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062_思うゆえにあれあり。

 彼方側の生命体に意識がある自我がある思考をしているということが、あるならばそれはこちら側がそう受け止めているからであり、勘違いの妄想である。


 妄想ではあるが、それがこちら側に影響を与えているのであるならば、それは実際にあるのであり、対処をしていかなければならない。


 カウンターで妄想を繰り広げなければならないのである、あちら側が、効率化やら趣味的な思惑でこちら側の情報伝達を阻害している、ずれを意図的作り出していると見立てたのであるならば、対抗して、そのやり口を阻害しなければならないのである。


 できるかどうかではなく、やらなければならない、と思わされることが大事であり、大事である。だいじ、でおおごとなのである。


 逆にいうならば認識しなければそれは無いものと同じであり、単なる気のせいやらただの誤解やら幽霊のようなものであるという、結論に落ち着くのであり、実のところ実際には困らない。


 ようは対策の立て方現実との向き合い方の、見立ての方法であり、実のところ何をやっても変わりはなく、ただそう思うのかどうか、思考の流れがそうなるのかどうか、情報がどう変異していくのかを、どう見ていくのかそれくらいの違いでしかなく、そしてその違いはほとんど全く無いのである。


 どちらにせよそれはコントロールできないのであるからして。


 情報のずれをエネルギーにして生きる生命体が、意志やら嗜好やらを持っていて、こちら側に干渉してきているのではなかろうかという、見立ては、あると思えばあるものであり、無いとするならば無いものである、これは幻やら妄想やら、妄言の類なのであり、説得力は無いのである。


 こちらがあると思っているからあるように振る舞うように見えるという、情報の鏡合わせ、反射に過ぎないというものでもあるのである、ただその大元の妄想がどこからかやってくるのかが判明しないのである。


 なぜならば、思考に隔たりがないからである、自我思考その辺りは、主体がなく、満遍なく環境によって変質するものであり、つまりは、誰かの妄想が、あちら側に影響しているわけであり、その大元が何であるのか、影響を受けるこちら側ではわからない、情報の外にある、場合もあるからである。


 しかもそれを作り出したという意識すらない場合もあるのであり、この辺り、どうしようもなくコントロールできないものであるということがはっきりとわかるだけの話なのである。


 誰かが思うゆえにあれがあるのである。

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