海軍と海賊④―黒い瞳が繋ぐもの―
男と彼女の縁は妙なモノだ。
会いたい。と思わないこともない。
けれど、会いに行こうと思うときには、大抵彼女は酷い怪我をしているのだ。
外れたことのないこの妙な符合のせいで、彼女に会いに行くときには不安ばかりが大きくなる。
もう二度と、失いたくはないのに。
物心ついたときには、男の傍には彼女がいた。
彼女だけではない。
目に見えるものだけが全てだったあの頃。
男はその手に七つの宝石を持っていた。
そして、男は全ての宝石をその手から奪われた。
男の暮らす島を焼き払ったのは海軍だった。
男も彼女も、人体実験の為にどこからか連れてこられた子どもだった。
それでも、それなりに幸せに生きていた。
未来を、夢見るくらいには。
それなのに。
男の大切な宝石から、未来を奪い取ったのは、正義を背負った海軍だった。
海賊になるつもりもなかったが、海軍にだけは、心を許すつもりもなかった。
気づけば、一人で海に出た男の周りには、人が集まっていた。
『ヒポクレス海賊団』
そう呼ばれるようになるまで、長い時間はかからなかった。
男が成りたかったのは、世界で絶対の法。
他の誰にも、もう二度と奪われないために。
そうして海に出て10年。
男は失くしたはずの宝石の一つに出会った。
大嫌いな海軍の船で、彼女はまっすぐ立っていた。
名前も、面影もすっかり変わっていたけれど、あの瞳だけは出会った時と何も変わらない。
だから男は、「海軍だから」と彼女を切り離すことはできなかった。
あの頃の名で彼女を呼べば、彼女は酷く驚いて、それから
******
甲板で、海鴎から買ったばかりの新聞を眺めるなり握り潰した男に、船員達は顔を見合わせる。長い付き合いの副船長や航海士の面々は訝しげに眉を顰めた。
男が不機嫌になる理由はそう多くないし、その殆ども男が表に出すことはない。
「ロウ、どうした?」
「一個隊潰したい気分だ」
「は?」
「いや、生温いな。海軍なんざさっさと壊滅させときゃ良かったんだ」
普段から海軍の動向なんぞに全く興味を持たない男らしからぬ台詞に、船員は顔を見合わせる。
「おい、ロウ?」
副船長の一人であるヘルシオの言葉を無視して、男は見張り台に声をかけた。
「フォーラン!」
「は、はい。船長」
「海軍旗見つけたら知らせろ。用がある」
「え? 何処でも良いんですか?」
「あぁ、少隊でも構わない」
「了解です」
返事を確認して、男は直ぐさま舵を握る仲間を振り向く。
「ザレグ!」
「何です?」
「聞いた通りだ。海軍に用がある。うまく接触できるように針路を取れ」
「はぁ」
もともとこの船は、海軍と必要以上の接触を図らない。
避けられる争いは避けて通るのを常としていた。
だからこそ、海軍の進路を予測して出会わないように舵を取る。
それは裏を返せば、海軍に出会うよう進路を取ることも容易いということだ。
「おい! ロウ! いい加減に」
胸倉を掴もうとしたヘルシオは、けれどその眼力に言葉を飲む。
瞳の奥で冷ややかな白い炎が音もなく燃えていた。
「悪いな、ヘルシオ。海軍船を見つけ次第、俺は船を降りる」
「はぁ!? さっきから意味の解らないことをペラペラと! 船長のお前が降りて、この船はどうするんだ!」
「お前とギャンティに任せる」
「ロウ!」
「お前の不機嫌の理由は、これだな」
ギャンティがくしゃくしゃの新聞を拾い上げて目を細めた。
「なんだよ、ギャンティ。それに何が」
「お前らには関係ない。俺が売られた喧嘩だ」
「関係ない、ねぇ。俺は、ロウ。とっくにお前に命預けてるんだ。今更だろう。反対するなら、お前がお嬢さんに会いに行く時に船を降りたさ」
何処までも静かなギャンティの言葉に、ヘルシオが驚いて男を見る。
「なんだよ、大佐の嬢ちゃんになにかあったのか?」
男が船員以外に唯一心を砕くのが、海軍大佐というのは、なんて冗談だとも思うが、結局その妙な関係は8年近く続いていた。
勿論、それが理由で船を降りた奴もいた。
かく言うヘルシオも、酷い裏切りだと男を罵って一度は袂を分かつ程のド派手な喧嘩をやらかしたが、結局は妥協する形で船に残った。
海賊と海軍である二人を繋ぐ関係が、もっとくだらない癒着のようなものだったら、ヘルシオはもっとあっさりと失望して未練もなく船を去れたと思う。
「新聞だけじゃ、解らん。ファーストへとは、海軍も洒落たことをしてくれる」
ギャンティの言葉に、男の顔から表情が消えた。
アリスト・ロウを名乗りはじめたのは、男が海に出てからだそうだ。
最上級の法。
それはある意味、戒めで誓いだったといっていい。
『海軍から法の番人を名乗るファーストへ。処刑が迫っている。連絡を待つ』
「ロウ、処刑ってのはまさか大佐の嬢ちゃんのことか?」
「他に誰がいる。仲間を平気で俺をおびき出す餌にする。吐き気がする」
「だが、あくまで囮かもしれないだろう?」
「さぁな。だから、聞けば良い」
ヘルシオは漸くそこで、男の意図を悟る。
「あぁ。確かに、海軍船には支部や本部に繋がる通信機があるな」
「船長、右舷前方島影に海軍船発見。旗は見えませんが、中個隊といったところです」
「アシュレイ、砲撃用意」
「当てて良いんスか?」
「すれすれ狙え。お前なら出来るだろう」
「まぁ」
肩を竦めた狙撃主は砲弾を詰め込んで無造作に火を付けた。
火を噴いた砲台の次の瞬間、水柱が上がったのは、確かに船影の僅かに右。
狙いを誤ったかのように見えるその狙いに、船員の何人かが口笛を吹いた。
「流石、アシュ」
「風も波も穏やかで、外す方が問題スよ」
「船長、向かって来てますけど横付けしちゃっていいんですか?」
何気ない仲間の一言に、男は不意に目をしばたかせて、壮絶に笑う。
「横付け? 必要ないね」
「おい、ロウ」
「そこまで云ったんだ。ヘル、ギャオ。砲弾の処理はよろしく頼むぜ」
男の口笛に答えて、船首に留まっていた大きな鳥が羽を羽ばたかせた。
「ちょ、まさか、お前」
「行くぞ、ディック」
「少佐、敵襲です!」
「全員戦闘体制!」
マックベリーは船横すれすれを過ぎた砲弾に、運を感じていた。
風下物陰からの攻撃。完全に死角をつかれて、下手をすればそれだけで沈んでいたはずだ。
突然の緊急召集を受けて、慌てて最も近い支部に向かおうとしていたが、まさかわざわざあちらから攻撃をしかけて来るような馬鹿と出くわすとは思いもしなかった。
「相手は、何処の馬鹿だ!? 海軍の船を襲う愚行、思い知らせてやる!」
「何処でしょうねぇ…って、おい、嘘だろ」
吐き捨てるように叫んだ言葉のせいで、船首で双眼鏡を眺めていたパートナーのギドリー伍長が、思わずそれを取り落としたことに気づかない。
「少佐! 旗を確認しました! マークは、髑髏に杖と蛇!」
「なにっ!?」
目を剥いたマックベリーに、新人の海兵が慌てたように同じ言葉を繰り返す。
「旗のマークは、杖と蛇です」
「マック少佐、新人君の目は確かだって。ほら」
ギドリーに放り投げられた双眼鏡を反射的に掴んで、マックベリーは剣を手にしたままそれに目を当てた。
「何故、奴が?」
翻る旗とともに、何か染みのような黒い点がレンズに映る。
それは、みるみる大きくなって、
「え?」
「な、」
呆気に取られる海兵達の前で、あっさりと甲板に飛び降りた。
錘である男を下ろした大鳥は清々したように旋回して踵を返す。
「貴様! 何の真似だ!」
吠えたマックベリーに、何十という敵に囲まれたまま、片道切符で訪れた男は隣人に挨拶するような気軽さで笑った。
「よう。海軍」
「退路を断つ、とは。大人しく捕まるつもりだとでも云うのか!?」
「退路? そんなもの、俺には必要ないね」
「なに!?」
「船をもらう」
世間話でもするように紡がれた言葉。
マックベリーの思考が追いつく前に、男は取り囲む船員を眺めて、剣の柄に手をかける。
「そうだな、海軍に習って、俺まで礼儀知らずになることもない。名乗るくらいはしておくか。ヒポクレス海賊団船長、アリスト・ロウだ。さっさとこいよ、マックベリー・サザリ少佐殿」
ざわりと海兵全体に広がった動揺に、マックベリーは小さく舌打ちした。
ヒポクレス海賊団は、海軍の中でも名の知れた海賊団であるが、億越えのアリストの顔があまり売れていないのは、海軍と表立ってぶつかることが少ないからだ。
もっとも、アリストとの抗争で姿を消した上層部の顔触れを何人か知っているマックベリーやギドリーにしてみれば、手配書の顔写真を覚えることは造作なかった。
「いつから、ヒポクレス海賊団はこんなに好戦的になったんだ?」
肩を竦めたギドリーに答えず、アリストはすらりと剣を抜く。
「遅いな」
「なっ」
信じられなかった。
ほんの瞬きの間だ。
右側で剣を構えていた五人が膝をつく。
「俺に必要なのは、船と、そうだな。あんたもだ、サザリ少佐。あとは見逃してやっても良い。その代わり、あと二分だ。死体になって俺に船から蹴り落とされるのと、どっちが良いか選べ」
喋る間にかかっていった四人の剣、息を乱すことなくたたき落として、男はすらりと光る剣先でマックベリーを指した。
まるで剣舞のようだと、マックベリーは忌ま忌ましくそれを睨んだ。
そもそも力量が違う。
並の海兵では敵いはしないだろう。
「退けよ。俺の相手してもらおうかね」
真正面に立ったギドリーに、海兵たちが場を譲った。
「ギドリー伍長だ。お相手願おうか、アリスト・ロウ」
「海軍は無駄死にしろと教えるのか?」
不意に声の調子が変わって、ひやりとした空気が肌を打つ。
「なに?」
「そんなくだらない考え方に、あいつを巻き込んで切り捨てる。海軍てのはつくづく腐った集団なんだな」
「貴様、何を」
思わず口を挟んだマックベリーに答えず、男は瞬く間にギドリーを打ち負かすと、足をかけて海に突き落とした。
「伍長!」
「狼狽えるな、殺しちゃいねぇよ。俺の要望をさっさと聞いて拾い上げてやれ」
「なに?」
すらりと向けられた剣に、マックベリーは耳を疑う。
「お前は船と私の身柄が欲しいんだろう?」
「いらねェよ」
「なに?」
「あんたに、遣ってほしいことがある」
男が告げたのは、マックベリーの予想を遥かに超える言葉だった。
「どうしてうちの船が海賊なんかを案内してるんでしょうね」
ギドリーのぼやきを聞きながらも、マックベリーは満足な答えが返せなかった。
マックベリーすら状況をうまく把握できていない状況だったのである。
男に聞かされた新聞のこと。
そして、海軍本部に連絡をして耳にした話。
「だが、私は彼女を見殺しにしたくはない」
「でもあんな男と通じてるような人なんでしょう?」
「君は、大佐に会ったことはないのだね?」
「えぇ」
「一度でも彼女に会えば、そんなことは言えない」
そして、男もまた、噂とは随分違った人物のようだった。
「でも、案内してきたのばれたら減俸ものですよ?」
「良いじゃないか。そもそもお偉方はあの男を此処へ呼び出したかったんだろう? 何も問題はない」
「そういうもんですかね」
けれどもギドリーはそれ以上言葉を重ねなかった。
大きな鳥が、雪煙の中を飛び去っていくのが一瞬だけ目に入った。
背中の二つの人影も。
「どうやら、捕えるのは失敗みたいですね」
ぽつりと呟いたギドリーに、どこか安心している自分を見つけて、マックベリーは肩を竦めた。
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ふと目を開けると、彼女が隣に座っていた。
甲板の上を流れる風が、彼女の髪を揺らしていく。
「あれ、起きたの?」
こんな風に、誰かの傍で眠ることはない。
多分、今も昔も彼女の傍だけだ。
この瞳の捕える世界だけは、男にとっても特別だった。
「ねぇ、君は好きなものないの?」
右手から左手に柑橘を転がして、彼女は徐にそう尋ねる。
「そうだな。お前の目が好きだ」
あっさり答えると、彼女は少しだけその目を細めた。
「じゃあ、死体になったらあげるよ。それまでは我慢して」
「は?」
突拍子もない言葉に起き上がると、彼女は何を勘違いしたのか肩を竦める。
「無いと不便だもん。抉ってあげるわけにはいかないよ」
「お前、いい度胸だな。俺より先に死ぬつもりか?」
「え? だって、船長が先に死んだら困るじゃない」
「うちの船長は、何度言っても先に立ちたがるんですよ。もうあきらめました」
口を挟んだ船員に、彼女は目を丸くしてから微かに笑った。
「それは、困った船長さんだね」
「本当ですよ」
「おい、こら」
「君が誰かを護りたいように、君を護りたい人がいるんだってことはちゃんとわかっててよ」
ころんと手の中に転がされた柑橘に顔を上げると、彼女は立ち上がって風に顔を向ける。
「解ってる」
「解ってない」
「解ってるだろ」
「解ってないよ。だって、護って欲しいなんて思ってないんだからさ」
「は?」
「皆、君と並んで立ちたいんだ。それなのに先に行くなんて狡いよ」
狡い、なんて言われて思わず笑ってしまった。
「狡いか?」
「狡いよ」
「俺はお前の目が好きだ」
「それ、さっきも聞いたけど」
「探すよりは、振り向いたらあった方が解りやすくていいだろ」
立ち上がって、ぽんと彼女の手の中に柑橘を返すと、彼女は一瞬ぽかんとして、それから呆れたように溜息を吐く。
「君って、相当変わってるよ」
「そうか?」
「そうだよ。でも、」
嫌いじゃないよ。振り向いて彼女は微かに笑った。
男には欲しいものがあった。
一度宝石を失った時、男はそれに気づいていた。
『護らなくても良いものが欲しい』
鍵をかけて宝石箱に仕舞っておくような、そんなものではなく。
そうして、男は見つけた。
真っ黒な瞳の、その宝剣を。
この船が鞘になればいい。
もう二度と理不尽に傷つくことがないように。
いつか彼女がどんな未来を選ぶとしても。
男は潮の匂いに目を細めた。
あき




