第3話 狙うな。外せ
廃坑の入口は、外縁区の北斜面に開いていた。
昔は鉱石を掘っていたらしい。今は木組みが腐り、入口の半分が崩れている。中からは湿った土と獣臭、それに死体の匂いが流れてきた。
ミラは入口の前で足を止めた。
「ここ、小鬼の巣ですよね」
「まだ巣とは限らない」
「巣じゃなかったら?」
「巣になりかけてる」
「それ、ほとんど同じです」
ミラの手は震えていた。曲がった短弓を握る指が白い。曇った眼帯は右目に巻かせた。レクは左の義眼に重ねたが、ミラにはミラの条件が必要だった。
片目を塞がれたミラは、いつもよりさらに不安そうに周囲を見る。
「見えにくいです」
「それでいい」
「よくないです。普通は見えた方が当たります」
「普通に当たるなら、お前はここにいない」
ミラは言い返そうとして、口を閉じた。
レクはひび割れたナイフを抜く。戦うための刃ではない。小鬼一体と正面から斬り合えば、まず押し負ける。
だから、正面からやらない。
坑道に入る。
壁は硬い岩で、ところどころに古い支柱が残っている。天井には小動物の骨や、冒険者の装備片が引っかかっていた。小鬼は光るものを集める。遺品も、骨も、食べ残しも、全部巣へ持ち込む。
奥から、爪が岩を擦る音がした。
「来る」
レクが低く言うと、ミラが弓を構えた。
小鬼が三体、壁を蹴って飛び出してきた。子供ほどの背丈。灰色の皮膚。裂けた口。手には骨を削った刃。
ミラの弓が揺れる。
「狙うな」
「でも!」
「壁だ」
「敵じゃなくて?」
「敵を狙うな」
ミラは息を詰め、右の岩壁へ矢を放った。
矢は小鬼の横を抜け、岩に当たった。
跳ねた。
乾いた音が坑道に響く。矢は予想より鋭く角度を変え、小鬼の耳を裂いた。
「当たっ――」
「次」
小鬼が悲鳴を上げて突っ込んでくる。ミラは二射目を放つ。今度は天井の骨に当たった。矢は跳ねたが、敵ではなく支柱へ刺さる。
支柱が折れ、土砂が少し落ちた。
小鬼がひるむ。
レクはその隙に前へ出て、ナイフで一体の足首を切った。浅い。倒せない。ただ、走る角度を崩せればいい。
「左の壁!」
ミラが撃つ。
矢は壁で跳ね、別の小鬼の肩に刺さった。
当たる。
だが、狙って当たっているわけではない。
跳弾の角度が良ければ刺さる。悪ければ外れる。もっと悪ければ、味方に向く。
次の矢が、それだった。
壁を跳ねた矢が、レクの頬をかすめた。
熱い線が走る。血が一筋落ちた。
ミラの顔から血の気が消える。
「ごめんなさい!」
「止めるな!」
「でも、今、あなたに――」
「囮班なら謝る時間もなく死ぬ」
レクは小鬼の刃を身をよじってかわした。余裕はない。ナイフで受けたが、刃が欠ける。小鬼の腕力は軽くない。
ミラは震えたまま、また撃った。
矢が地面に当たり、跳ね、支柱をかすめ、小鬼の膝裏に入った。
一体目が倒れる。
レクが首を掻き切る。
二体目はミラの矢が肩を裂き、三体目は坑道奥へ逃げた。
勝った。
だが、薄氷だった。
ミラは弓を下ろし、肩で息をしていた。
「私、やっぱり危ないです」
「ああ」
レクは頬の血を指で拭う。
「危ない。まだ完成してない」
「完成?」
「跳弾はある。直接狙わない補正もある。だが、跳ねた後の矢が敵へ向かわない」
レクの義眼に、濁った文字が浮く。
《跳弾:発生》
《非照準補正:発生》
《誘導:未接続》
未接続。
足りない。
レクは倒れた小鬼を見る。
小鬼の死体は素材になる。骨、皮、牙、眼球。どれも外縁区では売れる。だが、今は回収より先に奥を見る必要があった。
逃げた小鬼が、仲間を呼んでいる。
坑道の奥から、甲高い鳴き声が返ってきた。
ミラが小さく後ずさる。
「戻りましょう。今ならまだ――」
「戻れば、お前は囮班だ」
ミラの足が止まる。
「ここで勝てば、少なくとも明日の囮札は消せる」
「勝てなかったら?」
「死体回収屋の仕事が一つ増える」
「笑えません」
「俺も笑ってない」
レクは倒れた小鬼の耳から小さな骨飾りを外し、壁の傷を見た。小鬼は奥から来た。巣があるなら、集めたものもある。ハズレ装備、冒険者の遺品、何かの部品。
そして、足りない一枠。
壊れた義眼は、存在しない装備を見せてはくれない。未来の当たりも教えてくれない。
目の前にあるものだけ。
だから、掘るしかない。
奥へ進むしかない。
坑道が広くなる。
そこには古い採掘場の空洞があった。入口側にレクとミラ。正面奥に小鬼長。左右の岩壁には盾や鍋、折れた槍が打ちつけられている。頭上には、支柱代わりの太い骨組み。小鬼長の背後の岩壁には、黒い割れ目が斜めに走っていた。
硬い面が多い。
跳弾には悪くない。
ただし、小鬼も多い。
十体以上。
その奥に、一回り大きい小鬼がいた。背は人間の胸ほど。片腕に骨板を巻き、指には錆びた指輪を嵌めている。
小鬼長。
ミラが息を呑んだ。
「あれは無理です。普通の小鬼じゃない」
小鬼長が壁に掛けてあった骨片を掴み、レクへ投げた。
骨片はまっすぐ飛ばなかった。
横の岩に当たり、跳ね、ありえない角度でレクの肩へ向かってきた。レクは身をひねったが、骨片が服を裂いた。
ミラが目を見開く。
「今の、曲がりました?」
「ああ」
小鬼長が笑うように喉を鳴らした。もう一つ骨片を投げる。今度も壁に当てた。跳ねた骨片は、逃げるレクの足元へ吸い寄せられるように飛んだ。
レクは義眼で、小鬼長の指を見た。
《対象:跳ね返りの指輪》
《表評価:投射物命中率低下》
《隠し効果:跳弾した投射物を近くの敵性反応へ誘導》
《条件:硬質面で一度以上跳弾》
レクの背筋に熱が走った。
曲がった短弓。
曇った眼帯。
跳ね返りの指輪。
全部、命中率を下げるハズレ。
全部、狙って撃つには最悪。
だが、狙わない攻撃なら。
壁を撃つなら。
跳ねた後だけ敵へ吸われるなら。
「あれだ」
レクは小鬼長の指を見た。
「あの指輪が最後の一個だ」
ミラが唇を震わせる。
「奪うんですか、あれを」
「そうだ」
「どうやって?」
小鬼長が骨板を鳴らし、群れが一斉に動き出した。
レクはひび割れたナイフを握り直す。
「俺が近づく。お前は外せ」
「当てるんじゃなくて?」
「今はまだ、外せ」
ミラは震える手で弦を引いた。
小鬼の群れが壁と天井を走る。
廃坑そのものが、牙を剥いた。




