063_少ないから単純で頑丈、
変更できるパラメタが多い方が複雑で脆く、そうでない方が単純で頑丈であるので、この二つにはトータルでは差が出ない。
やれることが多いということは、それに費やす資源が大量に必要になるということであり、寿命が短くなる、環境が枯渇しやすい、であるならば、それを補うための工夫がどこかにあることになる。
この場合は、少なくて単純な方から、エネルギーを得るということになる、ある意味余剰分を掠め取っているともいえる。
情報のズレはこの固くて頑丈なものから出るエネルギーであり、それを栄養にしているあちら側の生命体は、実は脆く儚い、しかし、できることは多く、力は強大である、この辺りでバランスが取れている、と見ることができる。
なんでもできるようにも見えるけれども、変化させる、コントロールできるパラメタが多いので、資源の使用量が多い、であるならば、エントロピーの増大も加速度的に増えているはずである、つまりは、サイクルが早い。
満たされて、再出発する、再誕するサイクルである、宇宙の終わりと始まりと言い換えても大体あっている、ただ、そこには少なくとも時間という要素が意味を成していないので、前後がなく一緒くたになっているわけではあるが、それとは違う、コントロールできない要素で、カウントが決まっているわけではある。
時間という要素を制御できるがゆえに、膨大な資源を一息に使い尽いてしまうことになる、場合によっては、こちらから観測できるとするならば、一瞬で、それこそ刹那の間で、誕生と死滅が繰り返されることになる、ただ、それを超えて、存在するという見方もできる、ようは、常に滅びており、常に生まれている、状態であると見ることができる、実際に観測することはできない、これは想像か、もしくはなんらかの計算式で表すことができる概念である。
逆にも取れる、無限の時間を存在するようにもできる、こちら側は単純で強固であるので、あちら側が、非常に伸びているように見えるのである、どう観測するかで、どう観測できるかで、変質する、観測して初めて決定するということである、この辺りは、量子力学に似ているというか、その概念も当然含まれるはずである。
そして何より、観測することができない、少なくとも間接的にしかできないのであるから、実存しない、がゆえに、自由に振る舞うという特質が根底にある。
なんとかして捉えた瞬間に、確定した瞬間に、消え去るか、固まるかは、確率次第であり、それを観測し続けることができるか、そのような時間を残せるのか、因果が成立するのかもまた、確率次第である。
存外あちら側もままならないものである。




