第5話 魔獣の森【その背を追う弟子】
頭上の太陽が、何かに遮られたように、アルテナの足元に巨大な影を落とす。
「アルテナ! 上だ!!」
鋼のように硬い羽と、大岩をも砕く巨大な鉤爪を持つ鳥獣―――『ロックバード』。
それは地上を制したロリエッタではなく、守りが解けた瞬間の、最も脆弱な「獲物」を狙い澄ましていた。
(―――しまっ、間に合わん!!)
ロリエッタの脳裏に、数千の魔術式が火花を散らす。
瞬時に鳥獣を焼き払う雷か、あるいは弟子の前に展開する防壁か。
だが、距離がある。
そのコンマ数秒の遅れが、愛弟子の命を奪う『死の爪』に先を越されると脳裏ではじき出す。
狙いは、守り手から引き剥がされた、無防備な『半魔の娘』。
死の爪がアルテナに迫る―――。
ロリエッタが絶望的な予測を立て、魔力を暴走させようとした、その刹那だった。
アルテナの体が、まるで自分を俯瞰視するように物理の法則を無視するような動きをみせた。
彼女は振り返ることなく、迫りくる巨大な影の「中心」を正確に捉えていた。
ロリエッタとの日々の鍛錬中で叩き込まれた『感知魔法』。
それはもはや魔法という認識すら超え、彼女にとっての呼吸そのものとなっていた。
意識せずとも、一定の範囲なら魔力の揺らぎを、アルテナの皮膚が、神経が、脳が、刹那で処理し続け、最適解を導き出していた。
鋭い叫びと共に、アルテナの手のひらが天を指した。
「―――オクシフォス!!」
青白い閃光が、森の静寂を切り裂く。
彼女の指先から放たれた『雷撃魔法』が、迎撃の余裕すら与えず、ロックバードの眉間を正面から貫いた。
断末魔の叫びすら上げられず、巨鳥は空中で爆ぜ、真っ黒な炭となってアルテナの目の前に墜落した。
衝撃波が巻き上げる土煙の中、アルテナは静かに、深く呼吸を整え、地に落ちたロックバードを見つめた。
「……ふぅ」
「アルテナ……」
駆け寄ってきたロリエッタは、手にしていた杖を地面に突き、呆然と弟子を凝視した。
自分の救済など、最初から必要なかった。
強襲を察知し、最適解の魔法を選択し、一撃で仕留める。
その一連の動作に、一切の迷いも淀みもなかった。
「……先生。私、言われた通りに、空にも気をつけてたよ。どう?先生とまではいかないけど、私もやるもんでしょ?!」
少しだけ得意げに、けれど膝を震わせながら笑うアルテナ。
「ぬかせ!震えておるくせに……当たり前だ!誰の弟子だと思っておる」
その声は、かつてないほど誇らしげに響いた。
しばし沈黙した後、力いっぱい弟子の頭を、その手でわしわしと掻き回した。
◇
家に戻ったふたりの態度は、やや興奮気味のアルテナに対し、ロリエッタはいつも通りと、実に対照的だった。
すっかり陽も落ち、ふたりは、少し早めの夕食をとることにした。
「おい、アルテナ!干し肉の時は、『ククカの実』もしっかり食べんか!!」
「え~、でもこれ凄く酸っぱいから嫌だ~」
アルテナは、あからさまに嫌な顔をすると、ククカの実が乗せてある皿をツンとひと押しして、自分から遠ざけた。
「それよりさ~。最初に放った、光がこうカ~っと、なって飛んでいったあの魔法。めちゃくちゃ凄かった!!あれ何て言うの?」
「鱗剥がしの事か?派手なだけの、あんな魔法のどこが凄い!?」
「そんなこと無い、凄かったよ!!他にもこう、キラキラしたのとか、土が、グググ~って盛り上がってきたのとか、さぁ」
「フン!どれも、つまらん魔法じゃ!!」
興奮気味に語る弟子に対し、表情を正したロリエッタは、咀嚼していた干し肉を野菜のスープで押し流した。
「そうかな~」
「そうじゃ!それより早く食え!今夜は数式をやるぞ」
味気ない干し肉にアルテナは、お腹が空いていたものの、喉を通りにくそうにしている。
「ねぇ先生、あんな凄い魔法、今は無理でも鍛錬を続けていれば、私も使えるようになるのかな~」
考え無しに言った弟子の言葉にロリエッタは、軽くため息をついた。
「良いか、バカ弟子!何かを壊したり誰かを傷つけたりする魔法は、ときに自身の心をも削ってしまう。その覚悟と責任がないのなら絶対使ってはならん!間違ってもむやみやたらにひけらかしたり、ましてや自分が強くなったと勘違いするでないぞ!」
「それは、わかってるけど……」
「前にも言ったじゃろ?幻影残滓の法則。魔法の基礎の基礎じゃ!それは、自分の心にも当てはまる」
「……?どう言う事??」
「魔法というのは、誰かを傷つける為に作られた『剣』ではなく、便利な道具の『ナイフ』じゃ。じゃがその使い方を間違ったら、自身を傷つけたり他者を傷つけ命すら奪ってしまう。本当に大切なのは使えるかではなく、使う心構えが必要ということじゃ」
「……。ん~、うん!よく分かんないけど、覚えておく」
少し間があったものの、ロリエッタが想像していた返事ではなかった。
幼い頃に、あんな事があったアルテナになら理解できると、勝手に思っていたロリエッタは、少し面食らった。
「じゃさぁ、先生の好きな魔法って何?どんな魔法なの?」
「わしの好きな魔法?……」
ロリエッタは、暫く考えた後に、「これじゃ」と言って、ククカの実が乗せてある皿を自分の方へと寄せた。
「―――、食べ物を甘くする魔法じゃ!」
そう言って、「ニヒ」っといたずらっぽく笑い、ククカの実を口いっぱいに頬張り美味しそうに食べた。
「!!!!」
その衝撃の言葉と行動に、アルテナは唖然となり開いた口が塞がらなかった。
あの酸っぱいククカの実を、今まで何食わぬ顔でひとりで甘くして食べていたロリエッタに、アルテナは大人のズルさを感じずにはいられなかった。
「もうっ!先生、ズルいぃぃぃぃ!!!」
アルテナの叫び声が、暗く深く沈んだ魔獣の森に吸い込まれていった。




