19 月下
「リエル先輩は、寝袋を使わないのですか?」
焚き火の前で毛布に包まっていると、クレアが不思議そうな顔をして話しかけてきた。
「ああ、俺は慣れているからな」
そう言ってフードを被り、焚き火をゆっくりと小さくしていく。辺りが暗くなっていく。
「三人は洞穴でゆっくり休んでくれ。見張りなら、俺一人で十分だから」
ミサとクレアの怪我はポーションで治ったが、精神的な疲れはそう簡単に消えない。
ルゥナも野営には慣れていない様子だった。
ずっとソロで活動していたらしいので、数日かかるような依頼は受けたことがないのだろう。パーティーでなければ、見張りを交代できないのだから、何日も眠ることができない。
「……そういうこと。わかった」
意味ありげなルゥナの声を聞きながら、焚き火が完全に消える前に、自分の荷物の中から小さなランタンを取り出す。
押し付けるようにミサに渡すと、恐縮しながら受け取ってくれた。
「すみません、リエルさん。お借りします」
「気にしないでいい」
焚き火を完全に消すと、一気に暗闇に包まれた。
ミサが、ランタンに灯をつける。淡い光が周囲を照らし出す。
「それじゃあ……お休みなさい、です」
クレアが申し訳なさそうな声で呟くように言った。
野営に慣れていることと、一日くらい寝なくても平気だと伝えていたのだが、どうやら心配をかけてしまったようだ。
「本当に大丈夫だよ。じゃあ、また明日な」
苦笑しながら声をかけ、二人を見送った。
……さて、と。
「なんで、ルゥナも残ったんだ?」
「独り占め、ずるい」
拗ねる子供のように唇を尖らせながら答えてくる。
俺は〈空間認知〉があったおかげで気づけたが、ルゥナはどうやって気づいたのだろうか。ただの索敵系アーツでは難しそうだが。
たった二人になると、途端に静けさが増す。風が木々の葉っぱを揺らす音だけが聞こえてくる。
「独り占め、って言ってもだな。確かに一体でも、お互い欲しいところだが、襲ってこなければ放置でもいいと思っている」
「もったいない。せっかくの、チャンスなのに」
キョトンとした表情でルゥナが呟いた、――その時。
茂みの向こう側。空間が揺らいだ。
まるで水面に石を投げ込んだかのように波紋が広がり、そこから一体のシルバーウルフ――アサシン・シルバーウルフが姿を現わす。
銀色に輝く美しい体毛。ピンっと立った耳。そして、ギラギラと輝く瞳。
気品すら感じさせるその佇まいは、どこか神秘的だった。
だが、右脚の大きな火傷のような傷跡と、全身の筋肉が大きく隆起しているその姿には、歴戦の戦士を思わせる迫力がある。
アサシン・シルバーウルフ。その名の通り、気配遮断系のスキルを持つシルバーウルフの上位種で、暗殺者の異名を持つほど悪賢い性格をしているらしい。
「リエル。私に、任せて」
「初めからそのつもりだよ……」
アサシン・シルバーウルフが近づいてきたら、気付いていないフリをしながら〈転送〉で倒すつもりだったが、こうなってしまえば、俺にできることはない。
今日一日で、〈転送〉と〈空間認知〉の現時点の強さと、可能性を知ることができた。
前衛職に近い戦い方をすれば、もっと活かせるし、攻撃用のポーションも併用できる。
だが、まだ俺は使いこなせていない。
今できるのは、不意打ちだけ。
〈空間認知〉を使いこなせば、攻撃の回避は容易くなるだろうが、今は真っ向から戦うのは、無理だ。
「……やったっ」
嬉しそうに頰を緩ませ、小さくガッツポーズをするルゥナ。
金属が擦れる、鋭い音が響き渡る。
いつの間にか手に持っていた、黒い短剣をクルリと回し、逆手に持ち替える。
構える姿に一切の隙はない。
「リエルは、そこで見てて」
「ああ」
ルゥナはそう言い残すと、地面を蹴った。
一歩目から、トップスピードへ。瞬く間に距離を詰めていく。
『グオォッ……』
アサシン・シルバーウルフは突然目の前に現れたルゥナの姿に反応して、低く吠えた。
ルゥナの動きには一切無駄がない。
流れるような動作で、喉元へと。短剣を滑らせる。
月光を反射し、宙に描かれるのは、銀の軌跡。
一瞬遅れて、鮮血が舞う。
しかし、浅い。致命傷には程遠い。寸前で体を大きく仰け反り、避けたようだ。
銀の軌跡は途切れない。
勢いをそのままに。振り抜いた右手を返し、今度は袈裟斬りに。
身体を回転させ、遠心力を利用しながら、二撃三撃と続けざまに斬りつけるが、全て紙一重で避けられてしまう。
「すごいな……」
思わず、声が漏れた。
何度見ても、ルゥナの戦い方は独特だった。
武器の扱い方はもちろん、体捌きも、重心の移動の仕方も、今まで見たことがないものだ。
型にはまった動きではない。ただひたすらに、実戦の中で磨かれたもの。
それは洗練された技術とはまた違うもので、まるで獣が本能的に獲物を倒すための手段を模索しているようだ。
苦しそうな鳴き声を上げながらも、アサシン・シルバーウルフは大きく後ろに飛び退くと、距離を取るように着地した。
「ふぅー……」
深呼吸を一つして、ルゥナは集中力を研ぎ澄ます。
アサシン・シルバーウルフは、先ほどまでの余裕のある表情から一転、警戒するように牙を剥いている。
飛びかかるような体勢を取りながら、低い声で鳴くと、
――消えた。




