034_絶望も無気力にもなれない。
絶望しようとしてできるのかというと、できず、無気力になりたいと思っても、慣れない、こともあるわけである、つまりはそこも自由が利かないものであるということである。
意識、意思、自我、そのあたりは自由にコントロールすることはできない、どうなるのかは入力される情報に左右されるわけであるし、その性質やら内容は多分に運に左右されるものであるからである。
同じ情報を同じタイミングで、同じ強さで入力することは不可能である、なぜならば、それを捉える方も、放つ方も、安定していないからである、環境が、無菌室のような、他の干渉を防ぐようなものになっていないからである。
ただ、完全に他の影響を排除する空間とかができたとしても、実のところそこに至るまでの歴史が同値でなければ、入力された情報によって、導き出される行動、出力情報が同じになることはなく、位置的に同地であることは不可能であるので、必ずずれることになる。
どの程度を許容するのかという話でもあるが。
ともあれ、どうすることもできないということを知った上で、全てが全て絶望したり虚無的になったり、無気力になったりしない理由は、それもまたどうすることもできない性質のうちであり、確率でしか語れないものであるからである。
もちろんそこで思考停止をするのか悩み続けるのか思考を続けるのか、一旦は途絶えるけれどもまた再び動き始めるのか、そのまま止まってしまうのか、停滞しているように見えて実は動いているという場合もあるわけであるが、それもまたコントロールできるようのものではない、ある程度の母数があれば、あらゆる方向にいくこともあるということではある、数は力であるとはこの場合は正しい。
どうにでも行きうるし、どうにでも止まりうる、振動もするし、反射もするし、反響もする、エコーが効いたりもする、それは感動を呼び起こすこともあるし、淡々と冷静に何事かをなす、反射的に行動する。それはら、確率的に起こるものであり、そしてそれはズレがあるからこそ発生するものである。
そもそもズレていなければ行動は発生しない、現状に不具合があるから、もしくは動く余地があるから、そこに隙間が発生しているから、隙間というには大きすぎる、断章があることもあるが、情報を出力しようとするのは、その余裕があるからであり、時空間に余地があるからであり、つまりはそれがズレの正体である、と捉えることもできるからである。
ぎっちりと隙間なく詰まっている状態では何も選べないということでもある。




