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077_余人には見えないは普通、

 私の見ているものは他の人には見えていない、これは普通のことである、なぜならば、それを伝える術がないからである、正確に違和感なくそのままにずれがなく伝えることができないからであるからして、この見えている何かは自分だけのものである。


 がしかし過去の自分は今の自分と違い、認識は常に過去へと向かっているのであり、であるならば、自分自身もそれを正しく見ることはできず、必ずずれながら時の流れに沿ってしまうわけであり、結論としては何物もそれを正しく認識することはできず、確率的にこの辺りであるという丸めて見ることしかできないのである。


 であるならば、真実の何か、映像やら実像やら存在やらはどこに存在するとすれば良いのであろうかということになるのであるが、それは存在はするが認識はできないというカテゴリに入れるべきであるのではなかろうかなとか、数式で確率的に指し示すことができるというあたりで、我慢すべきものであるのではなかろうかなということになるわけであり、そのような不確かなものによって立つしかないという不安感を忘却することで、忘れ続けることで、覚醒するしかないという、無秩序はところに秩序を誤魔化しつけるような感覚なのである。


 そこを突き詰めて思考を深めていくと混迷を極めるというか、そのままループに入ってしまうのであるからして、どこかで思考を停止する必要があるというか、常に停止しつつ考えている、判断している、反応しているのが日常であり、ある意味常に狂っているという表現が正しくなる。


 正常に狂っている、正しく迷っているわけであり、それが日常というか、通常というか、いつものことであり、どうしようもないものである、そのような客観的な認識を持った上で、物事をなすようにすると、これはもう、どうでも良いのではなかろうかとか、不満不平がなくなってしまうわけであり、現実感が喪失してしまうことになり、無気力になりがちである。


 それでも、激情のまま感情のまま直情的に動くことはなぜそうなるのかというならば、それはそうなるようになっている、その常態もまた止めることができないからであり、自我が喪失している、そこにあると思い込んでいるからこそ怒る現象であり、自動的な何かであるのである。


 止めることはできない、進むこともできない、どうすることもできない、ただ反射しているだけである、反応しているだけである、そこに罪はあるのかというと、またそれはそこに罪があると判断することを止めることができない、という、思考にたどり着くわけであり、基本も応用もまた、制御できないというところに落ち着くわけである。


 それらの原因は何であるかというならば、認識やら情報伝達やら、つまりはそこにあるずれがどうしようもないからであり、そしてどのどこにでも存在するずれが生じるエネルギーを食べる、あちら側の生物がいるからである。


 いるからというか、ずれるからあるのであるという方が正しい。

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