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20/38

20 本当の意味で始まるのは

 

 空気が変わった。


 肌を刺す殺気。ピリピリとした緊張感。


 不気味なほど静まり返った森の中で、木々の葉が、風で揺れる音だけが聞こえる。


 ルゥナは動揺することなく、冷静に佇んでいた。


「〈空間認知〉」


 アーツを発動し、目を閉じる。


 魔力が空間に溶け込む感覚。


 姿を消していたアサシン・シルバーウルフが、炙り出されるように白黒モノクロで――



 まぶたの裏に広がる真っ黒な世界に、姿形が構築されていく。



 脚を大きく開き、地を這うような究極の低姿勢。


 無音の疾走は、夜風を伴って。


「左斜め前方、上からッ!」


 俺が叫ぶと同時に、魔力が切れたのか、既に跳躍していたアサシン・シルバーウルフの姿が露わになる。


 鋭利な牙が光った。


 ルゥナが、体を捻るように、右足を大きく振り上げる。


 放たれた回し蹴りは、風を切って突き進み、身体に響くような重低音を辺りに広げる。


 ルゥナのつま先が、アサシン・シルバーウルフの横腹にめり込み、吹き飛ばした。


 そのまま、大木にぶつかり、地面に落下する。


「……すごい威力だな」


 ルゥナの蹴り上げた足を見ると、黒いブーツに仕込まれた金具のようなものが光った。


 あれで蹴られたら、かなり痛そうだ……。


 アサシン・シルバーウルフが、よろめきながらも立ち上がる。


 口の端からは、血が流れ落ちて、銀色に輝く体毛も赤黒く染まっていた。


『グルルルッ……』


 低く威嚇するような声を上げ、こちらを睨みつける。どう見ても、満身創痍。


 だが、その瞳はまだ死んでいない。


 アサシン・シルバーウルフは雄叫びを上げた。全身の毛を逆立て、身体中から魔力が溢れ出す。


 鋭い眼光が、俺に向けられる。


「……来る」


 ルゥナが呟いた次の瞬間には、地面を力強く踏み込み、再び姿を消していた。


 ――〈空間認知〉。


 アサシン・シルバーウルフの姿を捉える。


 今度はルゥナに向かって一直線ではなく、不規則な軌道を描きながら、こちらへ向かってくる。


 撹乱するつもりのようだ。


「させない」


 逆手から反転。素早く構え直す。


 ルゥナは鋭く息を吐き、地面を踏み抜くような、力強い一歩。同時に三本のナイフが放たれる。


 ナイフは弧を描くように宙を駆け、揺れる茂みを切り裂いた。そこに、アサシン・シルバーウルフは居ない。


 上手く夜風に紛れてやがる……ッ。


 トップスピードで、音もなく接近するアサシン・シルバーウルフに、焦りそうになる気持ちを抑えつけ、集中力を高める。


「見え、てんだよッ!」


 咄嗟に掴んだ、焚き火の灰を〈転送〉。アサシン・シルバーウルフの頭上へと。


 何もない――、何もなかったはずの空間から、短い悲鳴が聞こえる。灰が舞い上がる。


 姿が見えなくても関係ない。


 俺には〈空間認知〉がある。


「リエル」


 ルゥナはこちらを振り返った。


 紫色の前髪が揺れ、隠れていた右目が覗く。白と黒のフリルがあしらわれたスカートが、ふわりと舞って、広がった。


 真っ直ぐに俺を見つめてくる。


「助かった。あとは、任せて」


 そう言い残し、再び前を向いて、……ルゥナの姿が掻き消えた。


 いや、消えたんじゃなくて、


「速い」


 先ほどよりも、遥かに速く、速く。音を置き去りにして、縦横無尽に。


 瞬きの間に、木々の間をすり抜け、飛び跳ねる。


 真っ暗な森に、糸状の光がいくつも同時に明滅したかと思うと、甲高い金属音が続けざまに響き渡る。


 ワイヤーだ。


 いくつも交差し、火花を散らす。巻き取られるような音と、風を切る音。




 満月に、無数のワイヤーが絡みついた、巨大なシルエットが浮かび上がった。




 それは、まるで蜘蛛の巣に囚われた蝶のように。


 アサシン・シルバーウルフは身を捩らせながら必死に振り解こうとするが、張り巡らされたワイヤーから逃れることはできない。


 身体に幾筋もの、赤い線が刻まれていく。


 怒りに満ちた唸り声。


 ワイヤーに絡め取られたまま、アサシン・シルバーウルフは無理やり身体を捻り、体勢を変える。


 このままでは、弓で狙いにくい。魔力が少ないため、アサシン・シルバーウルフのゼロ距離まで〈転送〉させることも難しいだろう。


 ルゥナの連撃を避けたことからも、奴の反射神経は相当なものだと分かる。


 可能な限り近づけて〈転送〉させても、避けられて、致命傷にはならない。


 弓に矢をつがえながら考え込むが、何も思いつかない。


 俺の様子を確認した後、ルゥナは再び走り出していた。


 アサシン・シルバーウルフを中心にして、円を描くように走り回りながら、視線を左右に走らせる。



「〈悪路踏破〉……ッ」



 呟かれた言葉と共に、急停止。上を見上げたまま、大きく、そして強く踏み込んだ。


 ワイヤーを足場にし、何度も高く跳躍する。


 そのままアサシン・シルバーウルフの真上に、空中に躍り出た。


 短剣を逆手に。両手を交差し、身体を丸めるように。


「これで、終わりッ」


 アサシン・シルバーウルフは、空に浮かぶルゥナに狙いを定め、牙を剥き出しにした。


 そのまま落下するルゥナに食らいつくために、身体を捻り、凶悪な口を開く。


 空気を震わせるほどの、凄まじい咆哮。


 その時、数本のワイヤーが、引きちぎれる。


「ルゥナァアアッ!」


 喉の奥から、悲鳴のような叫び声が漏れる。


 しかし、無情にもルゥナの小さな体は、重力に引っ張られた。


 ワイヤーによる拘束が緩み、ヨダレを撒き散らしながらアサシン・シルバーウルフの顎門が迫る。


『死に際の魔物が、一番恐ろしい』


 冒険者の間で、よく囁かれる言葉が脳裏に浮かんだ。


 ゾワッと、背筋が凍るような感覚に襲われる。



 ルゥナは知らない。



 急所を狙った戦い方をする盗賊シーフに、圧倒的な強さを持つルゥナに、ギリギリの戦闘は存在しない。


 仕留め損ねた、本当の死を覚悟した魔物の恐怖を、知らない。



 もし、静止状態のアサシン・シルバーウルフに気づいた時に、残りの矢の数なんて気にせずに、〈転送〉で倒してしまっていたら。


 もし、素早い動きをするアサシン・シルバーウルフを〈転送〉で狙うより、ルゥナをサポートする方が確実だと思っていなければ。


 もし、ワイヤーで捕捉したルゥナが俺の様子を確認した時、何か行動に移せていたら。



 そんな後悔が頭の中で、グルグルと渦巻く。


 ルゥナは強かった。俺が知る冒険者の中では一番。


 簡単にミサとクレアを救ってみせた。英雄のようだった。


 だが。



 誰よりも、頼ってはいけない相手だった……ッ。



 時間が引き延ばされるような感覚。しかし、俺はただ、見ているだけで。



 俺は弱い。俺が弱かったせいで、ルゥナが死ぬかもしれない。


 新しいアーツに浮かれていたのかもしれない。


『人は魔物を倒すことで、身体能力が上がり、スキルやアーツを獲得する』


 補助系アーツが多く、決定打に欠けるため、成長速度が遅い【弓術】。


 〈収納〉以外は、多くの魔力を消費するわりに微妙な能力とされる【空間魔法】。


 その二つしか使えない俺は、いつまでも根無し草なポーターのままで……。



 どうして俺は〈空間認知〉と〈転送〉に、こんなにも可能性を感じていたのだろうか。


 そんなもの決まっている。


 こんな能力なんて――――





「〈転送〉ッ!」


 最高の能力だなんて、決まりきったことなのに!





 アサシン・シルバーウルフの巨体がブレて、虚空を噛み砕く。


 俺が狙ったのは、ワイヤー。


 それも、ワイヤー自体ではなく、それが引っ掛けられた木の枝だ。


 葉や枝といった遮蔽物を物ともせず、後出しでも間に合う最速の攻撃だからこそ、〈空間認知〉と〈転送〉は大切な仲間を守ることができる。


 臨時のポーターとして、パーティーを転々とする、何も変わらない日常は終わった。


 お金を稼いで、美味しいものを食べて、ふかふかのベッドで眠って……。


 それだけが、俺の願い。


 だが、そこにルゥナが居ないと意味がない。


 俺の冒険者生活が、本当の意味で始まるのは、二人で無事に明日を迎えた時だと思うから。



 宙吊り状態になったアサシン・シルバーウルフに、ルゥナの短剣が迫る。



 金属が擦れる音。二つの影が交差、月光を反射して、横一線状の光。



 他に音はしなかった。



長くなりましたが、プロローグ終了です。


ストックが少ないので、次回は一週間後の月曜日で……。


戦闘描写がんばったので、ブックマークを


「〈転送〉!」


していただけると嬉しいです。

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