第5話:泥酔の忘却
虚飾の星の偶像
第5話:泥酔の忘却
著:一条 あやめ
「三番目の星はね、あやめ。そこには、ただ『恥』だけが堆積していたよ」
王子さまの銀色の声が、砂漠の冷気に混ざって、重く、濁った響きを帯び始めた。
そこにいたのは、無数の空き瓶と、さらに無数の「まだ満たされた瓶」に囲まれて、うなだれる一人の「呑み助」。
「彼は、一言も喋らなかった。ただ、机の上に並んだ琥珀色の液体を、まるで毒を仰ぐような顔で飲み干していたんだ。僕が『何をしているの?』って聞いたら、彼はこう答えたよ」
『――飲んでいるのさ』
「『どうして飲むの?』って重ねて聞くと、彼は『忘れるためさ』って。……何を忘れるためか、わかる?」
私は、唇を噛んだ。
あやめが知っている「忘却」は、もっと華やかなものだ。パーティの喧騒、香水の煙、そして甘い菓子の過剰な摂取。けれど、この星の男が求めているのは、もっと根源的な、自分自身の「存在」からの逃走。
「彼はね、王子さま。自分が『飲んでいること』を恥じていて、その『恥ずかしさ』を忘れるために、また飲むのよね」
「そう。あやめ、君はどうして分かったの?」
王子さまが不思議そうに私を見つめる。その瞳の清らかさが、今の私には少しだけ眩しすぎて、残酷だった。
「だって、それは大人が一番得意なダンスだもの。自分の弱さを隠すために、新しい弱さを作り出す。傷口に泥を塗って、痛みを麻痺させて、最後にはその泥が自分の一部だと信じ込むのよ。彼は、自分を救うことを諦めたんじゃなくて、自分を罰することに快感を覚えている……いわば、自己憐憫の天才なのね」
王子さまは、悲しそうに首を振った。
「彼は、僕が星を去るとき、一度も顔を上げなかった。瓶の触れ合う音だけが、彼が生きている唯一の証明みたいだった。あやめ、どうして大人は、自分を許してあげることができないんだろう」
「許すためには、真実と向き合わなきゃいけないからよ。でも、真実はいつだって、どんな毒酒よりも苦いの。だから彼は、救いのある嘘――つまり、酔いの中の夢を選んだのね」
私は、デスクに散らばった真っ黒なリコリスの欠片を、指先で弄んだ。
あの子――王子さまは知らない。
私が、自分の醜い独白をボイスメモに吹き込んでは、それを「演技」というオブラートに包んで物語に昇華させているのも、ある種の「飲酒」だということを。
「……さあ、王子さま。次に行きましょう。次は、もっと合理的で、もっと冷酷で、そして最も『価値がない』ことに命を燃やす、哀れな数字の奴隷が待っているわ」
砂漠の砂は、いつの間にか夜の冷気で凍てつき、私たちの足跡を銀色の結晶に変えていた。
一条あやめの執筆後記
「ふう、ちょっと重たかったかしら。でも、自己嫌悪っていうのは最高のスパイスなの。あなたも自分を許せない夜、何かを『飲んで』いない? それは酒かもしれないし、私の書くこの毒のような物語かもしれないけれど。




