影堂家には術師たちのための職人たちが詰めている工房がある。
精密な戦闘絡繰や、式神術の依り代はそこで作られる。
だが別邸のこの棟には、それがない。
手元にあるのは、粗末な木偶と、練習用と称したガラクタばかりだ。
(まあ、ゼロじゃないだけマシか)
ペンを置き、椅子の背にもたれながら、天井を見上げる。
――ここからどうするか。
この世界のシステムを、俺は知っている。
五影堂天青が扱える系統のスキルは主に五つ。
人形術、式神術、呪術、神術、影術。
裏設定などで語られる特殊なスキルを除けばこれだ。
原作の天青は、そのすべてを磨かなかった結果、器用貧乏の典型みたいになっていた。
才能はあるのに、環境と性格のせいで、どれも実戦レベルに届かなかった。
だが。
(――逆に言えば、伸ばせば化ける可能性はある)
問題は、時間と環境だ。
入学まで、半年。
その間に、生き残るための土台を作らなきゃならない。
全部を平均的に伸ばしている暇なんてない。
「……さて、育成方針のお時間だな」
机の端を指先でとん、と叩きながら、紙の上に「◎」「○」「△」と印をつけていく。
人形術 〇
呪術 ◎
影術 ◎
式神術 △
神術 △
式神術と神術は、どちらも「外部リソース」が必要だ。
式神は調伏用の儀式と、まともな依り代、そして場合によっては神域や霊地へのアクセス。
神術は、祈祷・祭祀系の知識と、ちゃんとした契約がないと本領を発揮できない。
今の俺には、そのどれもない。
一方で、人形術と呪術、影術は、理論さえ分かっていれば「自前」でなんとかなる系統だ。
絡繰りがないならないなりに人形術を何とかする術はある。。
呪術も、札と墨と自分の血があれば最低限どうにでもなる。
影術に至っては、この身ひとつあれば発動条件は満たせる。
(半年で伸ばすなら、こっちだ)
俺はペン先で「◎」をぐりぐりと強調し、その下に簡単なメニューを書き連ねる。
・人形術:操作系、感覚共有系を優先。攻撃は武装で補う。
・呪術:感知、防御、毒・呪い耐性強化。簡易治癒。
・影術:隠匿、移動、拘束。
「で、問題は――」
俺は、ふと手を上げてみる。
「……ステータスウィンドウ、オープンとか、出たりしねえ?」
冗談半分で天井を見上げてみるが、当然ながら何も現れない。
視界の端にHPバーもMPバーも出ないし、レベルも熟練度も数字で表示されない。
「……ですよねー」
額を押さえてため息をつく。
(ゲームじゃなくて、現実だもんな)
どれくらい強くなったかを、わかりやすく数字で出してくれる親切仕様なんてない。
なら、やることはひとつだ。
地道な修練と、実戦。
もっとも、それはそれで嫌いじゃない。
「――よし。半年、潰すつもりでやるか」
第一目標、強くなって学園での一年目を乗り越える。
ぽつりと呟いた瞬間、胸の奥で何かがカチリと噛み合った気がした。
~~~~~~~~~~
その日から、俺の生活は一変した。
朝。
侍女が持ってくる毒入りの茶を「特訓」として飲み干し、〈検毒〉で成分を確認。
どの毒がどのくらい混ざっているかを、簡単なメモに残す。
気分が悪くなってきたところで、用意しておいた解呪札を取り出す。
「〈微浄〉」
呪いと毒素を、ほんの少しだけ薄める初歩の呪術。
完全には抜けないが、その「抜け具合」を体感として覚える。
(……ふむ。昨日よりはマシだな)
気持ち悪さに慣れるにつれ、自分の中の「許容量」が、じわじわと広がっていくのが分かる。
昼。
表向きは座学と称して、教育係のジジイから最低限の講義を受ける。
だが本命は講義のあとだ。
ジジイが帰ったあと、自室に戻ってからが本番。
教本から「秘術」の項目がごっそり抜かれているのを逆手に取り、その抜けた穴から推測される理論を補完していく。
ゲームで何度も読んだフレーバーテキスト。
スキル習得時の説明メッセージ。
敵として出てきた人形使いや呪術師の戦い方。
それらを総動員して、「本来書いてあるはずだった内容」を頭の中で再構成する。
夕方。
誰も使っていない裏庭に出て、体を動かす。
庭石を飛び石に見立てて足運びの練習。
古びた木人を相手に、最小限の動きで急所を叩く打撃の練習。
重くなった体を宥めるように、呼吸法と瞑想。
夜。
部屋に戻り、廃材箱から拾っておいた木片や古布を机に並べる。
針と糸、簡単な道具を使い、無骨な木偶をいくつもこしらえる。
そうして最後に床に並べた人形に、呪力で編んだ細い呪糸を結びつける。
意識を集中し、呼吸を合わせる。
「〈遠隔操作・簡〉」
木偶の腕が、ぎこちなく持ち上がる。
さらに糸を増やし、二体、三体と増やしていく。
最初は頭痛で吐きそうになるが、繰り返すうちに、同時操作の感覚に脳が順応していく。
(――悪くない)
数日、数十日と繰り返すうちに、自分でも驚くほど呪術と人形術の習得速度が上がっていった。
札に込める呪力の配分。
糸の通し方と、関節の遊びの作り方。
どれも「こうだ」と思った通りにスッとハマり、実際に動いてくれる。
「……おいおい。原作の天青、これでよくあそこまでザコだったな」
苦笑が漏れる。
才能は、ある。
少なくとも、凡人ではない。
じゃあなぜ原作の天青は「かませ犬」のままだったのか。
(環境と、性格と、目標設定が悪かったんだろうな)
腐った大人たちに囲まれ、甘やかされ、足を引っ張られ、ろくな目標も与えられず。
結果、努力する意味を見いだせなかった。
今の俺には、明確な目標がある。
――生き残ること。
目標があるなら、才能は武器になる。
そして、もうひとつ。
影術。
これも才能があるのか、最初から妙に「馴染み」が良かった。
足元に落ちる影を意識すると、そこにもうひとつの「肌触り」があるように感じる。
自分の輪郭が、床に溶けていくような感覚。
影を伸ばし、細く尖らせ、壁に刺す。
「〈影縫い〉」
部屋を舞う羽虫を捕らえることなんて朝飯前だった。
「……うん。えげつないけど便利だな、これ」
そんな感じで、影術の初歩もするすると身についていった。
~~~~~~~~~~
そうして、数週間が過ぎた。
毒と呪いへの耐性は、目に見えて上がった。
侍女たちが用意する茶に混じる薬の量も、じわじわと増えているのがわかる。
おそらく、向こうも「効きが悪くなってきた」と感じているのだろう。
だが、その全てを俺は鍛錬素材として利用している。
人形術は、粗末な木偶なら五体を同時に操れるようになった。
呪術は、簡易的な結界と、身体能力を一時的に底上げする符など、最低限くらいなら問題なく扱える。
そして、影術。
(そろそろ、次の段階にいくか)
夕暮れ時。
別邸の廊下で、俺は足元に広がる影を見下ろした。
日が沈みきらない、この時間帯。
灯りと闇が入り混じる境目は、影術の扱いに最適だ。
原作の中盤以降。
五影堂家の秘伝として、天青が「もしちゃんと修行をしていたら」習得していたであろう技。
――〈影渡り〉。
自分の影と、周囲の影を「媒介」にして移動する、移動系スキルだ。
ゲームでは、探索パートで大活躍していた。
封鎖区画の裏道を抜けたり、強敵をスルーしたり、逆に背後を取ったり。
本来なら奧伝として秘されている技術。
だが――
影を、「もうひとつの空間」として扱う。
そこに自分の「形」を落とし、ずらして、別の場所で再構成する。
やってみる価値はある。
俺は深く息を吸い込んだ。
膝を折り、そっと自分の影に触れる。
冷たい水面に指を沈めるような、奇妙な感覚が指先から走った。
「……行くぞ」
意識を落とす。
自分の輪郭が、じわりと滲む。
足首から、膝、腰、胸元へと、冷たい感覚がせり上がってくる。
骨がほどけ、内臓が溶け、輪郭が崩れていく。
思考が、黒い水の中を流れる泡のように散っていく。
視界が真っ暗になり――
次の瞬間、ふっと、世界が裏返った。
~~~~~~~~~~
気づけば、夜風が頬を撫でていた。
鼻先を冷たい空気が刺す。
湿った土と草の臭い。
遠くで、犬とも狼ともつかない鳴き声が聞こえた。
ゆっくりと目を開ける。
そこは、五影堂家別邸の外周にある石垣の、さらに外側。
結界の外縁ぎりぎりにある、誰も使っていない古い道の上だった。
背後を振り返れば、薄い膜のようなものが夜気に揺らいでいる。
五影堂家を囲う結界だ。
本来なら、許可のない出入りは不可能。
だが、影を経由すれば話は別だ。
「……っは」
肺にたまっていた空気を吐き出す。
心臓がどくどくと早鐘を打っているが、吐き気や眩暈はない。
むしろ、全身が妙に軽い。
(初回にしては、上出来だな)
これで、外に出る手段は手に入った。
あとは、どこへ行くか。
夜空を見上げる。
太陽がない代わりに、灰色の雲の向こうで、星々の光がちらちらと瞬いている。
――常闇に、かすかな払暁の気配。
ゲームをやり込んだプレイヤーなら、もう分かる。
「……この方角なら、あそこだな」
俺は口の端を吊り上げた。
五影堂家の領地から、少し離れた山の中腹。
闇の徒が少数ずつ湧き出る、低レベルの危険地帯――
原作序盤、チュートリアルも兼ねた「経験値稼ぎスポット」。
雑魚相手に、実戦経験を積むにはうってつけの狩場だ。
足元の影が、夜風に揺れる。
「さーて……レベルって概念はないが、狩りの時間といきますか」
そう呟き、俺は闇に染まる道を歩き出した。
半年後に待ち構える、理不尽な死亡フラグをぶち折るための、一歩目として。




