017_何をしても良いし悪い。
情報量的には好悪正邪聖堕、どちらの特性があっても同じ重みなわけであり実のところ内容は関係ないのである。エネルギーにすぎないわけで。
好みがあるというわけではなくそもそも、気にしてないわけなのである、このずれを食べる生き物は。
ただ、あまりにも離れすぎている情報にはあまり価値がないというか、エネルギーを求められないわけであり、あくまでもちょっとずれている、あたりの、摩擦のような熱量が好みというか、燃料として効率が良いわけである。
であるので、完全に生きちがうということはなかなか発生しないわけである、いやまあ、関係性は生まれて、勘違いが正反対の方向に向くことはあるわけではあるけれども、擦りもしない、影響も与えあわないということはあまり、したくないというか、しない方が強くなれるので、結果的にそちらの方に現れやすい、濃くなりやすいわけである。
別にその生命体がそれを望んでいるわけではなく結果として微妙なすれ違いやら、熱量の高い勘違いやらで生まれて行動する、活発になるのでそれを好むように見えるというわけである。
自発的にそのような光景が現れるように動いているように見える、わけではあるが、実際には意志はないわけであり、ただ、意志やら自我がないのはその情報を動かしている側、脳みそがある方でも同じ話ではあるわけで、であるならば、実際にはないけれども、あるように見えると言えるわけである。
エネルギーに反応しているだけではないのかという疑問については、それはこちら側も同じであり、そもそも、生命活動というものは何かに反応しているだけにすぎず、かなり、受け身であることには違いはないわけである。
ようは、見方の違いにすぎないわけであり、これを別に考える、カテゴリを分ける必要はないのである。
伝わらないという事実について、そこをエネルギーにしている生命体がいるという見立てをしているということではあるのである。
そこのに自我が、意志があり、個人個人が独立して行動している、という、一般的な人の存在に対する見立てと同じレベルなわけである。
結局は同じことを言っているわけであり、本質は情報であり、それ以上でも以下でもなく、それが相互に干渉しあっているだけの話なのである。
シンプルでわかりやす世界ではないかな?
いやまあ、逆にまた複雑にはなり得るものではあるのであるが。




