044_神様ではないけれども。
あちら側の生き物は神様ではないけれども超越はしている、これも見方次第ではあるが。
こちら側とは見えているもの感じているものセンサの質と量が違い、同時に関われるパラメタの量も桁が違うのである。
パラメタの最高数はいくらになるのかというならば、無限に近いのではなかろうかという観測ができる。なぜならば、こちらからでは正確に観測でいないからであり、そう認識しておいた方が安全側であるからである。
真実がどうかはあまり関係なくそう意識しておくことで安寧を得られる、という部類の、おおよそ信仰に近い発想が出てくる可能性が高い。
これは情報を多く入れれば入れるほと達する境地である、とも言える、逆に全くの否定になることももちろんある、運次第である。
どちらになるのか、どちらでもなくなるのかは、運であり、こちら側でコントロールできるものでもない。それは変わらない。
では超常的な存在があちら側に存在すると知ったと、そういう立場になったという見立てでどう行動するのかという予想を立てるのであるならば、それに関わりたいという欲望が生まれるのではなかろうかな、となる。
もちろんそれから離れたい、関わりたくない、接触したくないという発想も生まれるであろうが、すでにそれを意識した瞬間から、関係性が生まれてしまっているわけであり、また、いずれそれに触れる、感じることになるので、遅いか早いかの違いでしかなく、あちら側にとっては時間の後先は関係ないわけであるから、これは必然となる。
諦めることができるかどうかも運ではあるけれども、どちらがより幸せであるのかというならば、これはやや諦め側が有利ではなかろうかと推測できる。
どうしようもないものがあるという認識がある方が、どうにかできることはどうにかしたいという欲求を生み出す、ことが多いからであり、おそらくはそれは、世間一般的にいうならば、幸せにつながる思考である、その可能性が高いからである。
ただ何度も述べるけれどもそのように思考するかどうかは、運である、幸運か悪運かは分からないわけではあるものの、どのような、そしてどの順番で、どの瞬間に、情報が入力されたのか、という、ことに大きく左右されるというか、それしか左右されない。
最もその結果生まれる行動を司る自我、自分はそもそも存在しないという発想に至っているならば、それがどうしたのであろうかという、ある種の、安定を得られるわけではある。
幸せですか?




