037_それは育つのか?
情報がずれて伝わる時に発生するエネルギーを利用する生き物は成長するのであるかというと、成長しないわけはなく。
ただそのありようはこちら側とはまた違った方向性を持つことになる、育って大きくなるわけではない、エネルギーの総量が増える、わけでもない、ただ濃くなるというイメージが近い。
やれることが多くなるというわけでもなく、影響が大きくなるわけでもなく、そもそもそれは一塊として意識できるようなものではなく、連続性が見られないものであり、必ず常に、断たれているものである。
その場その場で完結していると言ってよく、ただそれが連続しているようにも見えるということである。
それは生き物として成り立っているのかというと、そのようにも見えるとしか言いようがなく、記憶、歴史の受け渡しができていないものでもあるが、しかし、それがあるようにも振る舞えるわけである。
その時点で過去が作られる、それどころか未来さえも常に、その瞬間に生まれていき同時に消えていくようなものである、なぜならば時間というものはその生き物にとっては一つの、変更可能な、干渉可能な、こちら側が、何か、そうビー玉をつまみ上げて、瓶にからりと落とし入れるような程度の労力で、時に干渉できる存在であるわけである。
故に、断続であっても問題はなく、むしろ、断続であるからこその利点を享受しているわけである、常に続いていないからこそ、永遠に存在しうるという、点であるわけである。
それはただズレによるエネルギーによって生かされている何かであり、そしてそのズレは結構全てであるのである、ある意味、世界そのものと言える。
こちらからできる僅かな観測と予想の結果、その生き物には濃さがあるということがわかる程度であり、そう見える、そのような見立てをしているだけではあるのであるが、そうであるが故に、エネルギーを得て成長しているようにも見えるわけである、全くの錯覚であるが、それはその性質を持つがゆえに、実在しているとも言える。
総じてわけがわからないものであるという結論を出すことができる。
わからないということがわかるのである、こちらが唯一言えることは、最初に定義したもの、すなわち、情報が伝わる時にあるズレ、そこに発生するエネルギーを得ることができる生命体であるということだけである。
ただ、濃くなっていくのである。




