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096_死後の話、あのよー

 人は死ぬとどこにいくのであろうかという疑問には明確に答えが出ている、どこにも行かない、すでに死んでいるも生きてきるも同じであるから、もしくは生きていないから死なない。


 ゾンビであるという話ではない、そもそもが情報の伝達、そのノード、一点にすぎないわけであり、脳みそが主体ではないからである、ただ使われている、道具にすぎない、領域にすぎない、濃淡があるだけであり、それは生きているとは言わない、ただ存在はしているが、存在していないことと、同値である、同価値である。


 生き物としての器はそれはそのままなのである、別にいてもいなくてもよい、時間軸的に考えると、無価値とも言える、どこかには存在するのであるから、それら個々のそれに拘る必要はない、けれども拘ることをそう思考することを止めることはこれはまたできない。


 生きていると思い込むことを否定することはできないし否定することを止めることもできない、それは情報の流れであり、自由になるものではなく、決定できるものではないから、どちらも認めるべきではあるが、認めたくないと思うことも止めることはできない、逆説的にいうならば、生きていないから、生きていると言える。


 生きている、ということの定義によると言い換えてもよい、存在の定義とかでも良い。本当に存在しているのかという疑問に明確に客観的に答えることはできる、それは存在していない、という答えで良い。もしくはそれを証明できないという答えでも良い、どう答えても良い、その辺りは、どう答えてもどうにも納得できないからであり、自由にならないものであるからである。意味がないという言い方をしても良いが、別にそこに意味があろうがなかろうか関係ないとも言える、もしくは、意味をつけることを止めることができないとも言える。


 全ては見立てに過ぎず、生きているという証明は難しい、納得させることが難しいだけであり、言い切って仕舞えば簡単ではある、断言することで思考を停止させてしまえば、それは生きていることになる。


 思考を停止しなければ生きられないのであるならば、それは死んでいるのと変わりはないのではないかという意見もまた正しい。生きていくには死ななければならないということではある、いやまあ、思考を止めずにループさせることで見かけ上、動き回っているように見せることはできる、どこにも行ってはいないので、実のところ停止と変わらないのではという意見も正しく。


 死んだらどこにいくのかではなく、今どうやってら生きているのか、を知らなければならない思考しなければならない、そう誘導されて、そのずれを、食べさせなければならない。


 あちら側を養っているのはこちらである、これも見立てである。

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