第4話
「……仲間割れが始まりそうだぞ」
キリアンが顎をしゃくった。
階下では、コラリーがファビアン殿下の袖を両手で握っていた。
『殿下、私、怖くて逆らえなかったんです!』
『何?』
『ガストン様が、協力しないなら父を困らせるって……!』
ガストンの顔が、一気に赤くなった。
『おい、待て! 俺に頼んだのはお前だろう!』
『そんなこと言ってません!』
『巡回を変えてくれと言ったじゃないか! 公爵家が口を出せなくなれば、俺を近衛の隊長に推してくれるって!』
言い終わってから、ガストンは口をつぐんだ。
遅い。とてもよく聞こえた。
「今の、記録していますか?」
「必要か?」
「いえ。監査官の方が、あそこで書き留めてますね」
壁際の男性が、すごい速さでペンを走らせていた。
証言者にも困らない。さっきまで音楽に合わせて踊るつもりだった人々が、今は全員、耳をそばだてている。
『あの記録具は違法です!』
パスカルが叫んだ。
拾った眼鏡の片側には、ひびが入っている。
『殿下、投射機を止めさせてください! これ以上、あんなものを――』
『設置許可証はこちらです』
校長先生の声に遮られた。
『パスカル君。調査を提案した際、記録を残すほどのことではないと反対したのは君でしたね。今、その理由も聞かせてもらいたい』
パスカルは、眼鏡を押さえる手で顔を覆った。
その背後を、ユーグがゆっくり下がっていく。
人垣に紛れれば抜けられると踏んだらしい。いつもなら誰かが道を譲るところだが、今夜はそうもいかなかった。
『失礼。お通しください』
令嬢が扇子を閉じ、その場にとどまる。
ユーグは舌打ちし、空いた通路へ駆け出した。
出口の衛兵が、槍の柄を横にした。
『監査局から、関係者を外へ出さぬよう命令が出ています』
『私は財務卿の息子ですよ!』
『承知しております。ですから、お待ちください』
その返事に、私は思わず口笛を吹きそうになった。
我が国にも、こういう返しのできる方がいたのか。
「あの衛兵さん、いいですね」
「指揮官が仕事をしていれば、兵も働ける」
「今夜の警備は、王宮監査局から派遣された方々なんです。ガストンが当番表をいじっていたと分かったので」
キリアンは頷き、広間の奥へ目を向けた。
「なら、そろそろだな」
その言い方が気になったけれど、下の声に意識を引き戻された。
『……騙したのか』
ファビアン殿下が、コラリーの手を振りほどいた。
『お前たち、俺を利用していたのか!』
『殿下、私は――』
『黙れ! お前も、ガストンも、全員だ!』
違う違うと口々に言う四人を前に、殿下はコンスタンツェ様へ向き直った。
『お前もだ。こんな場所で俺に恥をかかせて、ただで済むと思うなよ』
ああ、結局そうなるのか。
見栄えの悪いことが起きたら、それを見せた人が悪い。殿下の中では、いつも話がそこへ戻る。
コンスタンツェ様は、目をそらさなかった。
『人前で私を裁くと仰ったのは、殿下ですわ。私が何度、個別にお話を伺いたいと申し入れたか、お忘れですか』
『うるさい!』
『今日の訴えも、私の名誉に関わります。証拠を出すなと仰るのなら、殿下のお言葉も撤回していただかなくては』
殿下の手が、腰の細剣へ伸びた。
金属の擦れる音に、人垣が後ずさる。
私も立ちかけた。
隣で椅子が引かれる音がして、キリアンが手すりに片手を置く。
だが、コンスタンツェ様の前には、すでに衛兵が二人入っていた。
彼女は一歩下がっただけだった。扇子を握る指が、白くなっている。
怖くないわけではない。それでも逃げずに立っている。
『俺は王太子だぞ! 衛兵、こいつを捕らえろ!』
殿下が剣先でコンスタンツェ様を示した。
衛兵は動かない。
『聞こえないのか! 命令だ!』
『その剣を下ろせ、ファビアン』
正面の扉が開いていた。
入ってきたのは国王陛下だった。王妃陛下とアルスハイム公爵、その後ろに、三人の側近の父親たちが続く。
『父上……?』
王は息子の前まで歩き、手を差し出した。
『剣を渡せ』
『これは違うのです! コンスタンツェが俺を――』
『渡せと言った!』
ファビアン殿下の肩が跳ねた。
脇に立った衛兵が、殿下の手から剣を受け取る。
『監査官から報告を受け、隣室で今の記録とお前たちの言い分を聞いていた』
陛下の声は、二階までよく届いた。
『弁明の機会はあった。それを、お前は剣で終わらせようとしたのだな』
殿下が何か言いかけた、その頬を、陛下が打った。
乾いた音が響く。
よろめいた殿下は衛兵に支えられ、頬を押さえた。
私は無意識に、卓の縁を握っていた。
見たいのは、殴られて終わるところではない。明日になったら、また何事もなかった顔で戻ってくる。それだけは御免だ。
『……父上』
いつもの尊大さが消えた声に、陛下は答えなかった。
監査官へ目を向ける。
『処分と調査について、ここにいる全員の前で申し渡す。書き留めよ』
ペンが、紙の上を走り始めた。
私はようやく、椅子へ腰を戻した。
キリアンも座り直す。
私が袋を差し出すと、彼は一粒だけ取った。
「まだ終わらせませんよ」
「ああ。最後まで聞こう」




