わたしに両親はいない
時は少々遡り、アストリオルとエミールのいなくなった応接室は、途端にシンと静まり返った。
スターリアは涙が引っ込んだはずなのに、いまだステラシアの腕にしがみついているし、父母であるレナードとフローリアナは部屋の隅で娘たちの様子を伺っている。
そんな兄夫婦の様子を呆れたように眺め、アステールはこれ見よがしにため息を吐いた。
ビクリととフローリアナの肩が跳ねる。
その姿を冷ややかに一瞥し、アステールはこの場でいちばん位の高い男へと視線を流す。つまり、国王陛下だ。
「あー……レナード、久しぶりだな」
アステールの視線の圧に負けたアルフォレスタが、軽く咳払いをしつつ、レナードへ声をかける。
高位の者から声をかけられないうちに話しかけることは、非常識とされている。故に、レナードもフローリアナも始めから終わりまでずっと無言だった。
そんな常識をものともしないのがアステールである。
彼女の頭のなかでは、「これは非公式なんだから別にいいでしょ」という方式が成り立っている。だから、自身の兄が律儀に縮こまっている姿が滑稽でしかたない。
「フローリアナ、あなたも久しぶりね」
王妃であるクリスティアもまた、フローリアナに親しげに話しかけた。
「……久方ぶりです、陛下。ご挨拶が遅れ申し訳ございません」
「お久しぶりでございます、王妃陛下。お元気そうで、なによりでございます……」
暗い顔で頭を下げるふたりを頭上から眺め、アルフォレスタとクリスティアは困ったように視線を交わらせた。
アルフォレスタにとって、レナードは星の名を冠する伯爵家の次男であり、なにより学園時代の後輩でもある。
そして、クリスティアにとって、フローリアナは、星の名を冠する伯爵家の一人娘で学園でともに学んだ同級生だった。
そんなふたりが、託宣に踊らされ自身の子どもたちを蔑ろにしていたことを……、星の乙女となるはずの子どもたちを育児放棄していたことを、何ごともなかったかのように赦すことなど、できるはずがない。
「レナード……そなた、あんなにも喜んでいただろう、夫人が懐妊したとき。息子同様に」
「……」
「なぜ、託宣ごと、受け止めてやらなかった」
アルフォレスタの言葉に、レナードとフローリアナが揃って傷ついたような顔をする。
だが、彼らに傷つく資格があるとは、この場にいる誰も思わない。
スターリアは、唇を噛んでステラシアの腕に額を押し当てた。
傍らで、アステールがふん、と鼻を鳴らす。
ローゼリアは、そうとわからないほどに眉をしかめていた。
ステラシアの表情は――変わらない。
「……あなたたち、なにか言うことはある?」
静かな王妃の声音は、最後通牒のようだった。
レナードとフローリアナは、床を見つめたままフルリと体を震わせる。
顔を上げろというアルフォレスタの言葉とともに姿勢を戻したふたりは、離れたところでただ立ちつくしているステラシアに向かい再び深々と頭を下げた。
「すまなかった、ステラシア。本当なら、お前とスターリアごと、私たちが守るべきだった」
レナードの悲痛な声が、応接室にこだまする。
「ごめんなさい、ステラシア。あなたは、ちゃんとわたくしの娘なのに……託宣を鵜呑みにしたばっかりに、あなたに苦労を強いてしまったわ」
フローリアナの声が震えながらステラシアの元へと届く。
それでも、彼女の表情は変わらなかった。
目の前にいる見知らぬ男女をただ見ているだけだ。
兄夫婦を呆れたように見ていたアステールが、訝しげにステラシアを振り返った。
「……顔を上げてもらえますか」
強張ったようなステラシアの声に、レナードとフローリアナが恐る恐る顔を上げる。
「ステラシア、あの……」
「いまさら謝ってもらっても困ります。わたしは辛かったし、淋しかったし、死にそうになってた」
「ええ、だから……うちにいらっしゃい。領地の自宅で離れていた間の話を一緒にしましょう?」
優しげに微笑みながらそう言うフローリアナへ、ステラシアが向ける視線には温度がない。
ローゼリアが近づいてきて、ステラシアの手をそっと握りしめた。
背後に控えていたマリンもまた、ステラシアのそばに寄ってくる。
「わたしに、両親はいません。わたしの家族は、お兄ちゃんと、師匠だけです」
思いのほか冷えた声が出て、ステラシアは自分のことなのに驚いた。
振り向いたアステールも目を見開いている。
普段あまり見ないぽかんとした表情に、ステラシアはほんの少しだけ微笑んでみせた。
家族にはなれなかったと思っていたけれど、それでもやっぱり、ステラシアにとってアステールは家族だった。そもそも、血のつながった叔母と姪だということを、知っていたはずなのに普段はまったく意識していなかった。
「あ、いまはスターリアも、まあ……妹です」
ステラシアの腕に張り付いたままのスターリアが、泣きそうな表情になっていることに気がついて、彼女は慌ててそう付け足した。
その言葉だけで満足したように微笑むスターリアに対し、ステラシアは少しだけ複雑な気持ちになる。彼女のことはまだ、なにもかも許せたわけではない。
レナードとフローリアナは、こんどこそ傷ついたような、いまにも泣き出しそうな、愕然とした顔になる。
それを見ても、ステラシアの胸にはなにも感情が湧いてこない。それは、彼女自身が驚くほどに。
そっと、胸に手を当ててみる。だが、どんなに記憶を探ってみても、彼女の思い出のなかにふたりの姿はない。
ステラシアにとって、レナードとフローリアナは本当に、顔も知らないただそのへんにいる人なのだ。
「ステラシア……おまえ、本当にそれでいいの?」
驚いた顔を引っ込めて、アステールがステラシアに聞いた。
その、普段よりも何割か増しで真剣な表情を見返して、ステラシアは口許を綻ばせた。
「うん。だって、わたしには師匠がいるし、長らく忘れてたけどお兄ちゃんもいるし……えっと、スターリアも。だから、大丈夫」
「そう」
視線を伏せ、微かに口角を上げながら、アステールが小さく息を吐いた。
珍しい師匠の姿に内心で驚きながらも、ステラシアは続けた。
「それに、マリンさんもイアンさんも、クリフォードさんだってそばにいてくれる。アルト様も……わたしはひとりじゃないって、言ってくれたんだよ」
本当は、アステールのことを家族だと胸を張って言いたかった。
本当に家族だった兄を忘れていたことを、申し訳なく思った。
何度も意地悪をされて死にそうな目にもあったけれど、本当は甘えたがりで寂しがりなこの妹とも、できれば仲良くやっていきたい。
マリンやイアン、クリフォードとは、もっと仲良く打ち解けたい。
できれば、ウィルフレッドやユーフィリアとももっと仲良くなれたら嬉しい。
アルトラシオンとは……ずっと、一緒にいたい。
「ふふっ、安心してちょうだい、ステラ。あなたとわたくしはもうずっと一緒よ」
ステラシアの手を握っていたローゼリアが、隣でおっとりと微笑んだ。
うっかり考えていたことが口から出てしまったのかと焦るが、そんなことはない。
(というか、ローゼ様とずっと一緒って、どういうこと……?)
「ええ、そうね。あなたたちに両親がいないというのなら、わたくしたちがなるわ。……時間の問題でしょうしね」
「へ……っ!?」
いつの間にやら近くまで来ていたクリスティアが、ステラシアとスターリアを交互に見て優しげに笑う。彼女の瞳に、かつての級友の姿はもう映っていない。
「ちょっとシエナ先輩……」
横から、アステールが眉をしかめて割り込んでくる。
「お母さま、気が早すぎますわよ」
ローゼリアがステラシアの手を離さずに母親を振り返った。
「ええ? だって、シオンはもう、決めちゃったのでしょう? まさかあの子まだ何も伝えていないの? あんなにあからさまなのに? リオルもまさかひとりを決めてしまうとは思わなかったけれど……。でも、一気に娘がふたりもできるわぁ。わたくし嬉しい」
頬を薄っすら赤く染めながら、クリスティアが感慨深げな溜め息を吐く。両手はまるで少女のように頬に当てられていて、わずかに上半身をくねらせている。
かわいらしい……。
王妃に対して抱いていい感想ではないが、ステラシアは思わずそう思ってしまった。
(でもちょっと待って……王族が家族は無理があるんじゃないかな!?)
「あ、あの……さすがに王妃様を家族と呼ぶのは恐れ多く……」
ステラシアの腕になにかの動物のようにしがみついているスターリアも、頭に疑問符を浮かべたまま青ざめてふるふると首を振っている。
「いいのよ、ステラシアさん。わたくしのことは気軽にお義母さまと呼んでちょうだい? スターリアさんはちょっと様子見ね」
「は、はぁ……、おかあ、さま……?」
毒気の抜かれたような表情で、ステラシアはポカンとクリスティアを見上げた。
「わたくしにもお義姉さまがいっきにふたりもできるのね。ステラ、お義姉さまと呼んでいいかしら?」
ステラシアの手をいまだ掴んだままのローゼリアに、ステラシアはギョッとする。
「お、おねえさま!? 滅相もない!! そもそも同い年ですよね、ローゼ様!?」
背後から吹き出すような声が聞こえ振り向くと、イアンとマリンが揃って口元を押さえ俯いている。
その肩が震えているのは、笑いを押し殺しているからだろうか。
「それにしても……どこかの高位貴族と養子縁組をしなければならないかと思ったけれど、筆頭伯爵五家のご令嬢ならなにも問題ないわね。それに、フィオナが教育したのならあの所作も納得だし、将来安泰だわ〜」
「それは、褒められていると解釈していいんですよねシエナ先輩」
中間名で呼び合う師匠と王妃は本当に仲が良さそうだ。
「お母さま。お兄さま……特にシオンお兄さまは、まだなにも伝えていないと思いますのよ? 下手をするとリオルお兄さまに先を越されるかもしれませんわ」
レナードとフローリアナに見向きもせず、その娘たちを構い倒す王妃と王女を眺め、国王アルフォレスタは苦笑とともに重く溜め息を吐いた。
「レナード、フローリアナ夫人。そなたたちは生涯領地で過ごすといい。以降、王都に踏み入ることは許さぬ。家のことは、今までどおり優秀な息子に任せ、今後もおとなしくしているように」
アクルークス伯爵家が異例の早い代替わりをしたのはこのせいだったのかと、いまならわかる。
あのエミールの様子を見れば、妹を離れに追いやった両親のことは許せなかっただろう。
幸いなのは、エミールの能力がものすごく高かったことだろうか。
まさかこんなところで、旧知の夫婦を見限ることになるとは思わなかった。
星の名を冠する貴族家は、この国の成り立ちから語り継がれる古い家々だ。
他に星の数ほどある家は、ほぼすべてが星の名を冠する貴族家から派生した分家筋。寄家にすぎない。
だからこそ、星の名を冠する貴族家は、筆頭貴族家……そして、高位貴族家としてこの国の上位に位置付けられているのだ。
つまり――王家への忠誠が絶対。
筆頭伯爵五家の役割は、"星の乙女を保護し国へ報告する"こと。そして、それは義務である。
ガクルック伯爵家はアステールを秘匿した。だが、王家に報告しなかったわけではない。
アクルークス伯爵家は、星の乙女になりうる子どもたちを隠し、あまつさえその子どもの片方を知らぬ間にこの世から消そうとしていた。
アルフォレスタとて、凶星と判断された子どもがどんな悲惨な末路をたどったかなど、重々承知している。
むしろ、王族であるが故に、他の貴族家よりもよほど詳しいだろう。
アクルークス家にも過去の記録などが残っていたに違いない。
だから、レナードは凶星を切り捨てることにした。このまま生きていても、幸せになれる保証ができなかったから。
だが、そんなものは詭弁だ。
託宣で『どちらかが慶星で、どちらかが凶星』だとされた時、まだ彼らの双子の運命は定まっていなかったはずだ。
ステラシアを手放した理由が、"瞳の色が暗かったから"だと聞いた瞬間、アルフォレスタは強い怒りを覚えた。
彼は、自身の息子が――アルトラシオンが"救う者されど滅ぼす者"と告げられた時、なにがなんでも息子を守ると心に決めたのだから。
決して、すべての人間が自身と同じ考えで子育てをしているなどと、傲慢なことをアルフォレスタは考えていない。
しかし――、
(レナード、お前は夫人が懐妊した時、周囲にもわかるほど嬉しそうにしていたと、報告を受けていたのだがな……)
だからこそ、彼らの選択をひとりの人間として、許すことができないのだ。
レナードは、アルフォレスタの前であるにも拘らず、項垂れたまま顔を上げることができないでいた。
十六年前のあの日、泣いて喜んだ娘たちの誕生が、託宣を受けてから鬱々としたものへと変わってしまった。
フローリアナに託宣の内容を告げたとき、彼女はどちらの娘も手放す気は無さそうだった。
それをレナードが説得して、瞳の色が暗くおとなしそうな姉のほうを、凶星と断定して離れへと送ったのだ。
別に、殺したいなどとは思っていなかった。
凶星として人々に死ぬほどつらい目に遭わされるだろう娘を見る勇気が、なかっただけだ。
元からいなかったことにすれば、きっと大丈夫。離れで隠されながらスクスクと育ってくれるはず。そう、信じて——いや、現実から目を背けただけだ。罪悪感からも。
それでまさか、エミールが当主の座を力ずくで奪ってくるとは思わなかった。
あの子のあんなにも怒りに満ちた瞳を見たのは七年前が初めてだった。
レナードは、たった十三歳の息子に気圧されたのだ。結局、伯爵としての実権をそのまま息子に奪われた。
長年勤めてくれていた使用人たちはほぼ解雇され、新しく若い者たちに一新された。それも、エミールに忠誠の強い者たちばかりだ。
レナードとフローリアナの居場所は、王都の家にも領地の家にもどこにもない。
それでも、これからはもう領地の家で静かに暮らしていくしかない。
エミールは確かに優秀な息子だった。
そしてまさか、慶星だと思い大切に育ててきたはずのスターリアが本当は凶星だったなど……。
——では、ステラシアを見捨てた我々はいったい、なんなのだ?
レナードは、片手で顔を覆った。項垂れていた顔をさらに下まで下げ、目の前のアルフォレスタに向かって跪く。
「……かしこまり、ました。陛下。拝命いたします」
隣でフローリアナも同じように床に膝をついている。
「ご温情に、感謝申し上げます」
そして、アルフォレスタの命令が、自分たちへの情であることも、レナードはしっかりと理解していた。




