第4話 あの指輪が最後の一個だ
最初の矢は、小鬼長の頭上を越えた。
ミラは直接狙っていない。背後の岩壁を撃った。矢は岩に当たり、跳ね、天井の骨に触れた。
だが、小鬼長には向かわない。
横から飛びかかってきた小鬼の肩をかすめ、そのまま闇へ消えた。
「まだだ!」
レクは叫び、足元の石を蹴った。
小鬼が一体、レクの脛に噛みつこうとする。ナイフで鼻先を払う。浅い。怯ませただけだ。
ミラの矢が壁で跳ねる。
レクの耳元を抜け、小鬼の腕に刺さった。
助かった。
危なかった。
同じ意味だった。
「ごめ――」
「謝るな、撃て!」
小鬼長が突っ込んでくる。骨刃が横薙ぎに振られた。レクは受けない。受ければナイフが折れる。半歩下がり、足元の死体を蹴って小鬼長の膝へぶつける。
小鬼長が一瞬だけよろけた。
「右の壁!」
ミラが撃つ。
矢は右壁に当たり、跳ね、骨板に弾かれた。
骨板が削れる。
だが、喉には届かない。
《跳弾:発生》
《非照準補正:発生》
《誘導:未接続》
未接続。
足りない。
小鬼たちが一斉に天井へ上がる。古い骨組みの上を走り、上から降ってくるつもりだ。
「天井の骨を撃て!」
「落とすんですか?」
「違う。跳ねさせる」
ミラの矢が天井の骨へ飛ぶ。
骨に当たった矢は、次の骨へ跳ね、さらに壁へ当たった。小鬼たちが身を伏せる。一体の耳が飛び、別の一体の足に刺さる。
だが、矢は散る。
敵へ集まらない。
ミラの呼吸が荒くなる。
「当たってるのに……止められない!」
「まだ完成してない」
レクは小鬼長の刃をかわし、岩壁に肩を打ちつけた。息が詰まる。小鬼長が笑うように口を裂く。
ロトに装備を渡した手が、また脳裏に浮かんだ。
未完成のものを誰かに渡す恐怖。
安全だと言って渡した装備で、ロトは死んだ。
だから、今度は嘘をつかない。
「完成させるためだ」
レクは小鬼長の指を見る。
錆びた指輪。
ハズレと呼ばれた最後の一個。
レクは後ろへ逃げず、前へ沈んだ。
刃が髪を削る。
懐へ入る。ナイフを振る。腕を切り落とすほどの力はない。刃も悪い。
だから、関節を狙った。
骨板の隙間。肘の内側。皮膚の薄い場所。
ナイフが入る。
浅い。
小鬼長が怒号を上げる。膝蹴りがレクの腹に入った。身体が浮き、地面に叩きつけられる。
息ができない。
小鬼長が、指輪の嵌まった手でレクの喉を掴もうとした。
レクは地面の腐った骨を掴み、小鬼長の目へ投げつける。
目つぶしにもならない。
だが一瞬だけ、小鬼長の顔が逸れた。
「ミラ!」
声が裂けた。
「骨板を狙うな! 小鬼長の後ろ、壁の割れ目!」
「でも、あなたが!」
「俺を狙うな!」
ミラは泣きそうな顔で弦を引いた。
矢が放たれる。
小鬼長の横を抜ける。レクの肩をかすめるほど近い。背後の壁の割れ目に当たり、鋭く跳ね返った。
矢は小鬼長の指輪の嵌まった手首へ向かった。
誘導ではない。
偶然に近い。
だが、レクはその偶然を拾うために位置を作っていた。
矢が手首に刺さる。
小鬼長の握力が緩む。
レクはナイフを逆手に持ち替え、刺さった矢ごと手首の腱を切った。
小鬼長の指が開く。
指輪が血で滑った。
レクはそれを引き抜いた。
小鬼長が咆哮し、レクを蹴り飛ばす。背中が岩にぶつかり、視界が白く弾けた。
指輪だけは離さなかった。
「ミラ!」
レクは血まみれの指輪を投げた。
ミラは震える手で受け止めた。指輪は小さく、錆びていて、ただのゴミに見える。
「嵌めろ!」
「これを?」
「それが最後だ!」
小鬼たちがミラへ向かう。
ミラは右手の中指に指輪を押し込んだ。
《跳弾:発生》
《非照準補正:発生》
《誘導:接続》
世界の見え方が変わった。
ミラ自身も、それを感じたのだろう。弓を構える手はまだ震えている。だが、震え方が違った。
恐怖で止まる震えではない。
矢を放つための震えだ。
「どこを撃てば」
「小鬼長を見るな」
「はい」
「背後の壁だ」
ミラは小鬼長を見なかった。
その背後、黒く湿った岩壁だけを見た。
矢が放たれる。
小鬼長から大きく外れた。見ていた冒険者がいれば、笑っただろう。誤射持ちの弓使いが、また外したと。
矢は壁に当たる。
跳ねる。
天井の骨に当たる。
さらに跳ねる。
曲がる。
加速する。
誰もいない角度へ飛んだはずの矢が、途中で引っ張られるように向きを変えた。
小鬼長の喉へ吸い込まれた。
音は小さかった。
だが、小鬼長の身体は大きく揺れた。喉に刺さった矢羽が震え、黒い血が噴き出す。
ミラが目を見開いた。
「当たる」
次の矢をつがえる。
小鬼長を見ない。
壁を撃つ。
矢は岩で跳ね、骨で跳ね、小鬼長の脇腹へ刺さる。
「狙ってないのに、当たる」
三射目をつがえた時、ミラの手が止まった。
小鬼長がこちらへ突っ込んでくる。レクはまだ立てない。小鬼たちの足音が近い。
レクが叫ぶ前に、ミラは自分で顔を上げた。
小鬼長を見た。
それから、目を逸らした。
敵ではなく、天井の骨を見る。
「私は、そっちを狙わない」
矢が放たれる。
天井の骨で跳ね、横の岩で跳ね、さらに折れた支柱をかすめる。無駄に遠回りしたはずの矢は、最後に鋭く曲がった。
小鬼長の喉の同じ穴へ吸い込まれる。
「当たる。狙ってないのに、当たる!」
そこから、廃坑はミラの弓の一部になった。
小鬼が壁を走れば、そこが矢の反射面になる。
天井に逃げれば、骨組みが矢を曲げる。
岩陰に隠れれば、跳ねた矢が背後から刺さる。
ミラは敵を狙わない。
壁を撃つ。
骨を撃つ。
床の石を撃つ。
矢は必ず一度外れ、それから敵へ向かう。
小鬼たちは混乱した。正面から来ない矢を避けられない。盾を構えた小鬼の背中に刺さり、逃げた小鬼の足に刺さり、叫ぶ小鬼の喉に集まる。
レクは立ち上がろうとして、膝をついた。
強いのは自分ではない。
自分は見つけただけだ。
組み合わせただけだ。
小鬼長が最後の力でミラへ飛びかかる。
ミラは小鬼長を見なかった。
背後の岩壁を撃った。
矢は壁で跳ね、天井の骨に当たり、曲がり、加速し、小鬼長の喉の同じ穴へ吸い込まれた。
小鬼長が崩れ落ちる。
廃坑に、しばらく矢羽の震える音だけが残った。
ミラは弓を下ろせなかった。震える手で、指輪を嵌めた指を見ている。
「私……当てました」
「ああ」
「狙ってないのに」
「それでいい」
ミラは泣きそうに笑った。
その表情を見て、レクの胸の奥に小さな痛みが走る。
ロトは救えなかった。
だが、目の前の一人は囮班へ落ちずに済んだ。
まだ、それだけだ。
それでも、ゼロではない。
レクは小鬼長の死体から討伐証になる牙を抜いた。小鬼の死体も、素材になる。骨、皮、牙、低級魔石。
魔物の死体は使う。
使えるものは、全部使う。
ただ、採掘場の奥から流れてくる匂いに、レクは眉をひそめた。
小鬼の巣は、さらに奥だ。
そこには、魔物の死体だけではない匂いが混じっている。
人間の死体の匂いだ。




