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016_どうにもならないから諦めない。

 諦めることもできないというわけではある、自分の意識は自由にならないので。


 それは知っているならばコントロールは可能なのではなかろうかという疑問に対する答えであり、可能性は高まるけれどもそれでもどうにもならないものが、自我と呼ばれているものであるということになる。


 訓練というか、学習というか、その手の情報を十分に取り入れた、触れた場所であるならば、実のところある程度、見かけ状は制御できる、できているようには見えるわけであり、これが、普通に生活する上で、十分であるとする区域とか領域ではあるわけで。


 誤魔化しではある。ただ、それが建前でも通用するように、共通認識として振る舞おうと、意識的にでも無意識的にでも行っているわけであり、そしてその振る舞いそのものも結構自動的になされているものであり、意志は関わらない。


 情報そのものの連鎖やら共鳴やら反射やら関係性が時系列に沿っていたり、無視したり、因果関係を逆転させたりしながら、効果を発揮しているだけであり、自分というものは、まやかしでしか存在しない。


 ただすべが等くまやかしであるが故に、同等であり、意味を持っているわけであるのだなと思われる。


 全てが偽物であるならば、これは全てが本物であるということにしてもそれほど不都合はないわけである、まあ、見方の問題、どう関係性を見立てるか?ということにしかならないのであり、実のところ深く考えても仕方ないのでは?という意見もまた正しい。


 必要不必要ということではなく、そこにあるので影響しあっているだけの話であり、結果からの逆算でしかなく、事実やら物質やら、それがあるが故に、理屈をつけているだけの話であるのである、真理があるから実在するのではなく、実在についてのあれこれを真理とかで説明しようとしているだけである。


 考えやら捉え方が逆なのであろう、理論が先ではなく、それは後から生まれたも理屈であり、ただの見立てにすぎないわけである。


 言い切ると語弊があるが、新しい理論を作ったから事実が変わるのかというと、そうではなく、それはもともとそこにあったものであることには変わりはない。


 本当だろうか?


 実は理論が先にきて、事実がそれに則すように変質することはないのであろうか?


 これもまたある、すなわちそれこそが、情報であり、そこに生きる何者かであるのである。


 因果は容易く逆転するのである。

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