073_甘いか酸っぱいか、
エネルギーの摂取にあたって味覚は存在するのかというと当然ある、ただこちら側のそれと同じであるかどうかというと、違う。
表現は同じになるけれどもそれを感じるためのプロセスが違うというと正しい、こち側の味というものとは違う、そもそも、必要とされる栄養素が違うのである。
種類は実はそれほど必要はないというか、ほぼ同じである、ただ違いだけがあれば良い、ずれだけあれば良い、そのずれそのものの原因やら成り立ちやら環境やらは関係はない、だけれどもそこに味わいを求めることはできる。
グルメな個体がいるという感覚である、全体としては同一ではあるものの、趣味的に分裂しているという結果がある、結果的にそうなっているだけであって、意図はない、あくまでも遡って観測できるからであり、因果関係をねじることができる環境であるので、順に流れているとも言える。
味に好みがあるのであるならば、それを得るために干渉してくるという妄想はあり得る、こちら側なそう意識してしまうそのような情報を得てしまうがゆえに、あちら側がそう動くというそういう仕組みである。
観測する側が、妄想する側が、最初になる、ただ、何度も言うように時系列を好きに操れる、パラメタのただの一つでしかないのでお、どちらが先であろうが後であろうが関係はなく、強いていくならば同時であるとも言える。
ただ、こちらに干渉をすると言うことは、あちら側からは離れると言うことであり、物理的な制限が生まれてしまう、言うなれば因果関係が生まれてしまうことになる、どこか不自由になる制限ではなく、条件であり、いつでも放棄できるものではあるが、いつでもできると言うことは、実は延々とそれをすることができないことでもある、時間に縛られてしまうと言う意味合いになる。
こちらで時間に縛られると言うことは、あちら側で永遠を産んでしまうと言うことでもある、一瞬でも交わってしまうと、どうにでもなってしまうと言う隙が生まれると言った方が近いか。
同一の存在で他者のように振る舞う何かに影響を受けてしまう、領域を取られてしまう、活動に必要なエネルギーを奪取されてしまう、恐れがある、そう見立てられてしまうことになり、それに見合う何かをこちら側で得ようとする、欲のようなものが生まれてしまう。
こちら側に引き摺り下ろすことに喜びを覚えるかもしれないが、意図的にそれはできないので、運にかなり左右されることになる。




