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聖なる星の乙女と予言の王子  作者: 桜海
8.

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襲来②

 あれから何時間、剣を振り続けたかわからない。

 交代で休憩を取りながら、魔獣を切り捨て、瘴気を浄化する。

 これを、ほかの騎士たちは二人ないし三人一組で分担して行っているが、極大魔力と圧倒的な剣の腕を持ち、なおかつ極大な星の力を持つアルトラシオンはすべてひとりでこなしている。

 魔力しか持たないクリフォードは、星の力を多少なりとも持つウィルフレッドと共に行動させている。

 付かず離れずの距離でそばにはいるが、いま、アルトラシオンはひとりだった。


(だいぶ、瘴気が薄れたか)


 空さえ見えないほどの濃い瘴気は、幾度放ったかもわからない清流雨の影響で、かなり薄まった。

 呼吸がだいぶ楽になっている。

 空を仰ぎ、目を細める。

 昼はすでに夜に変わっていた。月だけがポッカリと暗い夜空に白い穴のように佇んでいる。

 星は、まだ戻らない。魔獣は、途切れない。

 ガクルック領やハイネ領だけではなく、王都も魔の森に接している。スターリアが喚んだらしい魔獣どもは、その魔の森からやってきているようだ。

 ――六年前と同様に。

 王領以外の土地が以前のように侵されていないことを願うばかりだが、いまはそこまで考えている余裕がない。

 王都を……王城を、王族(かぞく)を守ることが先決だ。なによりステラシアを。


(彼女がいなければ、俺は――生きられない)


 しばしの休憩の後、アルトラシオンは再び剣を握りしめ、瘴気の中へと飛び込んでいく。


 クリフォードとウィルフレッドが、慌てた様子で背後から追いかけてくる。その気配を感じ取りながら、アルトラシオンは目の前で魔獣に圧され苦戦していた騎士の脇を通り、剣を一閃する。

 涙目になっていた若い騎士の肩を叩き、後方へと下がらせる。


「休んでこい」


「ですが、殿下……!」


 言い募る騎士に背を向け、アルトラシオンは左右から飛び込んでくる魔獣を瞬時に切り捨てる。

 遠くで様子見をしていた何体かに雷を浴びせて足止めをする。


「いいからさっさと行くんだ」


 クリフォードが、騎士の背を押した。

 いまにも泣きそうな顔をした騎士は、頭をひとつ下げると、足を引きずるようにして前線から引いていく。


「……ひとり、か」


 必ず誰かと組んで行動するようにと通達していた。

 それでもここでひとり戦っていたということは、相棒はきっとこの瘴気のなかのどこかに倒れているのだろう。

 そして恐らくもう……生きてはいない。

 割り切れ、と言うには、戦場で命を預けあった者同士の絆は強固だろう。

 自分だけで闘いに身を投じているアルトラシオンにだって、それくらいはわかる。


「……探してやるか」


 手を突き出し、何度目かの雨を降らせる。

 さすがにこうも連続だと、体の奥の生命力がごっそりと持っていかれたような感覚がする。

 浄化の雨の下瘴気が晴れ、郊外の惨状を露わにする。

 草木が爛れ、花が溶けている。そのなかで、倒れ伏した騎士服の塊がいくつも見える。

 ガツガツと咀嚼している魔獣に眉を顰め、アルトラシオンは剣を振った。焔をまとった剣身が、食餌に没頭していた獣の頭部を斬り落とす。噴き出た瘴気を、焔をぶつけて浄化する。

 剣を振り払い剣身の焔を散らすと、アルトラシオンは倒れ伏している騎士の体を順々に見ていった。


(こちらも、この者も、もう息がないな……)


 動かない彼らは、ひどく食い荒らされていた。なかには、騎士だけではなく逃げ切れなかったらしい民の姿もある。

 王都から離れ先に進むごとに、また瘴気が濃くなっていく。そのたびに周囲を浄化しながら、アルトラシオンは前へと進む。


「ぅ……ぅぅ」


「……まだ、息のあるやつが残っていたか」


 服装からして、王国の民だとわかった。

 腕を食い千切られ、瘴気に蝕まれたまま生きるのは辛いだろう。

 その傍らには、騎士服を着た男が横たわっている。こちらもまだ、息があった。

 おおよそ、この平民を守るために身を盾にしたのだろう。腕どころか、足まで失い、腹から内臓を撒き散らしながら、それでもまだ生きている。

 しゅうしゅうと瘴気に骨も肉も溶かされている。

 この者たちは、それでもまだ生きたいと願うのだろうか。それとも、この状態で生きるくらいなら、死なせてくれと希うのだろうか。

 土を掻く音をアルトラシオンの耳が捉える。振り向きざまに、三体の魔獣を斬り伏せた。すぐに浄化の焔で消し炭にする。


「安心しろ。いま、楽に……」


 いつものように、剣を振り上げた。

 首は落とさない。彼らは罪人ではないから。だから、アルトラシオンはいつも、心臓をひと突きでその残り少ない命を刈り取ってきた。

 そう、あのときも。

 ステラシアの心臓を刺し貫こうとして、『生きたい』と願うまばゆい瞳に逆に貫かれた。


 ――そうやって生きたいと願う思いを、心を、アルト様が勝手に踏みにじって結末を決めていいなんてこと、ないんです!


 振り上げた腕が、固まったように動かなくなった。


 ――大丈夫です。だってアルト様はあの日、私を助けてくれたじゃないですか。……瘴気に侵された人を助けられるのは、星の力を持った人だけ。だから、あなたは、誰かを助けることができる人。


「ステ、ラ……」


 あの日、ステラシアが必死に願い、包み込むように微笑んだ表情が、アルトラシオンの心にに残っている。

 

 ――殺すことが救いだなんて、思わないで……。


 どこか切実な彼女の声が、アルトラシオンの耳に谺のように響いている。


 ――アルト様は、あの子の"心"を救ったんです。あなたは、ちゃんと誰かを救えるかたなんです。だから、いつか……。


(俺は、誰かを助けるために、剣を振るえる……)


 ステラ、とアルトラシオンの唇が震えながら、王城に置いてきた愛しい女の名を呼んだ。

 眼前に、瘴気に蝕まれ苦しむ人間が転がっている。

 弱々しく拍動する心臓に、この剣を突き刺せばすべて終わる。痛みも、苦しみも、長引かせることなく、終わらせられる。

 守るために、殺すことこそが愛だと信じていた。いまだって、そう、信じている。


 ――なのに。


 許さない! と叫んだ少年の顔がいつからかチラつくようになっていた。

 生きたい、と願った星空のような瞳が、アルトラシオンの心を捉えて離さなかった。

 『いつか、アルト様がその剣でたくさんの人を守るって、信じてます』そう言って微笑んだステラシアの想いを、裏切れないと思った。


 深く、深く、息を吐く。


 剣先を下に向け、振り下ろす寸前だったそれを引く。代わりに、星の力をそのままぶつけ、肉体を侵食している瘴気を浄化する。

 ただ……いま、これ以上の処置はアルトラシオンには難しい。なにせ、力を使いすぎている。生物を癒やす余力など残ってはいない。


「グレン、ウィルフレッド! ここにまだ息のある者たちがいる! 回収して後方で治癒を……っ!?」


「アルト! 後ろだ……!!」


「殿下……っ」


 焦った表情のクリフォードが、ものすごい速さで突っ込んでくる。その後ろから、ウィルフレッドが叫びながら跳躍した。

 それでも――、間に合わない。

 ぞわりと項を無で上げる感覚を覚え振り向いた瞬間、アルトラシオンは腹部に灼熱を感じた。

 骨の折れる音を聞いた。肉が裂け、中身が引きずり出される。

 それでも振り抜いた剣が、己の腹に喰い付く獣の首を両断した。

 同時に噴き出した体液と瘴気が、食いちぎられた腹を浸すようにどろりと浸食していく。

 傷口から、体の中まで、骨も肉もなにもかも溶かしながら侵されていく。

 筆舌に尽くしがたい痛みだった。

 頭から魔獣の体液をかぶったときとは比にならないほどの痛み。焼きごてを押し当てられたほうがまだマシかもしれない。

 遠くのほうから、クリフォードの声がした気がした。

 もう、顔も半分は爛れているだろうか。耳がよく聞こえない。目の前も白くなり、黒くなり、だんだんとよく分からなくなっていく。

 

(ステラ……)


 なにも見えない先に、屈託なく笑うステラシアがいた。

 こんな笑顔を見たのは、王都でデートをした一度きりだ。だから、きっとこれは幻だ。いつか、こんなふうにいつでも笑ってほしいと思っていた。

 契約などではなく、心で自分のそばにい続けてほしいと、願った。


(死にたく、ない……っ)


 ああ、死にたくない。

 生きて、ステラシアにまた会いたい。


(まだ、伝えていないことが、あるんだ……)


 おまえが、好きだ。

 星空のようなその瞳も、金にも銀にも見える不思議な色合いのその髪も、甘味を作り出すその小さな手も、温かな笑みも、包み込むようなその優しさも。

 知ってしまったらもう、手放せない。

 手放したくない。

 そばに、いてほしい。

 生きて、お前のそばにいたい。

 

 ――ステラシア。俺の、星。


(ああそうか……俺が殺した者たちも、こういう気持ちだったのか……)


 本当は生きたいと、願っていたのかもしれない。

 死を請いながらも、願わくば生きてまた会いたい人が、いたのかもしれない。


(ああ、ステラの、言うとおりだな……)


 ふ、と笑うような吐息が、アルトラシオンの焼け爛れた唇から漏れ出た。

 それが、最後だった。


 ◆ ◆ ◆


「アルト! アルトラシオン!! 馬鹿野郎! 目を開けろ……っ」


「殿下……! 殿下、殿下……嫌です! 目を開けてください……っ」


 最後の力で剣を振るい、魔獣の首を落としたアルトラシオンが、そのまま瘴気をひっかぶって倒れた。

 絶望が、ザッとクリフォードの胸を塞ぎにかかる。

 あとから追いついたウィルフレッドが、星の力でなんとか浄化しようとしているが、彼の力では到底追いつかない。

 ほぼ涙目でなりふり構わず……というよりも半狂乱の幼馴染を黙って見つめ、クリフォードはギリッと奥歯を噛み締めた。

 もう二度とこんなヘマはしないと、こんどこそ絶対に守り抜くと、イアンと約束を交わしたのは、たった数ヶ月前だ。

 だというのに――!


(くそ……っ、クソっどうしたら……どうすれば……っ)


 騒ぎを聞きつけたのか、後方に控えていた騎士たちも駆けつけてくる。

 現状を把握すると、すぐにアルトラシオンを中心に守るようにして、周囲の魔獣に剣を向けた。

 その中には、先ほどアルトラシオンが休憩に追い立てた騎士も混じっている。

 星の力持ちは数人。瘴気の奥からも、騎士たちが駆け戻ってくる気配がある。


「アルト……アルト。おまえはひとりじゃない。こんなにも、おまえに付いてくる奴らがいる。だから、絶対に死ぬんじゃねぇぞ」


 瘴気に侵された主に、クリフォードは触れることができない。

 それができるのは、星の力を持ったウィルフレッドだけだ。

 だから、クリフォードはキツく拳を握りしめると、立ち上がった。


「ウィル、殿下のことは任せた」


「クリフォード? おまえ、どこに行く気だ?」


 涙をたたえた赤い隻眼が、不審そうにクリフォードを仰ぎ見る。


「城に。ドゥーベルクのご令嬢か、誰か……星の乙女を連れてくる」


 最悪は、クリフォードの最愛を。

 彼女を前線に連れて来たくはないが、それでもあの少女も優秀な騎士だ。守るために城にいろ、などと言おうものなら、クリフォードはきっと彼女に軽蔑され、もう二度と振り向いてもらえないかもしれない。

 そんなのはさすがに御免被りたい。

 だから、ご令嬢が無理なら、マリンを頼るしかない。

 それでも、ここまでの重症を治せるかどうか……。


「とりあえず、ウィルはそのまま続けてくれ。他は、殿下を守りながら、襲ってきた魔獣を討伐! 何人かは、城の門を守れ!」


 叫びながら、クリフォードは走り出す。

 大門が見えたところで指笛を吹けば、すぐに愛馬が飛び出してきた。

 アルトラシオンの愛馬に負けないほど、賢い子だ。

 走りながら手綱を掴み、ひらりと跨った。


「頼む、急いでくれ」


 クリフォードの声に呼応するように、ヒヒン! と力強い嘶きが返ってきた。


 王城は、混乱の中にあった。

 平民が城内に入ることを忌避する貴族と、怪我人は城の中に入れるべきだという者とが、そこかしこで口論している。

 まだそんなことをやっているのかと呆れながら、クリフォードは城の大ホールまで駆け抜ける。

 よくよく見れば、口論しているのは一部の貴族だけで、怪我人の殆どは城の中に迎え入れられているようだった。

 室内に収まらなかったのか、大ホールに近づくごとに廊下にも寝かされた人の姿が増えていく。

 泥と血に塗れた騎士服のクリフォードの姿を見た者たちは、一様にギョッとした顔をして道を空けた。その大部分が貴族と、そこに仕える使用人だった。

 それが、命をかけて戦っている騎士に対する態度かと、舌打ちをしたくなる。

 ただ、おかげで誰にも邪魔されずホールまで辿り着けたのは、ありがたかったかもしれない。

 閉まることなく開きっぱなしの大扉から、クリフォードは大ホールへと飛び込んだ。

 勢いのまま王に現状を報告する。心ない声がそこかしこから聞こえてくる。遣る瀬なさに、クリフォードは拳を握りしめた。爪が掌に食い込み、新たな血が流れる。

 その耳に、貴族たちに啖呵を切るステラシアの声が叩きつけられた。


「殿下は……アルト様は、この国に住むすべての人たちを守るために戦っています! アルト様は、いつだってこの国のことを考えているんです! それでも、あの方を"死神"などと言いますか!? このなかにだって、アルト様に助けられた人がなん人もいるはずです! その恩すら忘れて彼を貶めるなんて、わたしはぜったいに許しません!!」


 目の前で、ステラシアが避難してきた貴族相手に立ち塞がっていた。その手に握られているのは、血まみれの布切れに真新しい包帯だ。

 怖いだろうに、震えながら。けれども一歩も引くことなく、コソコソ会話をする貴族すべてに対峙している。

 ドクリと、クリフォードの胸が大きく高鳴った。

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