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072_痛みは苦しみは悲しみは?

 ネガティブな感情は普通にある、あちら側の存在、生き物であるならば、快不快の感情というか情報はあるのである。ただ、その性質が、単純な悲しみ苦しみ痛みとは違うのである。


 肉体的な苦しみはこれは解放されている。なぜならば肉体がないからである、もしくは痛みが伴うような肉体ではないからである、そのようなものがあるという、情報をわざわざ設定しなければ、それは存在できない、そして、それをするのは酔狂の範囲であり、であるならば、実は、普通にあり得る。なぜならば、伊達と酔狂が本質であるからである。


 悲しみも苦しみも痛みもまたエンターテイメントであるのである、楽しみの一つという感覚なのであり、それもまたコントロールできるものであり、あえてそれを外して振り回されるのも楽しみであるという、やり口もある。


 刺激の、遊びの一つであるということである、もしくはそれすらも意識していないのである、自然にそうなっている、刹那的であるのか、思慮深いのか、それらをまとめて内包している生き物なのである、全てがあり、全てがない、矛盾の塊であるように見えるのは、時間軸が自由であるからであり、因果関係がねじれている、ねじれているというか、しっちゃかめっちゃになっている状態が普通であるからである。


 理解できるのかというならば、それはこちら側としては烏滸がましいというレベルの問題であり、ただ、想像することしかできない、推し図ることしかできないものであり、確定することは、これはできない。ただ確定して断言して述べることはできる、そこに精度はない。


 妄想妄言の類でしかありえないのは、そこに至るまでの、計算式がこちら側では表現できない、もしくは、理解の埒外にあるような式になってしまってしまうからであり、逆に理解できると思った瞬間にこちら側の理りから外れてしまうからである、ある種の狂人でなければあちら側との繋がりを得ることができないのである。


 狂った神様のようなものではないかという話ではあるが、神ではない、神様みたいなものであるかというならば、そこまで、即物的ではないという答えが相応しい。


 崇め奉、恐れ敬う、祭り上げる、そういう遊びができることは確かではあるが、どう意識してもそれは変わらない、もしくは変わり続けてしまうので、さだめる核が見当たらなくなってしまう、際限なく発散してしまうのである。


 わからないものなのである、分かりようがないものなのである、分からないということが本質なのである、ただただ、こちらのズレを食べている何かなのである。


 ほのかな憧れはある。


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