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033_思うようにはならないが。

 思うようにはならないが、思うこともまたままならない、情報の入出力に過ぎないから必ずその前後でズレるのである。


 思考が何者かに制御されているというわけではない、主体はない、あえてあるとするならば情報そのものである、そこに意志は働いていない。


 いや、意思やら自我やら個性やら人格やらはとどのつまり情報の波やら反射やら、エコーに過ぎないわけではあるから、どこにも存在しないのであり、そう捉えるのであるならば、ある意味、一個の人格であるものと同じものが、それらの情報そのもの、その集まりにもあると言える。


 つまるところ、人格、自我、自意識、思考、それがあるとするならば、それはどこにでもあるということになる、濃淡の違いくらいの差であるとすることが自然である。


 対話ができていないのではという意見については、そもそも対話はどこでも成り立ってはいない、そのように勘違いしているだけであり、正確に意思の疎通ができているという認識は、完璧な錯覚である、運よく伝わっていて、相互に不具合が認識できていない、もしくは些細なものであるので、流されているだけの話である。


 なぜならば、時間の経過というものに支配されている、それが大きな要因になっているからである、必ず情報は欠けるのである、物質によるからであり、それは安定していないからであるとも言える。


 つまり限られた条件であるのである、情報が正しく伝わっているという誤解を生んでいるのは、センサが鈍いからである、そしてその鈍さがあるからこそ、十分であるという、現実的には賄われているのである。


 未熟であるからこそ社会というものが、情報の伝達が正しく齟齬なく行われている可能性があると信じることができているのである、つまり、生き物として完成していくにしたっがって、この感覚が鈍くなるのであり、おそらくはその過程で、かなりの混乱やら、そこから派生する、カタストロフィが発生するのである。


 安定を求めるのであるならば実のところ思考を停止するしかなく、しかし、適度なズレを必要とする生命体である何かは、それをエネルギーとする何かは、その状態を厭うのである、結局のところ、終わりに向かって、どこかに落ちている状況は変わらず、最初のあった位置エネルギーを消費し続けているだけということではある。


 終わりは必ずくるのであり、最後には情報差異が0になる均等になる、完全に静止する世界がくるわけではあるが、それはそれで究極に安定した世界であるとも言える。


 ただそれを望まないからこそ、遠くなる。


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