036_裁けない、感情のシステム。
責任は取りようがないので裁けない、これをどうにかして誤魔化しているのが現状である。
感情というものを納得させるために論理を組み立ているにすぎず、そしてそれは情報の入出力にとらわれている、自動的に行われているだけであり、主体はやはりそこにはない。
そこに真実はないのである、一つもないのである、それはただ、どのようにずれているかどうかという、現象にすぎないのである。
必ず正しく伝わらないだけで何か一つ変わらないものがあるのではなかろうかという幻想を大元にして構築しているのであるからして、そもそもが砂上の楼閣にすぎない。
しかしそれを認めてしまいそれを元に構造を構築することはない、できない、なぜならば、それを知ってしまったならば、そもそも社会が成り立たないからである、ずれを許容することが、それの主たる働きであるからである。
別に成り立たなくとも良いわけではあるが。
構造がしっかりしている、成り立っているように見えるのは、基本幻想であり、結果としてそうなっているだけであり、現実的にはかなり脆いものである、時間の経過で綻ぶ程度のものである。
なので、別にいつ壊れても良いし、いつ壊れても仕方がないし、壊れることを前提にして構築して行っているわけである。意識しているのかしていないのかはまた別の問題である、いや、この場合、意識していると錯覚していると言った方が正しい。
この辺り、俯瞰的に、客観的に、論理的に、ずれているということが仕方ないと諦めているのであるならば、どうしようもないこともまた理解してしまうわけである。
場当たり的に行動するしかない、元々入力される情報に自動的に動かされているだけの話であるわけであるから、種々の感情もまた、どうにもコントロールできないものであり、それを元にして行動する、構築するルールもまた、制御不能なものでしかない。
大したものではない、そして、大したものでもある。
無いものを有るとして構築する大胆さが、面白さをましているわけで有る。
そこに生まれるずれが、やはり、エネルギーとして優れているからこそ、そのずれはそのまま維持されている、ので有る。
齟齬を食べて大きくなった生き物は、どう成長するのであろうか?




